臺灣航路 - 大正期 戻る

大阪商船の臺灣総督府命令航路南洋線は南洋航路の項に記載.
沖縄経過大阪基隆線 大阪商船(株) 明38,6.12(1905)開設大6.11.1鹿児島基隆線-大8.11.4那覇基隆線-
昭17.5(1942)船舶運営会へ移管
大正3年(1914)に新造船八重山丸が竣工.大正6年(1917)11月に鹿児島止まりとし鹿児島基隆線と改称.同8年に沖縄県の命令航路となる.同11月那覇止まりとし那覇基隆線と改称し先島諸島に寄港した.
1913.8(大2)油津寄港を往航のみに変更、古仁屋に臨時寄港[港]大阪/神戸/油津(往航)/鹿児島/大島/古仁屋(臨時)/沖縄/宮古/八重山/基隆[航]1ヶ月1回[船]汽船1隻
1914(大3)上半期に増便[航]1ヶ月2回[船]汽船2隻
1915(大4)[船]二見丸,八重山丸,宮古丸,平壌丸(内2隻)

八重山丸 Yaeyama Maru (1914)
1916(大5)上半期以降、西表に寄港[港]神戸/油津(往航)/鹿児島/大島/古仁屋(臨時)/沖縄/宮古/西表
1917.11.1(大6)鹿児島止まりとし鹿児島基隆線と改称[港]鹿児島/名瀬/那覇/宮古/八重山/西表(往航)/基隆[航]1ヶ月2回[船]八重山丸
1919.6.5(大8)鹿児島発船より沖縄県の命令航路となる
1919.11.4(大8)那覇止まりとし那覇基隆線と改称[港]那覇/宮古/八重山/西表/基隆[航]1ヶ月3回[船]八重山丸
1922.1(大11)宮古丸を増配[港]多良間,与那国に臨時寄港[航]1ヶ月5回[船]八重山丸,宮古丸

宮古丸 Miyako Maru (1914) H.Nakamura
1923.7(大12)[港]那覇/宮古/八重山/西表/基隆[航]1ヶ月5回[船]八重山丸,宮古丸
1924.12(大13)宮古丸に代わり基隆丸を配船[船]八重山丸,基隆丸

基隆丸 Keelung Maru (1896)
1926.5(大15)八重山丸の代わりに大球丸を配船[船]基隆丸,大球丸
横濱基隆線 大阪商船(株) 大5.2(1916)開設-同11.1横濱沖縄線-大10.12.23(1921)休航のち廃航
大正5年(1916)2月開設.同年11月1日,那覇止として横濱沖縄線と改称,臨時に基隆へ延航した.大正10年(1921)12月23日以降休航,後に廃航.
1916.2(大5)開設[港]横濱/名古屋/勝浦/大阪/神戸/鹿児島/那覇/基隆[航]1ヶ月2回[船]汽船2隻
1916.11.1(大5)那覇止として横濱沖縄線と改称,臨時に基隆へ延航[航]1ヶ月1回[船]名瀬丸

名瀬丸 Naze Maru (1917)
1921.12.23(大10)以降休航、後に廃航
神戸基隆線(臺灣直航線) 大阪商船(株) 明31.3.1(1898)開設大正期昭17.5(1942)船舶運営会に移管
大正3年(1914)9月から亞米利加丸,香港丸,笠戸丸3隻により毎月6航海に増便.
1916.9(大5)[航]1ヶ月4回[船]亞米利加丸,香港丸
1916(大5)臺灣総督府命令航路[船]亞米利加丸,香港丸,笠戸丸[命]1916(大5)~1918(大7)[補]170,000円
1923.1(大12)再び笠戸丸を加えて3隻体制となる[航]1ヶ月6回[船]亞米利加丸,香港丸,笠戸丸
1924.6(大13)蓬莱丸就航[船]亞米利加丸,香港丸,笠戸丸,蓬莱丸

