船歴 本邦建造船2 - 幕末・維新|明治前期|明治後期|大正期|昭和初期|太平洋戦争|占領期|海運再建期|海運集約期 戻る

長崎造船局

壱岐丸 IKI MARU (1883)
813/HFMQ 木造汽船 228G/T 進水 1883.9(明16)
Lpp 36.15 B 5.82 D 3.51 m 80/311HP 8.5/10.5kt
長崎造船局(長崎)建造 日本政府(東京)
壱岐丸 IKI MARU
1883(明16)共同運輸(東京)に移籍
1885.10.1(明18)合併に伴い日本郵船会社(東京)に移籍
1886.4.13(明19)加能汽船(株)(金岩)に売却、加能丸 KANO MARU と改名
1896(明29)若松忠次郎(函館)に売却、壱岐丸 IKI MARU と改名
1900(明33)秋田汽船(羽後土崎)に売却、清徳丸 SEITOKU MARU と改名
1905(明38)明治38年版船名録より削除

長崎造船所

SNo.4 夕顔丸 YUGAO MARU (1887)

夕顔丸
夕顔丸 Yugao Maru
わが国最初の軟鋼製ボイラを装備した。
1028/HGKW→JTVF 鉄製曳船兼旅客船 233G/T
起工 1885.11.24(明18) 進水 1887(明20) 竣工 1887.5.26(明20)
Lpp 28.04(92'-0") B 4.72(15'-6") D 2.74(9'-0") m 主機 R 2連成 330IHP 1基 8kt
長崎造船所(長崎)建造 Sno.4 三菱社(長崎)
夕顔丸 YUGAO MARU 船客 2等)4 3等)86 同社高島炭坑の通信及び曳船
1893(明26)三菱(合)(東京)に移籍
1962(昭37)解体

SNo.5 彌生丸 YAYOI MARU (1887)
不明汽艇 38G/T 起工 1887.5.2(明20) 進水 1887.7.1(明20) 竣工 1887.11.15(明20)
Lpp 18.29(60'-0") B 3.66(12'-0") D 2.44(8'-0") m 100IHP
長崎造船所(長崎)建造 Sno.5 三菱社
彌生丸 YAYOI MARU

SNo.6 第三震天 SHINTEN No.3 (1888)
200G/T 起工 1887.10.4(明20) 進水 1888(明21) 竣工 1888.10.15(明21)
Lpp 33.53(110'-0") B 7.01(23'-0") D 3.96(13'-0") m 主機 R 2連成 361IHP 1基
長崎造船所(長崎)建造 Sno.6 佐世保海軍工廠(佐世保)
第三震天 SHINTEN No.3

三菱造船所

筑後川丸型 3隻 CHIKUGOGAWA MARU Class (1890 - 1891)

筑後川丸
筑後川丸 Chikugogawa Maru
大阪商船の近海用の貨客船として三菱造船所で3隻、川崎造船所で2隻(主要寸法は異なる)建造された。わが国で建造された初期の鋼製汽船であり、また初めて3連成汽機を搭載した船として知られる。
貨客船 Lpp 51.82(170'-0") B 8.53(28'-0") D 5.49(18'-0") m 主機 R 3連成
三菱造船所(長崎)建造 有限会社大阪商船会社(大阪)
Sno.45 筑後川丸 CHIKUGOGAWA MARU 1197/HJCG 610G/T 75NHP/520IHP 10.5/12kt
起工 1889.7.18(明22) 進水 1890.3.22(明23) 竣工 1890.5.31(明23) 筑後川丸 CHIKUGOGAWA MARU
1914.3.30(大3)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1924.5.6(大13)太洋商船(西宮)に売却
1930(昭5)Chekiang Steam Navigation Co.,Shanghaiに売却、天理 TELI と改名
1941(昭16)黄浦江で空爆により沈没
Sno.46 木曾川丸 KISOGAWA MARU 1221/HJDT 686G/T 75NHP/520IHP 10.5/12kt
起工 1889.7.19(明22) 進水 1890.7.19(明23) 竣工 1890.9.22(明23) 木曾川丸 KISOGAWA MARU
1893.3.18(明26)朝鮮航路・大阪仁川線に就航
1908.1.3(明41)長崎から大連に向け航行中、壱岐郷ノ浦平島の南東で座礁破壊、沈没
Sno.47 信濃川丸 SHINANOGAWA MARU 1255/HJKC 686G/T 78NHP/481IHP 10/12kt
起工 1889.11.29(明22) 進水 1890.11.29(明23) 竣工 1891.3.26(明24) 信濃川丸 SHINANOGAWA MARU
1922.2.20(大11)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1924(大13)飯野寅吉(大阪)に売却
1925.1.28(大14)対馬商船(福岡)に売却
1929(昭4)中華民国へ売却
信濃川丸
信濃川丸 Shinanogawa Maru

SNo.50 第一佐世保丸 SASEBO MARU No.1 (1891)
36728/VJWB→JUEH→JKLD 曳船 250G/T
起工 1889.9.19(明22) 進水 1890.11.22(明23) 竣工 1891.2.8(明24)
Lpp 35.97 B 6.17 D 4.06 m 主機 R 320IHP 8.5/9kt
三菱造船所(長崎)建造 Sno.50 海軍省(東京)
第一佐世保丸 SASEBO MARU No.1 明治22年度計画佐世保海軍工廠の250トン型曳船 SCAJAP No.K072 船客 2等)24 3等)142
1920.7.1(大9)雑役船に編入
1928.5.10(昭3)廃船
1931(昭6)尼崎汽船(株)部(大阪)に売却、弘仁丸 KONIN MARU と改名
1942.5.4(昭17)関西汽船(株)(大阪)の設立に伴い移籍
1948.4.26(昭23)尼崎汽船(大阪)に返還
1951(昭26)昭和26年版船名録より削除

三菱合資会社三菱造船所

SNo.65 須磨丸 SUMA MARU (1895)

須磨丸
須磨丸 Suma Maru
1484/HKGL 貨客船 1,563G/T 起工 1894.7(明27) 進水 1895.1.12(明28) 竣工 1895.4.5(明28)
Lpp 78.03(256'-0") B 10.36(34'-0") D 6.93(22'-9") m 主機 R 3連成 122/835HP 10/11kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.65 三菱合資会社(東京)
須磨丸 SUMA MARU
1895.12.16(明28)大阪商船(株)(大阪)に売却
1926.2.13(大15)汕頭港外で座礁、大破

SNo.90 立神丸 TATEGAMI MARU (1898)

立神丸
立神丸 Tategami Maru
3283→朝872/HSRG→PFNC→JCLB 貨物船 2,486G/T
起工 1895.4.11(明28) 進水 1898.10.3(明31) 竣工 1898.12.19(明31)
Lpp 91.44(300'-0") B 12.19(40'-0") D 6.45(21'-2") m 主機 R 204NHP/1,633IHP 1基 10/12kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.90 三菱合資会社(東京)
立神丸 TATEGAMI MARU
1901.4.12(明34)日本郵船(株)(東京)に売却
1920.1.1(大9)朝鮮郵船(株)(仁川)に売却
1930.11(昭5)鏑木汽船(株)(仁川)に売却
1940(昭15)日本で解体
1942(昭17)船名録より削除

SNo.91 第二佐世保丸 SASEBO MARU No.2 (1895)
貨物船 92G/T 起工 1895.5.27(明28) 進水 1895.10.7(明28) 竣工 1895.9.30(明28)
Lpp 27.43(90'-0") B 4.88(16'-0") D 3.12(10'-3") m 主機 R 2連成 241IHP
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.91 佐世保海軍工廠
第二佐世保丸 SASEBO MARU No.2

SNo.97 宮嶋丸 MIYAJIMA MARU (1897)

