南米航路 - 大正期 戻る

南米西岸線 東洋汽船(株) 明38.12(1905)開設大15.3.10(1926)以降日本郵船が継承昭和初期
従来,東洋汽船の南米線就航船舶は紀洋丸,武洋丸,香港丸など他からの転用が多くいずれも南米線独自の航路に適したものではなかった.このため同航路の実情を調査研究し同航路に適した船型・性能を持った船を建造する必要があったので9,300総トン級の貨客船を明治44年12月13日三菱長崎造船所に発注,大正2年(1913)に進水して安洋丸と命名された.引き続きほぼ同型の樂洋丸,さらに銀洋丸,墨洋丸が建造されたがこれらの貨客船は南米移民輸送用として計画された.大正2年(1913)9月末には英国から購入した貨客船靜洋丸が南米線に就航し武洋丸の配船を中止して再び油槽船へ改装を行う等,本航路は船質が大幅に改善された.
1912.11(大1)満州丸を岸本汽船へ売却[船]香港丸,紀洋丸,武洋丸
1913.6(大2)新造船安洋丸就航[船]安洋丸,紀洋丸,武洋丸

安洋丸 Anyo Maru (1913)
1913.7(大2)香港丸北米航路へ転配[船]紀洋丸,武洋丸
1913.9(大2)靜洋丸就航[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸,武洋丸

靜洋丸 Seiyo Maru (1913)
1913.10(大2)武洋丸は再び油槽船へ改造のため転配[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸
1913(大2)[港]横濱/神戸/門司/香港/マンサニヨ/サリナクルス/カイヤオ/イキケ/バルパライソ[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸
1914(大3)従来燃料炭補給を主目的としてチリのコロネル迄航海していたがパナマ運河開通によりバルボアでの補炭が有利となったため新たに寄港地として加え,コロネルの寄港を中止しバルパライソを終着港とした
1914(大3)安洋丸は第1次世界大戦の影響によりカイヤオに47日間,ホノルルに31日間停船後本邦へ帰着[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸
1914(大3)紀洋丸は第1次世界大戦の影響によりホノルルに72日間停船,病者頻発により南米行き中止し本邦へ引き返す(船客179)[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸
1915(大4)往復航ともロサンゼルスに寄港.メキシコの内乱継続のため輸入が途絶えているのでマンサニヨの寄港を中止.下期から桑港へも往復航寄港[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸
1919.2.19(大8)対米提供船となっていた靜洋丸が復帰,就航[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸
1920.6.16(大9)紀洋丸,横浜港で出火により船体損傷,復旧工事で油槽船へ艤装を実施し転配[船]安洋丸,靜洋丸,明洋丸,徳洋丸,麗洋丸
1920(大9)補助命令が更改され毎月1回のサービスが必要となるため新造貨客船が竣工するまで3隻の貨物船が就航[船]安洋丸,靜洋丸,紀洋丸,明洋丸,徳洋丸,麗洋丸
1921.5.2(大10)徳洋丸は南米(硝石),ポートランド(木材)寄港後オレゴン州沖合で燃料炭自然発火により火災,沈没[船]安洋丸,靜洋丸,明洋丸,麗洋丸
1921.6(大10)新造船樂洋丸就航[船]樂洋丸,安洋丸,靜洋丸,明洋丸,麗洋丸

樂洋丸 Rakuyo Maru (1921)
1921.8(大10)新造船銀洋丸就航[船]銀洋丸,樂洋丸,安洋丸,靜洋丸,明洋丸,麗洋丸

銀洋丸 Ginyo Maru (1921)
1921(大10)上期からマニラ寄港開始[船]安洋丸,靜洋丸,明洋丸,徳洋丸,麗洋丸
1921(大10)朝洋丸,明洋丸は欧州航路帰還の際バルボア港から,香洋丸は濠州からバルパライソ航海後それぞれ南米定期船の代船となる[船]銀洋丸,樂洋丸,安洋丸,靜洋丸,朝洋丸,明洋丸,香洋丸

