船歴 本邦建造船4 - 幕末・維新|明治前期|明治後期|大正期|昭和初期|太平洋戦争|占領期|海運再建期|海運集約期 戻る

三菱重工業株式会社長崎造船所

SNo.592 パラオ丸 PALAO MARU (1934)

パラオ丸
パラオ丸 Palao Maru
日本郵船が南洋航路用に新造した中型の貨客船。主機には排気タービン付の3連成機関を装備。
40096/JWEJ 貨客船 4,495G/T 起工 1934.4.16(昭9) 進水 1934.9.12(昭9) 竣工 1934.9.12(昭9)
Lpp 111.00 B 15.50 D 8.50 m 主機 R&T 排気タービン付 4,400IHP 1基 13/16.946kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.592 日本郵船株式会社(東京)
パラオ丸 PALAO MARU 船客 1等)31 2等)106 3等)158
1942.8.5(昭17)サイパンからトラックに向け航行中、トラック島の北西約110浬(8.50N,150.42E)で米潜GREENLING(SS-213)の雷撃により沈没

能登丸型 3隻 NOTO MARU Class (1934 - 1935)

能登丸
能登丸 Noto Maru
貨物船 Lpp 136.00 B 19.00 D 10.50 m 主機 D 三菱Sulzer 1基 長良丸型 日本郵船株式会社(東京)
Sno.580 能登丸 (1) NOTO MARU 39723/JROJ 7,185G/T 9,666D/W 7,415BHP 15/18.8kt
起工 1933.10.2(昭8) 進水 1934.5.1(昭9) 竣工 1934.10.15(昭9)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 能登丸 NOTO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1944.11.2(昭19)レイテ島オルモック(11.01N,124.34E)で空爆により沈没
Sno.581 能代丸 (1) NOSHIRO MARU 39735/JRPJ 7,184G/T 9,664D/W 6,700BHP 15/18.5kt
起工 1933.12.7(昭8) 進水 1934.6.28(昭9) 竣工 1934.11.30(昭9)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 能代丸 NOSHIRO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1944.9.21(昭19)マニラ港(14.33N,120..57E)で停泊中に空爆を受け、9月24日沈没
能代丸
能代丸 Noshiro Maru
Sno.582 野島丸 NOJIMA MARU 40112/JWFJ 7,184G/T 9,648D/W 6,700BHP 15/18.6kt
起工 1934.2.3(昭9) 進水 1934.10.24(昭9) 竣工 1935.2.13(昭10)
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 野島丸 NOJIMA MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1942.9.15(昭17)アリューシャン列島キスカ島(52.30N,176.30E)で停泊中に空爆を受け大破、その後も空爆を受け10月13日船体放棄
野島丸
野島丸 Nojima Maru

吉林丸型 2隻 KITSURIN MARU Class (1935)

吉林丸
吉林丸 Kitsurin Maru

S.Kizu
昭和7年(1932)3月滿州国の独立に伴い大阪商船が大連航路増強のために、うらる丸、うすりい丸をさらに拡大改良して新造した貨客船。
貨客船 Lpp 128.00 B 17.10 D 10.51 m 主機 T 三菱 Zoelly IMP. D.G. 2基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 大阪商船株式会社(大阪)
Sno.593 吉林丸 KITSURIN MARU 39904/JXUH 6,783G/T 3,825D/W 7,800SHP 13.42/18.593kt
起工 1934.3.20(昭9) 進水 1934.9.24(昭9) 竣工 1935.1.31(昭10) 吉林丸 KITSURIN MARU 船客 1等)44 2等)141 3等)749
1945.5.11(昭20)神戸の和田岬沖で触雷、着底。戦後解体
Sno.594 熱河丸 NEKKA MARU 40161/JYAH 6,784G/T 3,816D/W 7,800HP 13.39/18.823kt
起工 1934.5.17(昭9) 進水 1934.11.23(昭9) 竣工 1935.3.30(昭10) 熱河丸 NEKKA MARU 船客 1等)44 2等)141 3等)751
1943.11.23(昭18)中部シナの東磯島付近(28.43N,122.07E)で米潜GUDGEON(SS-211)の雷撃により沈没
熱河丸
熱河丸 Nekka Maru

屏東丸型 3隻 HEITO MARU Class (1935)