宮嶋丸
宮嶋丸 Miyajima Maru
1676/HLCF 貨客船 1,610G/T 起工 1896.3.25(明29) 進水 1897.4.9(明30) 竣工 1897.6.15(明30)
Lpp 75.29(247'-0") B 10.36(34'-0") D 4.80(15'-9") m 主機 R 3連成 113NHP/1,093IHP 1基 9.5/11kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.97 三菱合資会社(東京)
宮嶋丸 MIYAJIMA MARU
1897.9.15(明30)大阪商船(株)(大阪)に売却
1903.10.31(明36)大家商船(株)(大阪)に売却
1907.4(明40)大阪商船(株)(大阪)に売却
1925.1.24(大14)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1933.3.4(昭8)第1次船舶改善助成施設により解体のため大阪海事(株)(大阪)に売却
1933.5.19(昭8)解体

SNo.99 常陸丸 (1) HITACHI MARU (1898)

常陸丸
常陸丸 Hitachi Maru
2331/HNST 貨客船 6,172G/T 起工 1896.12.21(明29) 進水 1898.4.16(明31) 竣工 1898.8.16(明31)
Lpp 135.64(445'-0") B 14.99(49'-2") D 10.21(33'-6") m 主機 R 311/3,847HP 2基 14.18kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.99 神奈川丸型 日本郵船株式会社(東京)
常陸丸 HITACHI MARU
1904.6.15(明37)日露戦争中、玄界灘でロシア艦GROMOBOIの砲撃を受けて沈没

SNo.101 月島丸 TSUKISHIMA MARU (1898)

月島丸
月島丸 Tsukishima Maru
造船奨励法の適用第2船。北海道炭礦汽船の年譜によると、明治33年(1900)11月13日、雇船月島丸室蘭港を出帆したるまま行方不明となる、とある。
2053/HMQG 練習船 1,519G/T 起工 1897.7.20(明30) 進水 1898.3.12(明31) 竣工 1898.5.31(明31)
Lpp 72.54(238'-0") B 11.73(38'-6") D 7.39(24'-3") m 主機 R 3連成 59NHP/303IHP 1基 8.57kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.101 東京商船学校(横浜)
月島丸 TSUKISHIMA MARU 帆船(3檣バーク型)
1900.11(明33)室蘭から清水に向け航行中、荒天のため駿河湾内石花海付近で沈没と認定

SNo.102 阿波丸 (1) AWA MARU (1899)

阿波丸
阿波丸 Awa Maru
4181/JBMR 貨客船 6,309G/T 起工 1898.6.20(明31) 進水 1899.7.26(明32) 竣工 1899.11.14(明32)
Lpp 135.64(445'-0") B 14.98(49'-2") D 10.21(33'-6") m 主機 R 3連成 311/4,080HP 2基 14.03kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.102 若狹丸型 日本郵船株式会社(東京)
阿波丸 AWA MARU 船客 1等)26 2等)20 3等)192
1917.8(大6)坡土西航路に就航
1930.8.9(昭5)売却。売却先不詳。昭和6年南米に3航海(ただし船名録からは削除済)
1937.7(昭12)解体

豐浦丸型 2隻 TOYOURA MARU Class (1899)

豐浦丸
豐浦丸 Toyoura Maru

大阪商船時代
渡船 Lpp 41.15(135'-0") B 7.01(23'-0") D 2.82(9'-3") m 主機 R 3連成 2基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 山陽鐵道株式会社(赤間關)
Sno.112 豐浦丸 TOYOURA MARU 4817/JFDM 322G/T 347IHP 10.347kt
起工 1898.9.25(明31) 進水 1899.7.9(明32) 竣工 1899.8.17(明32) 豐浦丸 TOYOURA MARU 船客 2等)116 3等)146
1903.2.4(明36)大阪商船(株)(大阪)に売却
1914.11.1(大3)攝陽商船(株)(大阪)に売却
1926.2.18(大15)九州汽船(株)(長崎)に売却
1928.7(昭3)社名変更に伴い九州商船(株)(長崎)に移籍
1933.6.16(昭8)岸本熊一(広島・木ノ江)に売却
1934.11(昭9)大阪港で台風のため他船に接触、沈没
Sno.113 馬關丸 BAKAN MARU 4818/JFDN 321G/T 320IHP 10.585kt
起工 1899.2.15(明32) 進水 1899.7.9(明32) 竣工 1899.8.30(明32) 馬關丸 BAKAN MARU
1902(明35)船名録より削除

第一玉浦丸型 3隻 TAMAURA MARU No.1 Class (1899)
汽艇 Lpp 13.72(45'-0") B 3.05(10'-0") D 1.63(5'-4") m 主機 R 2連成 1基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 宇品陸軍補給廠
Sno.118 第一玉浦丸 TAMAURA MARU No.1 17G/T 55IHP
起工 1899.2.1(明32) 進水 1899.5.28(明32) 竣工 1899.7.1(明32) 第一玉浦丸 TAMAURA MARU No.1
Sno.119 第二玉浦丸 TAMAURA MARU No.2 17G/T 55IHP
起工 1899.2.1(明32) 進水 1899.6.16(明32) 竣工 1899.7.1(明32) 第二玉浦丸 TAMAURA MARU No.2
Sno.120 第三玉浦丸 TAMAURA MARU No.3 17G/T 55IHP
起工 1899.2.1(明32) 進水 1899.6.21(明32) 竣工 1899.7.1(明32) 第三玉浦丸 TAMAURA MARU No.3

SNo.109 飽浦丸 AKUNOURA MARU (1900)

飽浦丸
飽浦丸 Akunoura Maru

長崎造船所立神船台で建造中の飽浦丸
貨物船 1,717G/T 起工 1898.9.5(明31) 進水 1899.11.27(明32) 竣工 1900.1.20(明33)
Lpp 79.25(260'-0") B 11.28(37'-0") D 5.79(19'-0") m 主機 R 3連成 1,365IHP 1基 11.526kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.109 三菱合資会社
飽浦丸 AKUNOURA MARU

SNo.110 深江丸 FUKAE MARU (1899)
浚渫船 230G/T 起工 1898.9.14(明31) 進水 1898.12.3(明31) 竣工 1899.2.14(明32)
Lpp 36.58(120'-0") B 7.92(26'-0") D 2.59(8'-6") m 主機 R 2連成 123IHP 1基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.110 高田商会
深江丸 FUKAE MARU

大亭丸型 2隻 TA HUNG MARU Class (1900 - 1901)

大亭丸
大亭丸 Ta Hung Maru
旅客船 Lpp 82.30(270'-0") B 12.19(40'-0") D 3.81(12'-6") m 大亭丸(1)型 大阪商船株式会社(大阪)
Sno.121 大亭丸 (1) TA HUNG MARU 6871→9676/JCQS→JTVF 2,243G/T
主機 R 3連成 1,500NHP/2,216IHP 2基 13.182kt
起工 1899.8.11(明32) 進水 1900.6.9(明33) 竣工 1900.7.30(明33)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 大亭丸 TA HUNG MARU
1904.1(明37)揚子江の鎮江上流で火災。Boyd & Co.,Shanghaiに売却、修理、改造
1905.5(明38)大阪商船(株)(大阪)に売却、大福丸 TAIFUKU MARU と改名
1907.3(明40)日清汽船(株)(東京)の設立に伴い移籍、大福丸 TAFOO MARU と改名
1933.5(昭8)第1次船舶改善助成施設により解体のため売却
Sno.132 大貞丸 TA CHANG MARU 7070/JDBH→JAGE 2,780G/T
主機 R 3連成 185NHP/2,477IHP 2基 12.902kt
起工 1900.5.29(明33) 進水 1901.8.3(明34) 竣工 1901.10.3(明34)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 大貞丸 TA CHANG MARU 大亨丸とは深さが異なる
1907.3(明40)日清汽船(株)(東京)に売却
1937.8.15(昭12)支那軍に拿捕。その後残骸が発見され修理
1939.11(昭14)東亞海運(株)(東京)に売却
1943.12.29(昭18)安慶下流(30.30N,117.00E)で空爆により沈没
大貞丸
大貞丸 Ta Chang Maru

SNo.122 江浦丸 ENOURA MARU (1900)