香洋丸 Koyo Maru (1919) S.Kizu
1924.11(大13)不況のため工事遅延していた墨洋丸は11月下旬に就航[船]樂洋丸,安洋丸,靜洋丸,朝洋丸,明洋丸,香洋丸,銀洋丸,墨洋丸
1924.12.31(大13)銀洋丸(船長八幡順之助)はメキシコ・マンザニーロ沖で船艙からの火災で船体半分を損傷しサンフランシスコで仮修理回航後,本格修理
1926.1(大15)逓信省命令航路.[港]西廻り:横濱/神戸/門司/香港 東回り:横濱/ホノルル/マンザニーヨ(サリナクルス)/カイヤオ/イキケ/バルパライソ[船]安洋丸,樂洋丸,墨洋丸,銀洋丸[命]1926.1(大15)~1929.12(昭4)[補]532,002円(T15)
南米東岸線 日本郵船(株) 大5.11(1916)開設昭6.4(1931)郵商協約により休止
日本郵船の南米東岸線は元来ブラジル向け移民輸送を主要目的として開始され,明治45年(1912)には東洋移民会社との間でブラジル行移民輸送契約を結び同年3月10日神戸発の神奈川丸にサントス行移民1,416名を載せ欧州向け航行の途次に同地に回航した.しかし定期配船とする必然性なく随時移民輸送のために配船し大正6年(1917)4月より定期配船が実施された.大正15年(1926)3月10日に東洋汽船から航路と就航船を継承した.
1912.3.10(明45)サントス行移民1,416名を輸送.同社初の南米線就航[港]{往航}神戸/新嘉坡/サントス(4/25着) {復航}サントス/バピヤプランカ/ロッターダム/ロンドン/スエズ/コロンボ/新嘉坡/香港/長崎/門司/呉/神戸/四日市/横濱(10/28着)[船]神奈川丸

神奈川丸 Kanagawa Maru (1896)
1914(大3)[船]若狹丸
1917.4.25(大6)神戸出航の若狹丸を第1船として定期航路開設[港]{往航}神戸/新嘉坡/デラゴアベイ/ケープタウン/サントス {復航}リオデジャネイロ/セントルシア/紐育[船]若狹丸(2航海),河内丸
1918(大7)[船]若狹丸(2航海),豐橋丸(臨),豐福丸(臨用),讃岐丸,博多丸
1919(大8)[船]博多丸,讃岐丸,鎌倉丸(以上2航海)
1920(大9)[船]博多丸,土佐丸(2航海),河内丸,函館丸

函館丸 Hakodate Maru (1919)
1921(大10)[船]神奈川丸,河内丸(以上2航海),阿波丸

阿波丸 Awa Maru (1899)
1922(大11)[船]河内丸,神奈川丸(以上2航海)
1923(大12)[船]神奈川丸,河内丸(以上2航海),鎌倉丸
1924(大13)[船]神奈川丸,河内丸(2航海),鎌倉丸(2航海),阿波丸
1925(大14)[船]阿波丸,河内丸,鎌倉丸(以上2航海),神奈川丸(臨)
1926(大15)[船]鎌倉丸,神奈川丸,若狹丸,河内丸,博多丸
南米航路・南米線(西航) 大阪商船(株) 大5.12(1916)開設昭15.2(1940)西航及び東航に分割-同9月休航-戦後占領期
東洋汽船により明治38年(1905)に開設された南米西岸航路に対し東岸側は大阪商船が第1次世界大戦の進展に伴い国産品の南米進出が盛んになったのを契機として計画し大正5年(1916)12月29日横濱を出航した笠戸丸により開始された.その後たこま丸型を就航させるなど往航は船客貨物満載であったが復航が閑散のため大正7年(1918)以降,北米経由での帰港とし南米/ニューオーリンズ(珈琲)/日本(綿花・銑鉄)の輸送で好成績を収めた.
1916.12.29(大5)[港]神戸/長崎/香港/新嘉坡/モーリシャス/ダーバン/ケープタウン/リオデジャネロ/ブエノスアイレス/ケープタウン/ダーバン/新嘉坡/長崎/神戸
1917.3(大6)第2船たこま丸が神戸港を出航.同月第3船しあとる丸が横濱港を出航[航]年7回[船]笠戸丸,たこま丸,しあとる丸

