豪州航路 - 戦後占領期 戻る

豪州定期航路の再開
太平洋戦争後の豪州定期航路再開は昭和27年5月に日本郵船,大阪商船が豪州運賃同盟の再加入が認められた.配船数は年6回,使用船は自社船,裸用船で羊毛積取率10%とし寄港地は豪州アウトポート及びニュージーランドであった.当時の豪州政府の対日輸入制限は厳しく往航の荷況は低迷し続けた.
なお川崎汽船,山下汽船および三井船舶はJALとしてコンソーシアムを組み昭和28年12月に同盟加盟申請を行っている(承認は昭和29年1月).
日本豪州ニュージーランド線 大阪商船(株) 昭和初期昭27.7(1952)再開海運再建期海運集約期
昭和27年(1952)5月に豪州運賃同盟に再加入が認められ同年7月,大阪丸を第1船として日本豪州ニュージーランド線を再開.
1952.5(昭27)[港]日本各港からブリスベーン/シドニー/メルボルン(適宜ニューカレドニア)[航]年6回[船]大阪丸,しどにい丸

ぱしふいっく丸 Pacific Maru (1949)
第一汽船から購入したぱしふいっく丸はしどにい丸と改名されて豪州航路に就航した.

第十一東西丸 Tozai Maru No.11 (1954)
豪州航路 日本郵船(株) 明治後期大正期昭和初期昭27.8.22(1952)再開海運再建期海運集約期
昭和27年(1952)5月に豪州運賃同盟に再加入が認められ同年8月,興国丸(用船)が就航した.
1952.8.22(昭27)第1船興国丸横浜出航[港]日本/香港/マニラ/タラカン/ジーロング/フリーマントル/シドニー/メルボルン/アデレード/ウェリントン/オークランド/シドニー/ブリスベーン/タウンズビル/クイーンズタウン/ジーロング/ポートリンカーン/日本[船]興国丸(用)[荷]鉄鋼製品,硫黄,雑貨

興国丸 Kokoku Maru (1952)
1952.10.16(昭27)第2船第三満鐵丸横浜出航,往航フリーマントル,メルボルン,ウェリントン,オークランドに回航[船]第三満鐵丸(用)

第三満鐵丸 Mantetsu Maru No.3 (1952)
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