江浦丸
江浦丸 Enoura Maru
三菱合資が建造した小型の貨物船。後に葛原猪平が購入して冷蔵船に改造した。葛原冷蔵が解散後は担保流れ物件として売りに出されていたのを日魯漁業が購入し、その後転売を重ねて太平洋戦争後まで活躍した。
4979/JFTD→JZCB 貨物船 643G/T 起工 1899.9.11(明32) 進水 1900.8.4(明33) 竣工 1900.9.1(明33)
Lpp 53.34(175'-0") B 10.06(33'-0") D 3.81(12'-6") m 主機 R 3連成 431IHP 1基 8.795kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.122 三菱合資会社(長崎)
江浦丸 ENOURA MARU
1921(大10)葛原猪平(東京)に売却、冷蔵運搬船に改造
1925(大14)葛原冷蔵(株)(東京)に移籍
1928(昭3)(株)藤本ビルブローカ銀行(東京)に売却
1929(昭4)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1931(昭6)泉谷義一(横浜)に売却
1932.11.17(昭8)(株)林兼商店(横浜)に売却
1933(昭8)第六播州丸 Banshu Maru No.6 と改名
1943(昭18)西大洋漁業(東京)に移籍
1945.12.15(昭20)大洋漁業(株)(下関)に移籍
1945(昭20)SCAJAP No.B009
1953(昭28)大阪で解体

大瀬戸丸型 2隻 OSETO MARU Class (1901)

大瀬戸丸
大瀬戸丸 Oseto Maru
渡船 Lpp 30.48(100'-0") B 6.10(20'-0") D 2.59(8'-6") m 主機 R 3連成 2基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 山陽鐵道株式会社(下関)
Sno.135 大瀬戸丸 OSETO MARU 6834/JKVC 189G/T 145IHP 8.202kt
起工 1900.9.2(明33) 進水 1901.2.16(明34) 竣工 1901.5.14(明34) 大瀬戸丸 OSETO MARU
1906.12.1(明39)逓信省鐵道局(東京)に移籍
1908.12.5(明41)大蔵省(鐵道院)(東京)に移籍
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1920.12(大9)彌山丸 MISEN MARU と改名
1920.12.27(大9)宮島航路に就航
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1951(昭26)日本国有鉄道(東京)の所有
Sno.136 下ノ關丸 SHIMONOSEKI MARU 6833/JKVB 189G/T 28D/W 145IHP 8.018kt
起工 1900.9.2(明33) 進水 1901.2.16(明34) 竣工 1901.5.14(明34) 下ノ關丸 SHIMONOSEKI MARU
1906.12.1(明39)逓信省鐵道局(東京)に移籍
1908.12.5(明41)大蔵省(鐵道院)(東京)に移籍
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1920.12(大9)七浦丸 NANAURA MARU と改名
1920.12.27(大9)宮島航路に就航

加賀丸型 2隻 KAGA MARU Class (1901)

加賀丸
加賀丸 Kaga Maru
明治32年(1899)7月北米航路が欧州航路と共に政府の特定助成航路に指定されたのを受けて新造された。主要寸法と外観は欧州航路の信濃丸とほぼ同じだが出力の増加に伴い速力がアップしている。さらに予備船として一回り大きい安藝丸が建造された。
貨客船 Lpp 135.64(445'-0") B 14.99(49'-2") D 10.21(33'-6") m 主機 R 3連成 2基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
Sno.123 加賀丸 (1) KAGA MARU 6542/JPKN 6,301G/T 311NHP/5,365IHP 15.1kt
起工 1899.9.27(明32) 進水 1901.1.26(明34) 竣工 1901.5.15(明34) 加賀丸 KAGA MARU 船客 1等)36 2等)16 3等)168
1934.6.29(昭9)第1次船舶改善助成施設により解体
Sno.125 伊豫丸 (1) IYO MARU 7577/JNTD 6,320G/T 311/5,363HP 15.4kt
起工 1899.12.12(明32) 進水 1901.8.24(明34) 竣工 1901.11.16(明34) 伊豫丸 IYO MARU 船客 1等)36 2等21 3等)168
1933.5.26(昭8)第1次船舶改善助成施設により解体のため売却
1933.9.15(昭8)解体
伊豫丸
伊豫丸 Iyo Maru

SNo.138 第二洞海丸 DOKAI MARU No.2 (1901)
6857/JKWC 浚渫船 495G/T 起工 1901.1.12(明34) 進水 1901.6.2(明34) 竣工 1901.8.9(明34)
Lpp 45.72(150'-0") B 10.06(33'-0") D 3.66(12'-0") m 主機 R 2連成 513IHP 1基 8.054kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.138 若松築港株式会社(若松)
第二洞海丸 DOKAI MARU No.2 汽機はLobnitz & Co.製 Lobnitz & Co., Renfrew, Scotland Sno.514
1907(明40)日本製鋼所(室蘭)に売却
1908(明41)井上 角五郎(室蘭)に売却
1909(明42)Lloyd's Register 1909-1910年版より削除
1910(明43)山内 萬壽治(室蘭)に売却
1916(大5)大正5年版船名録より削除

SNo.139 第三洞海丸 DOKAI MARU NO.3 (1901)

第三洞海丸
第三洞海丸 Dokai Maru No.3
6866/JMGV→JIEF 浚渫船 495G/T 起工 1901.2.18(明34) 進水 1901.9.18(明34) 竣工 1901.10.19(明34)
Lpp 45.72(150'-0") B 10.06(33'-0") D 3.66(12'-0") m 主機 R 72NHP/72IHP 1基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.139 若松築港株式会社(若松)
第三洞海丸 DOKAI MARU NO.3 汽機はLobnitz & Co.製 Lobnitz & Co., Renfrew, Scotland Sno.515
1908(明41)三菱(合)会社(神戸)に売却
1914(大3)若松築港(株)(若松)に売却
1930(昭5)Lloyd's Register 1930-1931年版より削除
1943(昭18)昭和18年版船名録より削除

SNo.126 大浦丸 OURA MARU (1902)

大浦丸
大浦丸 Oura Maru
7828/JPNH 救助船 713G/T 起工 1901.1.6(明34) 進水 1901.12.21(明34) 竣工 1902.4.16(明35)
Lpp 56.69(186'-0") B 8.84(29'-0") D 4.93(16'-2") m 主機 R 3連成 65NHP/687IHP 1基 10/12.294kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.126 三菱合資会社(長崎)
大浦丸 OURA MARU
1918(大7)日本海事工業(株)(西宮)に売却
1925(大14)帝國サルヴェージ(株)(西宮)に売却
1934.9.21(昭9)日本サルヴェージ(株)(東京)の設立に伴い移籍
1936.10.22(昭11)樺太方面で座礁した日之出汽船の貨物船相洲丸を函館へ曳航中、23:00頃荒天のため北海道天売島南方約20マイルにて機関室に浸水し沈没(同社記録による)

若松丸型 2隻 WAKAMATSU MARU Class (1902)

若松丸
若松丸 Wakamatsu Maru
三菱合資会社が中国の大冶鉱山(漢口)から八幡へ鉄鉱石を運搬するために建造した専用の貨物船。主機には4連成レシプロ機関を搭載。大冶丸には巡洋艦型船尾が採用された。
貨物船 Lpp 97.54(320'-0") B 12.80(42'-0") D 7.62(25'-0") m 主機 R 4連成 1基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 三菱合資会社(東京)
Sno.131 若松丸 WAKAMATSU MARU 7833/JPNR→JOTB 2,778G/T 221NHP/2,259IHP 9/12.591kt
起工 1900.5.16(明33) 進水 1902.2.13(明35) 竣工 1902.4.30(明35) 若松丸 WAKAMATSU MARU
1923.12.8(大12)近海郵船(株)(東京)に売却
1939(昭14)昭和起業(東京)に売却
1942(昭17)甘糟産業汽船(株)(東京)に売却
1944.2.29(昭19)東洋海運(東京)に売却
1945.6.24(昭20)大分県姫島の北西沖(33-47N, 131-31E)で触雷、沈没
1946.4.5(昭21)救難完了、解体
Sno.134 大冶丸 DAIYA MARU 7836/JPNV→JOIB 2,798G/T 221NHP/2,348IHP 9.5/13.238kt
起工 1900.2.23(明33) 進水 1902.4.26(明35) 竣工 1902.6.16(明35) 大冶丸 DAIYA MARU
1923.12.8(大12)近海郵船(株)(東京)に売却
1939(昭14)昭和起業(東京)に売却
1942(昭17)甘糟産業汽船(株)(東京)に売却
1944.2.29(昭19)東洋海運(東京)に売却
1945.11.17(昭20)北海道岩内沖で座礁、全損
大冶丸
大冶丸 Daiya Maru