屏東丸
屏東丸 Heito Maru
大阪商船が台湾のバナナを内地に急送するために第1次船舶改善助成施設の適用を受けて建造した貨物船。主缶(スコッチ型)の蒸気圧力17.5気圧は当時わが国で最高のものであった。
貨物船 Lpp 108.00 B 15.00 D 10.00 m 主機 T 三菱 Zoelly IMP. D.G. 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 大阪商船株式会社(大阪)
Sno.597 屏東丸 HEITO MARU 40872/JZDH 4,463G/T 5,254D/W 3,600/3,786SHP 11.97/16.37kt
起工 1934.10.3(昭9) 進水 1935.3.23(昭10) 竣工 1935.8.31(昭10) 屏東丸 HEITO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1943.8.23(昭18)ニコバル諸島カーニュバル島の東岸(2.10N,102.15E)で空爆により沈没
Sno.598 臺東丸 (2) TAITO MARU 40879/JZIH 4,467G/T 5,238D/W 3,600SHP 12/16.599kt
起工 1934.11.1(昭9) 進水 1935.6.18(昭10) 竣工 1935.9.30(昭10) 臺東丸 TAITO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1944.5.24(昭19)サイパンからパラオに向け航行中、パラオ島の北240哩(11.12N,135.14E)で米潜FLYINGFISH(SS-229)の雷撃により沈没
Sno.599 彰化丸 SHOKWA MARU 41167/JZLH 4,467G/T 5,237D/W 3,000/3,600SHP 11.55/16.509kt
起工 1934.11.29(昭9) 進水 1935.8.31(昭10) 竣工 1935.11.15(昭10) 彰化丸 SHOKWA MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1942.5.25(昭17)カロリン諸島(4.05N,144.11E)で米潜TAUTOG(SS-199)の雷撃により沈没
彰化丸
彰化丸 Shokwa Maru

さんらもん丸型 2隻 SAN RAMON MARU Class (1935 - 1937)

さんらもん丸
さんらもん丸 San Ramon Maru
油槽船 Lpp 131.00 B 17.50 D 10.90 m 主機 D 三菱重工 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 三菱商事株式会社(東京)
Sno.616 さんらもん丸 SAN RAMON MARU 41262/JWWJ 7,309G/T 3,300BHP 15.091kt
起工 1935.2.4(昭10) 進水 1935.9.15(昭10) 竣工 1935.11.20(昭10) さんらもん丸 SAN RAMON MARU
1943.6(昭18)三菱汽船(株)(東京)に移籍
1943.11.27(昭18)九州西方(33.34N,128.35E)で米潜SEAHORSE(SS-304)の雷撃により沈没
Sno.686 さんくれめんて丸 SAN CLEMENTE MARU 44005/JWTL 7,309G/T 4,000BHP 15.946kt
起工 1937.2.4(昭12) 進水 1937.9.4(昭12) 竣工 1937.11.20(昭12) さんくれめんて丸 SAN CLEMENTE MARU
1943.5.4(昭18)パラオ西方(6.50N,134.28E)で米潜SEAL(SS-183)の雷撃により沈没
さんくれめんて丸
さんくれめんて丸 San Clemente Maru

SNo.626 サイパン丸 SAIPAN MARU (1936)

サイパン丸
サイパン丸 Saipan Maru
41672/JIKK 貨客船 5,333G/T 起工 1935.9.16(昭10) 進水 1936.3.10(昭11) 竣工 1936.6.16(昭11)
Lpp 115.00 B 16.40 D 10.15 m 主機 R&T 排気タービン付 Bauer Wach Exh. 4,500IHP 1基 13/16.794kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.626 日本郵船株式会社(東京)
サイパン丸 SAIPAN MARU 船客 1等)31 2等)85 3等)252
1943.7.21(昭18)関門からサイパンに向け航行中、パラオ島の北約540浬(16.29N,133.57E)で米潜HADDOCK(SS-231)の雷撃により沈没

SNo.629 龍江丸 RYUKO MARU (1936)

龍江丸
龍江丸 Ryuko Maru
大連汽船が撫順炭の輸送用に建造した7,500重量噸級の貨物船。
関576/JQAG 貨物船 5,626G/T 起工 1935.10.12(昭10) 進水 1936.3.25(昭11) 竣工 1936.6.30(昭11)
Lpp 120.00 B 16.40 D 9.30 m 主機 T 三菱 Zoelly IMP. D.G. 4,080SHP 1基 15.387kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.629 大連汽船株式会社(大連)
龍江丸 RYUKO MARU
1944.8.4(昭19)小笠原諸島の父島から横浜に向け航行中、聟島の北西40km(28.33N,141.48E)で空爆により沈没

赤城丸型 4隻 AKAGI MARU Class (1936 - 1937)

