- 大正5年(1916)3月,沖縄廣運を買収.大正11年(1922)4月國有鐵道と鹿児島を連絡地として船客,手小荷物の船車連絡を開始.大正14年(1925)5月,日東汽船を買収,10月には鹿児島郵船と航路協定の結果,同社の正吉丸,久吉丸,沖縄丸の3隻を用船のうえ本航路を大阪商船が経営することとなった.
1917.11 | (大6) | [港]大阪/往航:大阪/神戸/油津/名瀬 復航:鹿児島(臨時)/福島(臨時)月1回宮古,八重山に臨時延航[航]1ヶ月6回[船]那覇丸,宮古丸,温州丸 | 1917 | (大6) | 上半期以降,鹿児島に復航臨時寄港[航]1ヶ月8回[船]4隻 | 1922.4 | (大11) | 國有鐵道と鹿児島を連絡地として船客,手小荷物の船車連絡を開始 | 1924.8.12 | (大13) | 甲便[港]大阪/神戸/名瀬[航]1ヶ月5回[船]臺北丸,以智丸(用) | 1924.8.12 | (大13) | 乙便[港]大阪/神戸/油津/名瀬 臨時:基隆,京浜[航]1ヶ月4-6回[船]蘇州丸,八重山丸,名瀬丸,須磨丸 | 1925.5 | (大14) | 日東汽船を買収[港]大阪(12:00)/神戸(19:00)/油津/名瀬/那覇(5日目朝)[船]名瀬丸,汕頭丸,以智丸(用)[片賃]1等39・00,2等26・00,3等13・00(大阪神戸発同額) | 1925.10 | (大14) | 鹿児島郵船と航路協定の結果,本航路を大阪商船が経営[船]正吉丸,久吉丸,沖縄丸(以上用船) | 1926.4.6 | (大15) | 甲便を大阪那覇線と改称,乙便は大阪沖縄線と改称[港]大阪/神戸/油津(往航)/鹿児島/古仁屋(復航)/名瀬[航]1ヶ月4回[船]正吉丸,久吉丸 |
|