SNo.142 安藝丸 (1) AKI MARU (1903)

安藝丸
安藝丸 Aki Maru
加賀丸型と同サイズながら船橋楼に遊歩甲板と短艇甲板を配置し、1等食堂の上には社交室を設けるなど旅客設備を拡充して旅客定員を増やした。
8544/JQWM 貨客船 6,444G/T 起工 1901.11.6(明34) 進水 1902.10.7(明35) 竣工 1903.2.16(明36)
Lpp 135.64(445'-0") B 14.99(49'-2") D 10.21(33'-6") m 主機 R 3連成 311/5,398HP 2基 15.36kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.142 日本郵船株式会社(東京)
安藝丸 AKI MARU 船客 1等) 50 2等)22 3等)174
1934.3.31(昭9)第1次船舶改善助成施設により解体のため売却
1934.7.4(昭9)大阪で解体

兒島丸型 2隻 KOJIMA MARU Class (1903)
渡船 Lpp 35.05(115'-0") B 6.10(20'-0") D 3.12(10'-3") m 主機 R 3連成 2基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 山陽鐵道株式会社(下関)
Sno.150 兒島丸 KOJIMA MARU 8272/JMKH 224G/T 354IHP 10.654kt
起工 1902.8.11(明35) 進水 1903.1.24(明36) 竣工 1903.3.12(明36) 兒島丸 KOJIMA MARU 船客 1等)12 2等)36 3等)98
1903(明36)四国連絡航路・尾道/多度津に就航
1906.12.1(明39)逓信省鐵道局(東京)に移籍
1908.12.5(明41)大蔵省(鐵道院)(東京)に移籍
1916.12.26(大5)牛ノ子礁で座礁
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
Sno.151 玉藻丸 TAMAMO MARU 8273/JMKL 224G/T 378IHP 10.692kt
起工 1902.8.11(明35) 進水 1903.1.24(明36) 竣工 1903.3.12(明36) 玉藻丸 TAMAMO MARU 船客 1等)12 2等)36 3等)98
1903(明36)四国連絡航路・岡山/高松に就航
1906.12.1(明39)逓信省鐵道局(東京)に移籍
1908.12.5(明41)大蔵省(鐵道院)(東京)に移籍
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
玉藻丸
玉藻丸 Tamamo Maru

芝罘丸型 2隻 CHIFOO MARU Class (1903)

芝罘丸
芝罘丸 Chifoo Maru
日本郵船の神戸北清線に新造投入された貨客船。
貨客船 Lpp 78.03(256'-0") B 11.13(36'-6") D 4.98(16'-4") m 主機 R 3連成 1基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
Sno.146 芝罘丸 CHIFOO MARU 8757/JQWT 1,934G/T 1,540IHP 12.356kt
起工 1901.11.27(明34) 進水 1902.12.24(明35) 竣工 1903.3.27(明36) 芝罘丸 CHIFOO MARU
1923.3.31(大12)近海郵船(株)(東京)へ出資
1935.1.8(昭10)芝園丸 SHIBAZONO MARU と改名
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1945.1.3(昭20)小笠原の父島から東京に向け航行中、伊豆諸島鳥島の東約100浬(30.21N,142.13E)で米潜KINGFISH(SS-234)の雷撃により沈没
Sno.149 營口丸 YEIKO MARU 8780/JRGN 1,966G/T 1,930IHP 12.884kt
起工 1902.6.17(明35) 進水 1903.6.22(明36) 竣工 1903.8.31(明36) 營口丸 YEIKO MARU
1923.3.31(大12)近海郵船(株)(東京)に出資
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(東京)に移籍
1944.10.24(昭19)マニラから高雄に向け航行中、高雄の南西約150浬(20.35N,118.32E)で米潜KINGFISH(SS-234)の雷撃により沈没
營口丸
營口丸 Yeiko Maru

SNo.147 新潟丸 (2) NIIGATA MARU (1903)

新潟丸
新潟丸 Niigata Maru
重量物運搬用として特に設計された貨客船。前部船艙は大型重量物を搭載するため単甲板とし第2艙口上に大型のシアレッグを設け自力で重量貨物の揚げ下ろしができるようになっていた。
8780/JRGB 貨客船 2,184G/T 起工 1902.4.7(明35) 進水 1903.5.9(明36) 竣工 1903.6.29(明36)
Lpp 85.04(279'-0") B 12.04(39'-6") D 7.09(23'-3") m 主機 R 3連成 1,577IHP 1基 12.309kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.147 日本郵船株式会社(東京)
新潟丸 NIIGATA MARU
1918.11.13(大7)近海航路・大阪漢口線に就航
1923.3.31(大12)近海郵船(株)(東京)に出資
1939.8.12(昭14)東亞海運(株)(東京)に出資
1948(昭23)平安汽船(株)(京都)に売却
1951(昭26)船名録より削除

SNo.148 日光丸 NIKKO MARU (1903)

日光丸
日光丸 Nikko Maru
春日丸型の上海航路転配による代船として建造された貨客船。船型は春日丸型の拡大改良型で、当時の快速船。室内の装飾には日本美術を採用した。
8908/JNFG→JNLD 貨客船 5,539G/T
起工 1902.4.11(明35) 進水 1903.9.23(明36) 竣工 1903.12.26(明36)
Lpp 128.02(420'-0") B 15.24(50'-0") D 9.30(30'-6") m 主機 R 360/6,694HP 1基 17.77kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.148 日本郵船株式会社(東京)
日光丸 NIKKO MARU 船客 1等)90, 2等)24, 3等)158
1939.8.12(昭14)東亞海運(株)(東京)に出資
1945.4.9(昭20)山東半島沖(36.46N,126.36E)で米潜TIRANTE(SS-420)の雷撃により沈没

SNo.152 錫蘭丸 CEYLON MARU (1904)

錫蘭丸
錫蘭丸 Ceylon Maru

パナマ運河を通過中
国産初の本格的な純貨物船。
8914/JNFQ 貨物船 5,068G/T 起工 1902.10.21(明35) 進水 1903.12.19(明36) 竣工 1904.2.22(明37)
Lpp 117.35(385'-0") B 14.78(48'-6") D 9.07(29'-9") m 主機 R 3連成 3,797IHP 1基 14.102kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.152 日本郵船株式会社(東京)
錫蘭丸 CEYLON MARU
1931.4.1(昭6)近海郵船(株)(東京)に売却
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(東京)に移籍
1944.2.27(昭19)高雄から六連に向け航行中、長崎県男女群島の南西40浬(31.35N,127.47E)で米潜GRAYBACK(SS-208)の雷撃により沈没

SNo.153 大禮丸 DAIREI MARU (1904)

大禮丸
大禮丸 Dairei Maru
8981/JNDT 貨客船 1,199G/T 1,560D/W
起工 1903.4.6(明36) 進水 1904.2.27(明37) 竣工 1904.5.3(明37)
Lpp 64.62(212'-0") B 9.60(31'-6") D 6.10(20'-0") m 主機 R 3連成 106NHP/1,378IHP 1基 10/12.749kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.153 大阪商船株式会社(大阪)
大禮丸 DAIREI MARU
1914.3.30(大3)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1924.7.27(大13)大泊から小樽に向け航行中、樺太西能登呂沖で濃霧のため岸本汽船の神邦丸と衝突、沈没