蓬莱丸 Horai Maru (1912)
1924.7(大13)[船]扶桑丸,香港丸,笠戸丸,蓬莱丸

扶桑丸 Fuso Maru (1908) S.Kizu
1924.8(大13)香港丸を大阪/大連線へ転配[船]笠戸丸,蓬莱丸,扶桑丸
1926.4(大15)門司/基隆を従来の中2日より中1日に短縮[船]笠戸丸,蓬莱丸,扶桑丸,香港丸
臺灣東廻沿岸線 大阪商船(株) 明30.4.1(1897)開設-明37.4.1(1904)臺灣東沿岸線-明38.4.1(1905)臺灣東廻沿岸線-
明39.4.(1906)臺灣東沿岸線明40.4.1(1907)臺灣東廻沿岸線大3.9.1(1914)臺灣沿岸線東線昭7.4.1(1932)臺灣東沿岸線
昭9.4(1934)臺灣沿岸東線昭16.3(1941)南日本汽船へ譲渡
大正3年(1914)9月1日臺灣周航を廃止して臺灣沿岸線東線と改称,長春丸と撫順丸の2隻で月6航海のサービスとした.寄港地は基隆・打狗を発航して蘇澳/花連港/卑南/大板埒.
1916(大5)臺灣総督府命令航路[港]基隆/蘇澳/花連港/卑南/大板埒/打狗[航]1ヶ月6回[船]長春丸,撫順丸[命]1916(大5)~1918(大7)[補]西線と合わせて195,000円

長春丸 Choshun Maru (1908)
1922.4(大11)大板埒寄港を廃止して海口に寄港,尚火焼島・紅頭嶼・新港に月2回寄港
臺灣西廻沿岸線 大阪商船(株) 明30.4.1(1897)開設-明37.4.1(1904)臺灣沿岸線西線と改称-明38.4(1905)西廻沿岸線-
明39.4(1906)沿岸線西線明40.4(1907)西廻沿岸線大3.9.1(1914)臺灣沿岸線西線昭7.4(1932)廃止
大正10年(1921)7月より基隆/馬公/高雄往復線と高雄/馬公往復線に分割.高雄/馬公は月2回往復.
1914.9.1(大3)[港]基隆/澎湖島/安平/打狗[航]1ヶ月3回[船]奉天丸(用船)
1916(大5)臺灣総督府命令航路[船]奉天丸(用船)[命]1916(大5)~1918(大7)[補]東線と合わせて195,000円
1919.4(大8)増便[航]1ヶ月4回
1921.7(大10)基隆/馬公/高雄往復線と高雄/馬公往復線に分割
1923.4(大12)[港]基隆/馬公/高雄[航]1ヶ月3回
1923.4(大12)[港]高雄/馬公[航]1ヶ月5回
基隆神戸線 近海郵船(株) 明29.9(1896)開設大12.4.1(1923)近海郵船に譲渡昭和初期
臺灣総督府命令航路を日本郵船から継承.大正5年当時の神戸基隆線には備後丸,信濃丸,因幡丸の6,000総トン級の貨客船3隻が就航していたが,移籍後に旅客の漸増に対応するため就航船腹の改善が図られた.
1916(大5)臺灣総督府命令航路[航]1ヶ月6回[船]備後丸,信濃丸,因幡丸[命]1916(大5)~1918(大7)[補]170,000円

備後丸 Bingo Maru (1897)
1923.4.1(大12)近海郵船に譲渡
横濱打狗線 日本郵船(株) 明38.10(1905)開設大9.4(1920)横濱高雄線と改称-大12.4.1(1923)近海郵船に譲渡-
昭14.5.6(1939)日本郵船に吸収合併
1917.3.6(大6)[港]{往航}横濱/大阪/神戸/門司/基隆/安平/打狗{復航}打狗/基隆/門司/神戸/大阪/名古屋/横濱[船]汐首丸,松山丸,三池丸,小倉丸,(濟州丸)
横濱高雄線 近海郵船(株) 明38.10(1905)開設大9.4(1920)横濱高雄線と改称-大12.4.1(1923)近海郵船に譲渡-
昭14.5.6(1939)日本郵船に吸収合併
大正14年(1925)から臺湾総督府命令航路となり,東京まで延航.
基隆花蓮港線 近海郵船(株) 大2.1(1913)開設-大3.81(1914)中止
私設航路として開設.汽船1隻により月4回の定期サービスとしたが時局のため翌年中止.
打狗天津線 大阪商船(株) 明治後期-大正期-昭和初期-太平洋戦争
1916(大5)臺灣総督府命令航路[港]打狗/基隆/福州/上海/青島/大連(復航)/天津[航]1ヶ月2回[船]基隆丸,湖北丸[命]1916(大5)~1918(大7)[補]186,000円
1917(大6)[港]打狗/基隆/福州/上海/青島/大連/天津[航]月1回[船]基隆丸
基隆海防線 山下汽船(合) 大正期-昭和初期-太平洋戦争
詳細調査中.
1923.7(大12)[港]基隆/厦門/汕頭/香港/北海鴻基/海防[航]1ヶ月2回[船]2隻
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