笠戸丸 Kasato Maru (1900) H.Nakamura
1917.10(大6)ぱまな丸就航[船]笠戸丸,たこま丸,しあとる丸,ぱなま丸
1918.5.29(大7)横濱発ぱなま丸から復航北米経由とした[港]{復航}ブエノスアイレス/リオデジャネイロ/サントス/トリニダード/セントルシア/ニューオーリンズ(新王倫)/パナマ/桑港/日本[船]ぱなま丸[復荷]南米/ニューオーリンズ(珈琲)/日本(綿花・銑鉄)
1918.8(大7)以降,往航コロンボに定期寄港開始
1918(大7)貨物,船客の増加に伴い臨時船を回航[船]はわい丸,あるぷす丸,來福丸(用)

あるぷす丸 Alpus Maru (1917)
1920.10.25(大9)逓信省命令航路受命第1船かなだ丸神戸出航[港]神戸/四日市/横濱/長崎/長崎/香港/新嘉坡/コロンボ/モーリシャス/ダーバン/ケープタウン/サントス/ブエノスアイレス/サントス/リオデジャネイロ/セントルシア/ハバナ(9月限りで廃止)/新王倫/クリストバル/羅府/横濱/神戸[航]年10回[船]たこま丸,しあとる丸,しかご丸,ぱなま丸,めきしこ丸,かなだ丸

かなだ丸 Canada Maru (1911) パナマ運河通過中
1921.3(大10)以降,復航ガルベストン定期寄港開始
1921.10(大10)以降,往航モーリシャス,復航セントルシアの寄港廃止
1922.5(大11)以降,往航サイゴン(西貢),8月以降ポートエリザベスに定期寄港開始
1923.5(大12)以降,往航モンテビデオに臨時寄港(復航は8月以降)
1924.8(大13)以降,復航ペンサコラ臨時寄港開始
1924.10(大13)以降,復航ビクトリア(ブラジル)に臨時寄港開始
1924.12(大13)たこま丸に替わりまにら丸が就航[船]まにら丸

まにら丸 Manila Maru (1915)
1925.3(大14)しあとる丸に替わりはわい丸が就航[船]はわい丸
1925.8(大14)以降,モンテビデオ寄港廃止
1925.12(大14)しかご丸に替わりさんとす丸就航[船]さんとす丸

さんとす丸 Santos Maru (1925)
移民輸送を主目的として3隻建造された大型貨客船の同型第1船.わが国で最初の航洋大型ディーゼル船としても知られる.
1926.1(大15)以降,復航ヒューストンに臨時寄港
1926.2(大15)以降,復航ペンサコラ寄港廃止
1926.4(大15)逓信省命令航路.南米航路東岸線.[港]{往航}横濱/神戸/長崎/香港/新嘉坡/ケープタウン/サントス/リオデジャネイロ/ブエノスアイレス{復航}ブエノスアイレス/サントス/リオデジャネイロ/クリストバル/横濱[航]3ヶ月2回以上(年間10回)[船]まにら丸,はわい丸,さんとす丸,めきしこ丸,ぱなま丸[命]1926.4(大15)~1929.3(昭4)[補]1,255,066円/年
1926.5(大15)以降,らぷらた丸が就航[船]らぷらた丸

らぷらた丸 La Plata Maru (1926)
1926.8(大15)もんてびでお丸就航[船]はわい丸,まにら丸,さんとす丸,らぷらた丸,もんてびでお丸

もんてびでお丸 Montevideo Maru (1926)
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