SNo.154 鵲丸 KASASAGI MARU (1904)
曳船 42G/T 起工 1903.5.14(明36) 進水 1903.12.24(明36) 竣工 1904.1.22(明37)
Lpp 18.29(60'-0") B 4.57(15'-0") D 2.13(7'-0") m 主機 R 2連成 93IHP 1基 9.328kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.154 三菱合資会社
鵲丸 KASASAGI MARU 長崎造船所用

SNo.157 長白山丸 CHOHAKUSAN MARU (1904)

長白山丸
長白山丸 Chohakusan Maru
船舶部創設後の初の自社設計船。日露戦役中、事故により喪失。
8835/JRHS 貨物船 2,030G/T 起工 1903.7.9(明36) 進水 1904.8.21(明37) 竣工 1904.10.14(明37)
Lpp 85.34(280'-0") B 11.56(37'-11") D 6.55(21'-6") m 主機 R 3連成 1,880IHP 1基 12.072kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.157 三井物産株式会社船舶部(神戸)
長白山丸 CHOHAKUSAN MARU
1905.10.20(明38)門司から室蘭に向けて航行中、荒天のため男鹿半島白碕の北西0.5哩沖の岩礁に乗り上げ破壊。横浜で競売処分

SNo.141 初加勢 HATUKAZE (1903)

初加勢
初加勢 Hatukaze
ヨット 80G/T 起工 1901.5.10(明34) 進水 1903.10.4(明36) 竣工 1903.11.26(明36)
Lpp (90'-0") B (17'-8") D (9'-9") m 主機 R 4連成 80IHP 1基 11.338kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.141 三菱合資会社
初加勢 HATUKAZE 献上船

SNo.156 丹後丸 (1) TANGO MARU (1905)

丹後丸
丹後丸 Tango Maru

Digital Library from the Meiji Era
安藝丸を更に拡大改良した貨客船。船橋楼甲板を第2艙口の後方まで延長したことにより旅客定員が増加した。
9330/JTBG→JTGD 貨客船 7,463G/T 起工 1903.6.8(明36) 進水 1904.12.12(明37) 竣工 1905.4.22(明38)
Lpp 135.64(445'-0") B 15.85(52'-0") D 10.21(33'-6") m 主機 R 3連成 396NHP/6,424IHP 2基 15.612kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.156 日本郵船株式会社(東京)
丹後丸 TANGO MARU 船客 1等)90 2等)26 3等)158
1943.9.19(昭18)奄美大島の名瀬港で台風を避難中に座礁、11月3日潜水艦の雷撃を受け大破
1944.5.31(昭19)船体放棄

SNo.163 大亨丸 TA HUNG MARU (1905)

大亨丸
大亨丸 Ta Hung Maru
9438/JTDK→JAPE 旅客船 2,836G/T 起工 1904.4.6(明37) 進水 1905.3.27(明38) 竣工 1905.6.9(明38)
Lpp 70.10(230'-0") B 12.19(40'-0") D 3.05(10'-0") m 主機 R 3連成 1,428IHP 2基 10.24kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.163 大阪商船株式会社(大阪)
大亨丸 TA HUNG MARU
1907.3(明40)日清汽船(株)(東京)に売却
1933.9.30(昭8)解体

壹岐丸型 2隻 IKI MARU Class (1905)

壹岐丸
壹岐丸 Iki Maru
渡峡船 Lpp 79.25(260'-0") B 10.97(36'-0") D 6.71(22'-0") m 主機 R 3連成 2基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 山陽鐵道株式会社(下関)
Sno.170 壹岐丸 IKI MARU 9043/JMNG→JJXE 1,681G/T 762D/W 185NHP/2,422IHP 14.966kt
起工 1904.5.31(明37) 進水 1905.6.19(明38) 竣工 1905.9.5(明38) 壹岐丸 IKI MARU 船客 1等)18 2等)64 3等)430 SCAJAP No.K025
1905.9.11(明38)関釜航路に就航
1906(明39)逓信省鐵道局(下關)に移籍
1908.12.5(明41)大蔵省(鐵道院)(東京)に移籍
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1922.11.18(大11)凾航路に就航
1924(大13)神戸製鋼所播磨造船工場(相生)で耐氷設備工事
1924.4.19(大13)凾航路終航
1924.7.25(大13)稚泊航路へ転配
1932.2.14(昭7)大阪商船(株)(大阪)に売却
1937.3.26(昭12)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1937.4.25(昭12)樺太丸 KARAFUTO MARU と改名、稚内/本斗連絡線に就航
1943.11.16(昭18)合併に伴い大阪商船(株)(大阪)に移籍
1950.12.25(昭25)運輸省(東京)に売却、同年楢崎造船所(室蘭)で解体
Sno.171 對馬丸 TSUSHIMA MARU 9048/JMNP 1,679G/T 2,311IHP 14.933kt
起工 1904.5.31(明37) 進水 1905.8.27(明38) 竣工 1905.10.26(明38) 對馬丸 TSUSHIMA MARU
1905.11.1(明38)関釜航路に就航
1906(明39)逓信省鐵道局(下關)に移籍
1908.12.5(明41)大蔵省(鐵道院)(下関→東京)に移籍
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1923.4.19(大12)浦賀船渠で耐氷設備工事開始、同年6.6稚内入港
1925.12.17(大14)旅客188名を乗せて稚内入港の際、吹雪のため野寒灯台下に座礁、航行不能となったが船客、乗組員に異常なし

SNo.172 大信丸 DAISHIN MARU (1905)

大信丸
大信丸 Daishin Maru
9742/JVFW→JKHE 貨客船 1,304G/T 1,470D/W
起工 1904.7.13(明37) 進水 1905.10.16(明38) 竣工 1905.12.23(明38)
Lpp 69.49(228'-00") B 10.36(34'-00") D 5.94(19'-06") m 主機 R 3連成 1,356IHP 1基 12.202kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.172 大智丸型 大阪商船株式会社(大阪)
大信丸 DAISHIN MARU 船客 1等)6 2等)27 3等)104
1906.2.25(明39)大阪天津線に就航
1942.3(昭17)関西汽船(株)(大阪)の設立に伴い移籍
1945.3.10(昭20)那覇沖(26.20N,127.40E)で空爆により沈没



大智丸と同様に客室増設後の姿

SNo.174 鐵嶺丸 TETSUREI MARU (1906)

鐵嶺丸
鐵嶺丸 Tetsurei Maru
9912/JVSR 貨客船 2,143G/T 2,118D/W
起工 1904.9.8(明37) 進水 1905.12.27(明38) 竣工 1906.4.7(明39)
Lpp 85.34(280'-0") B 12.19(40'-0") D 7.01(23'-0") m 主機 R 3連成 179NHP/2,715IHP 1基 14.772kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.174 開城丸型 大阪商船株式会社(大阪)
鐵嶺丸 TETSUREI MARU
1910.7.22(明43)大連から内地に向け航行中、濃霧のため朝鮮竹島灯台付近で座礁、沈没

城津丸型 2隻 JOSHIN MARU Class (1906)
朝鮮航路用の貨客船。両船ともほぼ同じ工期で建造されたが竣工時の就航航路は不詳。馬山丸は明治43年(1910)5月には大阪沖縄線に就航している。
貨客船 Lpp 64.62(212'-0") B 9.91(32'-6") D 6.10(20'-0") m 主機 R 3連成 1基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 大阪商船株式会社(大阪)
Sno.177 城津丸 JOSHIN MARU 10146/JVTQ 1,244G/T 1,030IHP 12.337kt
起工 1904.11.18(明37) 進水 1906.4.10(明39) 竣工 1906.6.2(明39) 城津丸 JOSHIN MARU
1919.4.29(大8)中国の汕頭沖で座礁、沈没
Sno.178 馬山丸 MASAN MARU 10153/JWVD 1,244G/T 1,189IHP 12.73kt
起工 1904.11.18(明37) 進水 1906.4.28(明39) 竣工 1906.6.25(明39) 馬山丸 MASAN MARU
1912.2.11(明45)真岡から海馬島に向け航行中、降雪、潮流のため海馬島沖ノ瀬南東で座礁、大破、委付
馬山丸
馬山丸 Masan Maru

SNo.184 白鷺丸 SHIRASAGI MARU (1906)
曳船 91G/T 起工 1905.4.24(明38) 進水 1906.1.27(明39) 竣工 1906.4.6(明39)
Lpp 21.95(72'-0") B 5.49(18'-0") D 2.74(9'-0") m 主機 R 2連成 151IHP 1基 7.75kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.184 三菱合資会社
白鷺丸 SHIRASAGI MARU 長崎造船所用

SNo.185 和田丸 WADA MARU (1905)
曳船 104G/T 起工 1905.5.27(明38) 進水 1905.12.14(明38) 竣工 1905.12.29(明38)
Lpp 24.38(80'-0") B 5.49(18'-0") D 2.74(9'-0") m 主機 R 2連成 148IHP 1基 8.628kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.185 三菱合資会社
和田丸 WADA MARU 神戸造船所用

SNo.189 小笠原丸 OGASAWARA MARU (1906)

小笠原丸
小笠原丸 Ogasawara Maru
10089/JWRQ 海底電線布設船 1,456G/T
起工 1905.6.13(明38) 進水 1906.6.2(明39) 竣工 1906.8.15(明39)
Lpp 74.14(243'-3") B 10.36(34'-0") D 6.78(22'-3") m 主機 R 3連成 1,789IHP 2基 13.085kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.189 逓信省(東京)
小笠原丸 OGASAWARA MARU L:243'-3 1/2"
1945.8.22(昭20)樺太からの引揚げ邦人数百名を乗せ帰航中、増毛湾沖で国籍不明の潜水艦の雷撃により沈没

SNo.188 常陸丸 (2) HITACHI MARU (1906)

常陸丸
常陸丸 Hitachi Maru
日露戦争中に喪失した先代の常陸丸の代船として建造。船体は北米航路用の加賀丸型とほぼ同型。第1次世界大戦中に喪失。
10577/LCBS 貨客船 6,716G/T 起工 1905.6.19(明38) 進水 1906.9.22(明39) 竣工 1906.12.12(明39)
Lpp 135.64(445'-0") B 15.85(52'-0") D 10.21(33'-6") m 主機 R 3連成 5,475IHP 2基 15.676kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.188 日本郵船株式会社(東京)
常陸丸 HITACHI MARU
1917.9.26(大6)第1次世界大戦中、欧州への往航途中にドイツの仮装巡洋艦WOLF に拿捕されインド洋(16.36S,59.7E)で11月8日に爆沈

天洋丸型 3隻 TENYO MARU Class (1908 - 1911)

天洋丸
天洋丸 Tenyo Maru
ハリマン系の汽船会社の船隊に対抗して計画された大型貨客船。日本丸型建造の時とは異なり国内で建造することが国策に適するため三菱造船所に発注、建造費に関しては工賃のみを三菱が請け負い、材料は東洋汽船が英国から支給した。主機に英国パーソンス社より輸入したタービンを採用。淺野総一郎は外国から安い原油を輸入精製し、その重油を燃料にすることを考えていたがその後の原油関税引き上げにより汽缶を石炭専焼にせざるを得なくなった。空気暖房機、テレモーター操舵機、クォードラントダビット、電動隔壁扉、電気賄器具などの諸設備を有し、居間、寝室、浴室を一組にした特別室やラウンジも邦船では初めて設けられ、室内装飾はアール・ヌーボー様式で施工された。春洋丸は前2船と比べ内装は質素になり外観上も船尾の舵が水線上に露出している等の相違点がある。主機は三菱がパーソンス社よりライセンスを取得して製造した最初のものであり、ボイラは最初から石炭焚きであった。春洋丸はわが国では初めて短波無線送受信装置を採用した。
貨客船 Lpp 167.64(550'-0") B 19.20(63'-0") D 11.73(38'-6") m
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 東洋汽船株式会社(東京)
Sno.190 天洋丸 (1) TENYO MARU 11070/LFKB 13,454G/T 9,950D/W
主機 T Parsons 直結 19,000SHP 3基 20.6kt
起工 1905.6.23(明38) 進水 1907.9.14(明40) 竣工 1908.4.22(明41) 天洋丸 TENYO MARU 船客 1等)249 2等)73 3等)600
1908.6.2(明41)桑港線へ就航
1926.3.10(大15)日本郵船(株)(東京)に移籍
1933.6.6(昭8)第1次船舶改善助成施設により解体のため東洋商事に売却
1933.12.24(昭8)淺野造船所で解体
Sno.191 地洋丸 CHIYO MARU 11592/LHCQ 13,426G/T
主機 T Parsons 直結 19,000SHP 3基 20.6kt
起工 1905.6.23(明38) 進水 1907.12.7(明40) 竣工 1908.11.21(明41) 地洋丸 CHIYO MARU 船客 1等249 2等)73 3等)249
1908.11.30(明41)桑港線へ就航
1916.3.31(大5)マニラより香港向け航行中、担杆(タンカン)島北東端で座礁、のちに解体
地洋丸
地洋丸 Chiyo Maru

賀茂丸型 4隻 KAMO MARU Class (1908 - 1909)

賀茂丸
賀茂丸 Kamo Maru
欧州航路に就航した神奈川丸型、若狹丸型が航海奨励法所定の15年の制限船齢に達するため明治39年(1906)に計画された8,500総トン、速力15ノット級の貨客船。同型6船中4隻が三菱造船所、2隻が川崎造船所で建造された。
貨客船 Lpp 141.73(465'-0") B 17.22(56'-6") D 10.52(34'-6") m 主機 R 3連成 2基 日本郵船株式会社(東京)
Sno.195 賀茂丸 KAMO MARU 11082/LFKT→JKOB 8,524G/T 474NHP/7,582IHP 14/16.41kt
起工 1906.6.10(明39) 進水 1907.12.24(明40) 竣工 1908.7.10(明41)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 賀茂丸 KAMO MARU
1944.7.3(昭19)基隆から関門に向け航行中五島列島黄島富江沖の南南西9浬(32.25N,128.50E)で米潜TINOSA(SS-283)の雷撃により沈没
Sno.196 平野丸 HIRANO MARU 11591/LHCP 8,520G/T 7,582IHP 16.4kt
起工 1906.6.10(明39) 進水 1908.4.21(明41) 竣工 1908.12.1(明41)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 平野丸 HIRANO MARU
1918.10.4(大7)リバプールからケープタウンに向け航行中アイルランド南方60浬でドイツ潜水艦の雷撃により沈没
平野丸
平野丸 Hirano Maru
Sno.197 熱田丸 (1) ATSUTA MARU 11597/LHCV→JATD 8,523G/T 474NHP/7,582IHP 16.4kt
起工 1906.6.10(明39) 進水 1908.10.21(明41) 竣工 1909.3.5(明42)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 熱田丸 ATSUTA MARU
1942.5.30(昭17)門司から高雄に向け航行中沖縄の東65浬(26-22N,129-10E)で米潜POMPANO(SS-181)の雷撃を受け大破、炎上。同6.3中城湾の東で沈没
熱田丸
熱田丸 Atsuta Maru
Sno.198 北野丸 (1) KITANO MARU 11609/LHDQ→JKND 8,512G/T 474NHP/7,582IHP 14/16.4kt
起工 1906.6.10(明39) 進水 1909.1.24(明42) 竣工 1909.4.28(明42)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 北野丸 KITANO MARU
1942.3.7(昭17)高雄からルソン島セント・トーマスに向け航行中ルソン島リンガエン湾(16.11N,120.19E)で触雷沈没
北野丸
北野丸 Kitano Maru

SNo.194 さくら丸 SAKURA MARU (1908)

さくら丸
さくら丸 Sakura Maru

各社社史や当時の新聞において本船は櫻丸、うめが香丸は梅ヶ香丸、
さかき丸は榊丸と記載されている例がある
帝國海事協會が建造した義勇艦の第1艦。平時は旅客船として臺灣航路に使用し、戦時には6インチ砲2門及び12ポンド砲6門を搭載して快速力を利用して偵察、巡邏の任務につく計画であった。高速力を得るために主機には国産第1号のパーソンス直結タービンを3基搭載し、汽罐は当時、日本海軍で採用されていた宮原式水管汽罐を装備した。また汽機、汽罐、操舵機等を水面下に配置し、舷側の石炭庫で砲弾の防御とする等の構造を有していた。しかし商船としては冬季航海での船体の動揺が激しいといった運航上の無理があり、民間に売却後に貨物船に改造され、主機を換装して速力も低下し、外観も1本煙突となった。
11088/LFMH 義勇艦 3,205G/T 起工 1906.7.9(明39) 進水 1908.6.6(明41) 竣工 1908.10.9(明41)
Lpp 102.11(335'-0") B 13.11(43'-0") D 7.24(23'-9") m 主機 T 三菱Parsons 直結 9,000SHP 3基 21.392kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.194 帝國海事協會(東京)
さくら丸 SAKURA MARU
1909.2(明42)大阪商船の神戸/基隆線に就航
1911(明44)鐵道省の関釜連絡航路に就航。返船後、長崎港に係船
1917(大6)白洋汽船(株)(神戸)に売却、五洋丸 GOYO MARU と改名(*1)
1917.8(大6)日本郵船の坡土西航路に就航
1918(大7)横濱船渠(横浜)で貨物船に改造、主機を3連成、2基(1,820馬力)に換装、2軸となる(*1)
1921(大10)靱商船(株)(大阪)に売却
1931(昭6)海難により喪失。山高五郎氏の調査によると昭和4年(1929)カムチャッカ半島東岸の漁場へ漁夫と物資を輸送中に座礁し除籍されたとある

SNo.206 うめが香丸 UMEGAKA MARU (1909)

うめが香丸
うめが香丸 Umegaka Maru
12198/LJWT 義勇艦 3,273G/T 起工 1907.12.29(明40) 進水 1909.3.27(明42) 竣工 1909.7.6(明42)
Lpp 102.11(335'-0") B 13.11(43'-0") D 7.24(23'-9") m 主機 T 三菱Parsons 直結 9,000SHP 3基 21.315kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.206 帝國海事協會(東京)
うめが香丸 UMEGAKA MARU
1910.2(明43)鐵道院の函航路に就航
1911.1.20(明44)鐵道院の関釜航路に就航
1912.9.22(明45)釜山から門司へ帰港後、大里沖で停泊中、荒天のため浸水、転覆沈没
1913.5.18(大2)三菱神戸造船所が浮揚し、のちに解体

SNo.210 女島丸 MEJIMA MARU (1910)
トロール漁船 226G/T 起工 1910.6.25(明43) 進水 1910.11.28(明43) 竣工 1910.12.29(明43)
Lpp (108'-0") B (22'-0") D (12'-3") m 主機 R 3連成 455IHP 1基 10.043kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.210 山野邊商会
女島丸 MEJIMA MARU

SNo.211 鶴江丸 TSURUE MARU (1911)
トロール漁船 215G/T 起工 1910.6.27(明43) 進水 1911.1.4(明44) 竣工 1911.2.14(明44)
Lpp (110'-0") B (21'-2") D (11'-9") m 主機 R 3連成 488IHP 1基 10.366kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.211 汽船漁業株式会社
鶴江丸 TSURUE MARU

SNo.223 第二福富丸 FUKUTOMI MARU No.2 (1911)
トロール漁船 235G/T 起工 1911.4.18(明44) 進水 1911.10.26(明44) 竣工 1911.11.25(明44)
Lpp 34.14(112'-0") B 6.71(22'-0") D 3.73(12'-3") m 主機 R 3連成 437IHP 1基 10.06kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.223 橋本商会
第二福富丸 FUKUTOMI MARU No.2

SNo.224 富江丸 TOMIE MARU (1911)
トロール漁船 209G/T 起工 1911.4.18(明44) 進水 1911.11.23(明44) 竣工 1911.12.21(明44)
Lpp 33.53(110'-0") B 6.45(21'-2") D 3.58(11'-9") m 主機 R 3連成 573IHP 1基 10.705kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.224 汽船漁業株式会社
富江丸 TOMIE MARU

SNo.227 姫島丸 HIMESHIMA MARU (1912)
トロール漁船 235G/T 起工 1911.4.18(明44) 進水 1911.12.27(明44) 竣工 1912.1.27(明45)
Lpp 34.14(112'-0") B 6.71(22'-0") D 3.73(12'-3") m 主機 R 3連成 491IHP 1基 10.521kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.227 紀平合資
姫島丸 HIMESHIMA MARU

SNo.232 第一長崎丸 NAGASAKI MARU No.1 (1912)
14965/LVKN トロール漁船 257G/T 起工 1912.6.13(明45) 進水 1912.11.25(大1) 竣工 1912.12.16(大1)
Lpp 35.66(117'-0") B 6.71(22'-0") D 3.96(13'-0") m 主機 R 3連成 529IHP 1基 11.092kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.232 長崎トロール株式会社(長崎)
第一長崎丸 NAGASAKI MARU No.1

SNo.233 第二長崎丸 NAGASAKI MARU No.2 (1912)
14967/LVKP トロール漁船 257G/T 起工 1912.6.13(明45) 進水 1912.12.7(大1) 竣工 1912.12.25(大1)
Lpp 35.66(117'-0") B 6.71(22'-0") D 3.96(13'-0") m 主機 R 3連成 559IHP 1基 11.345kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.233 長崎トロール株式会社(長崎)
第二長崎丸 NAGASAKI MARU No.2

ぱなま丸型 3隻 PANAMA MARU Class (1910 - 1911)

ぱなま丸
ぱなま丸 Panama Maru
大阪商船の北米航路用の貨客船。川崎造船所で建造されたたこま丸型と同型だが主要寸法が若干異なる。
貨客船 Lpp 124.97(410'-0") B 15.62(51'-3") D 9.91(32'-6") m 主機 R 3連成 2基
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 大阪商船株式会社(大阪)
Sno.200 ぱなま丸 (1) PANAMA MARU 13084/LMHJ→JKPB 6,059G/T 5,173IHP 11.5/14.957kt
起工 1907.5.28(明40) 進水 1910.1.16(明43) 竣工 1910.4.30(明43) ぱなま丸 PANAMA MARU
1931.7(昭6)南洋航路・南洋線に就航
1935.9.28(昭10)南洋海運(株)(東京)の設立に伴い現物出資
1936(昭11)株式会社宮地商店(大阪)に売却
1937.5.24(昭12)栗林商船(株)(東京)に売却
1944.1.23(昭19福州沖(26.00N,119.30E)で空爆を受け、翌日沈没
Sno.201 めきしこ丸 (1) MEXICO MARU 13662/LMKD→JMXD 6,064G/T 5,206IHP 11.5/14.82kt
起工 1907.5.28(明40) 進水 1910.7.3(明43) 竣工 1910.10.12(明43) めきしこ丸 MEXICO MARU 表記はめきこ丸
1944.8.29(昭19)ホロ(2.15N,122.29E)で米潜JACK(SS-259)の雷撃により沈没
めきしこ丸
めきしこ丸 Mexico Maru
Sno.202 かなだ丸 (1) CANADA MARU 13690/LPSF→JCDD 6,064G/T 5,028IHP 11.5/14.85kt
起工 1907.5.28(明40) 進水 1911.1.11(明44) 竣工 1911.4.15(明44) かなだ丸 CANADA MARU
1931.7(昭6)南洋航路・基隆瓜哇線に就航
1935.10.28(昭10)南洋海運(株)(大阪)の設立に伴い現物出資
1936(昭11)宮地商店(大阪)に売却
1937.5.24(昭12)栗林商船(株)(東京)に売却
1939.1.30(昭14)八馬汽船(株)(西宮)に売却、第五多聞丸 TAMON MARU No.5 と改名
1943.5.7(昭18)三陸野田湾黒崎灯台北方(40.4N,141.57E)で米潜WAHOO(SS-238)の雷撃により沈没
かなだ丸
かなだ丸 Canada Maru

スラバヤ港

SNo.203 春洋丸 SHINYO MARU (1911)

春洋丸
春洋丸 Shinyo Maru
14316/LRMQ→JSHD 13,377G/T 10,434D/W
起工 1907.8.16(明40) 進水 1911.2.18(明44) 竣工 1911.8.15(明44)
Lpp 167.64(550'-0") B 19.20(63'-0") D 11.73(38'-6") m 主機 T 三菱Parsons 直結 19,000SHP 3基 20.2kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.203 天洋丸型 東洋汽船株式会社(東京)
春洋丸 SHINYO MARU 船客 1等)198 2等)70 3等)620
1911.8.30(明44)横浜港発桑港線に就航
1926.3.10(大15)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1936.10.1(昭11)解体のため甘粕産業(東京)に売却
1937.2.18(昭12)解体完了

SNo.204 紀洋丸 KIYO MARU (1910)

紀洋丸
紀洋丸 Kiyo Maru
12994/LKCF→JKYD 貨客船 9,287G/T 10,820D/W
起工 1907.6.12(明40) 進水 1909.10.3(明42) 竣工 1910.10.11(明43)
Lpp 143.26(470'-0") B 17.22(56'-6") D 10.06(33'-0") m 主機 R 3連成 309NHP/5,902IHP 1基 10/14kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.204 東洋汽船株式会社(東京)
紀洋丸 KIYO MARU 油槽船として起工されたが原油輸入関税引上げのため貨客船として竣工 船客:1等10 2等30 3等514
1920.6.16(大9)香港から南米に向け航行中、横浜港で停泊中に機関室からの出火により船体損傷。復旧工事の際に油槽船への艤装を実施
1935.1(昭10)東京シアリング(東京)に売却。第1次船舶改善助成施設に基づき、天洋丸(2代)の見合い解体船として解体

SNo.216 横濱丸 (2) YOKOHAMA MARU (1912)

横濱丸
横濱丸 Yokohama Maru

Digital Library from the Meiji Era
14812/LVFW→JYHD 貨客船 6,469G/T
起工 1910.10.25(明43) 進水 1912.1.30(明45) 竣工 1912.5.14(明45)
Lpp 121.92(400'-0") B 15.24(50'-0") D 9.14(30'-0") m 主機 R 3連成 311NHP/5,510IHP 2基 12/15.167kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.216 横濱丸型 日本郵船株式会社(東京)
横濱丸 YOKOHAMA MARU 船客 1等)28, 2等)-- ,3等)258
1942.3.10(昭17)ニューギニア島サラモア沖(6.40S,147.10E)で上陸作戦中に空爆により沈没

SNo.229 安洋丸 ANYO MARU (1913)

安洋丸
安洋丸 Anyo Maru
東洋汽船が南米移民輸送用に新造した南米線では初の本格的な貨客船。船型は覆甲板型でわが国で初めてギヤード・タービンを装備した船として知られる。
16282/MGBS→JAYD 貨客船 9,534G/T 12,515D/W
起工 1911.9.9(明44) 進水 1913.1.26(大2) 竣工 1913.6.3(大2)
Lpp 140.21(460'-0") B 18.29(60'-0") D 9.91(32'-6") m 主機 T 三菱Parsons S. G. 7,425SHP 2基 14/15.5kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.229 東洋汽船株式会社(東京)
安洋丸 ANYO MARU 船客 1等)40 2等)50 3等)546
1913(大2)南米線に就航
1926.3.19(大15)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1943.2.1(昭18)南洋海運(株)(東京)の事業施設拡充伴い現物出資
1945.1.8(昭20)台湾西岸(24.34N,120.37E)で米潜BARB(SS-220)の雷撃により沈没

SNo.230 香取丸 KATORI MARU (1913)

香取丸
香取丸 Katori Maru
日本郵船の欧州航路は賀茂丸型の就航により船質が一新されたがさらに増益が見込まれるために明治44年(1911)9月に三菱造船所と川崎造船所に1隻ずつ発注された1万500総トン級の貨客船。船型は賀茂丸型を拡大改良したものだが香取丸は主機のレシプロ機関の排気を利用したタービンを装備した。鹿島丸は川崎造船所で建造された同所初の1万総トン級の大型船である。公室の装飾は英国ウエアリング・アンド・ギロー社が担当した。
16494/MHWQ→JKRD 貨客船 10,513G/T 起工 1911.11.3(明44) 進水 1913.3.30(大2) 竣工 1913.9.11(大2)
Lpp 149.35(490'-0") B 18.59(61'-0") D 11.13(36'-6") m 主機 R&T 排気タービン付3連成 11,562IHP 2基 15.5/16.73kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.230 香取丸型 日本郵船株式会社(東京)
香取丸 KATORI MARU 船客 1等)112, 2等)56, 3等)186
1941.12.23(昭16)ボルネオ島北西岸クチン沖約5浬(1.55N,110.13E)で仮泊中にオランダ潜水艦K-14の雷撃により、翌日沈没

諏訪丸型 2隻 SUWA MARU Class (1914)

諏訪丸
諏訪丸 Suwa Maru
香取丸型に引き続いて大正元年(1912)9月に三菱造船所と川崎造船所に発注された1万2,000総トン級、速力16ノットの大型貨客船。諏訪丸の公室の装飾は香取丸と同様、英国ウエアリング・アンド・ギロー社によりクラシカルな様式、伏見丸は桃山風の日本趣味が盛り込まれた。八坂丸は第1次世界大戦中の大正4年に地中海でドイツ潜水艦の雷撃により沈没、乗員乗客は全員フランスの駆逐艦に救助された。
貨客船 Lpp 153.92(505'-0") B 19.35(63'-6") D 11.43(37'-6") m 主機 R 3連成 2基 日本郵船株式会社(東京)
Sno.236 諏訪丸 (1) SUWA MARU 17308/MNPF→JSUD 11,758G/T 616NHP/11,000IHP 13/16.45kt
起工 1912.10.28(大1) 進水 1914.3.29(大3) 竣工 1914.9.10(大3)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 諏訪丸 SUWA MARU 船客 1等)122, 2等)60, 3等)190
1929.3(昭4)日本郵船のファンネルマーク採用の第1船となる
1943.3.28(昭18)マーシャル諸島クェゼリン島からウェーク島へ向け航行中、ウェーク島南水道の南5Km(19.14N,166.36E)で米潜SEADRAGON(SS-194)、TUNNY(SS-282)、FINBACK(SS-230)の雷撃を受けウェーク島南岸に任意擱座、船体放棄
Sno.237 伏見丸 (1) FUSHIMI MARU 17741/MQNC→JFMD 10,940G/T 616NHP/11,000IHP 13/16.46kt
起工 1912.10.28(大1) 進水 1914.6.28(大3) 竣工 1914.11.23(大3)
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 伏見丸 FUSHIMI MARU 船客 1等)122, 2等)60, 3等)190
1943.2.1(昭18)東京から基隆へ向け航行中、御前崎の南28浬(34.08N,138.18E)で米潜TARPON(SS-175)の雷撃を受け御前崎の南18浬で沈没
伏見丸
伏見丸 Fushimi Maru

SNo.245 加島丸 KASHIMA MARU (1914)
トロール漁船 266G/T 起工 1914.7.31(大3) 進水 1914.10.5(大3) 竣工 1914.11.4(大3)
Lpp 38.10(125'-0") B 6.86(22'-6") D 3.96(13'-0") m 主機 R 3連成 888IHP 2基 12.032kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.245 紀平合資
加島丸 KASHIMA MARU

SNo.246 眞名鶴丸 MANAZURU MARU (1915)
17778/MQRK 曳船 181G/T 起工 1914.10.8(大3) 進水 1915.1.30(大4) 竣工 1915.3.20(大4)
Lpp 27.43(90'-0") B 7.16(23'-6") D 3.81(12'-6") m 主機 R 2連成 567IHP 1基 10.393kt
三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造 Sno.246 三菱合資会社(東京)
眞名鶴丸 MANAZURU MARU 長崎造船所用

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