赤城丸
赤城丸 Akagi Maru
日本郵船が欧州航路(リバプール線)用に昭和10年(1935)三菱長崎造船所に発注した大型高速貨物船でA型と称された。昭和11年(1936)から昭和13年(1938)にかけて完工したが第2次世界大戦の影響により予定線には就航しなかった。 赤城丸は第2次、淺香丸は第3次の船舶改善助成施設の助成金を受けて建造された。主機には単働式MSディーゼルを基に新たに開発された復働式の8MSD72型を採用したが復働式は解放分解に日数を要するため単働式2サイクル過給機関が登場すると復働式は姿を消していった。吾妻丸のみ船型が船首楼付平甲板型で他船(三島型)と異なり総トン数も小さい。
貨物船 Lpp 140.00 B 19.00 D 10.50 m 主機 D 三菱重工 MS 2DA 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 日本郵船株式会社(東京)
Sno.627 赤城丸 (1) AKAGI MARU 42327/JIQK 7,367G/T 9,612D/W 8,771BHP 16.5/18.9kt
起工 1935.12.2(昭10) 進水 1936.6.6(昭11) 竣工 1936.9.10(昭11) 赤城丸 AKAGI MARU 第2次船舶改善助成施設適用船
1937.7.15(昭12)東航世界一周線開設の第1船として横浜港出航
1944.2.17(昭19)トラック島から横須賀へ向け航行中、トラック島北水道付近で空爆により沈没
Sno.628 有馬丸 (1) ARIMA MARU 42355/JIZK 7,387G/T 8,000BHP 16/19.3kt
起工 1936.3.18(昭11) 進水 1936.9.10(昭11) 竣工 1936.11.30(昭11) 有馬丸 ARIMA MARU
1942.12.29(昭17)大阪鐵工所因島工場で応急油槽船に改造
1943.4.3(昭18)バリクパパンからトラック島に向け航行中、パラオ島の北約170浬 (10.12N,134.35E)で米潜HADDOCK(SS-231)の雷撃を受け炎上、大破、翌日沈没
有馬丸
有馬丸 Arima Maru
Sno.687 淺香丸 ASAKA MARU 44012/JWUL 7,399G/T 8,000BHP 16/19.3kt
起工 1937.2.18(昭12) 進水 1937.7.7(昭12) 竣工 1937.11.30(昭12) 淺香丸 ASAKA MARU 第3次船舶改善助成施設適用船
1944.10.12(昭19)台湾馬公(澎湖島)(23.30N,119.30E)で停泊中に空爆により沈没
淺香丸
淺香丸 Asaka Maru

S.Kizu
Sno.688 粟田丸 (1) AWATA MARU 44231/JWVL 7,398G/T 8,000BHP 16/19.3kt
起工 1937.3.2(昭12) 進水 1937.8.5(昭12) 竣工 1937.12.23(昭12) 粟田丸 AWATA MARU
1943.10.22(昭18)上海からラバウルへ向け航行中、那覇の西約140浬 (26.32N,125.05E)で米潜GRAYBACK(SS-208)の雷撃により沈没
粟田丸
粟田丸 Awata Maru

金剛丸型 2隻 KONGO MARU Class (1936 - 1937)

金剛丸
金剛丸 Kongo Maru
鐵道省が關釜航路の輸送力強化のために2隻計画した大型高速鉄道連絡船。旅客のもっとも集中する夜航便に使用する目的で設計された。邦船としては初めて冷暖房装置を設置、船内電力の交流化や石炭を炭庫に運ぶためにベルト・コンベアを装置したことなど多くの点に新機軸を出した。
渡峡船 Lpp 126.50 B 17.46 D 10.00 m 主機 T 三菱IMP IMP. S.G. 2基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 鐵道省(東京)
Sno.630 金剛丸 KONGO MARU 42350/JIPK 7,105G/T 1,648D/W 15,600SHP 23.193kt
起工 1935.11.6(昭10) 進水 1936.5.24(昭11) 竣工 1936.10.31(昭11) 金剛丸 KONGO MARU 船客 1等(寝台):46 2等(寝台):80 (雑居室) 236 3等(寝台):200 (雑居室) 1,184 SCAJAP No.K123
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1945.5.27(昭20)釜山から博多に向け航行中、玄海島燈台沖で触雷により損傷後、博多湾内残島付近に任意擱座
1946.3.30(昭21)三菱重工業下関造船所により引揚作業に着手。同年7月浮揚、同長崎造船所で復旧修理
1949.2.28(昭24)修理完工、運輸省広島鉄道局へ引き渡し
1949.6.1(昭24)日本国有鉄道(東京)に移籍
1951.10.14(昭26)釜山から佐世保へ向け航行中、ルース台風のため長崎県北松浦郡宇久島三沖で座礁
1953.10.10(昭28)売却、解体
Sno.631 興安丸 KOAN MARU 42694→67474/JKBL 7,103G/T 1,675D/W 15,600SHP 23.11kt
起工 1936.3.14(昭11) 進水 1936.10.2(昭11) 竣工 1937.1.18(昭12) 興安丸 KOAN MARU SCAJAP No.K086
1937.1.31(昭12)関釜航路に就航
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1945.8.28(昭20)船舶運営会は本船を南朝鮮からの帰還輸送に配船、9.2山口県仙崎に入港。公式引揚の第1船となる
1949.6.1(昭24)日本国有鉄道(東京)に移籍
1950.3.18(昭25)朝鮮郵船(株)(東京)に移籍
1951.4.1(昭26)東京郵船(株)(東京)に移籍
1953.3(昭28)受託運行中の日本郵船は運輸省と中国残留者の輸送契約を締結
1958(昭33)東洋郵船(株)(東京)に売却
1970.10(昭45)解体のため西部興業(三原)に売却
興安丸
興安丸 Koan Maru

SNo.714 第十一電鐵丸 DENTETSU MARU No.11 (1937)
フェリー 12G/T 起工 1936.10.21(昭11) 進水 1936.12.19(昭11) 竣工 1937.1.20(昭12)
主機 H 焼玉 阪神 105BHP 9.001kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.714 長崎電気軌道
第十一電鐵丸 DENTETSU MARU No.11

SNo.715 第十二電鐵丸 DENTETSU MARU No.12 (1937)
フェリー 12G/T 起工 1936.10.21(昭11) 進水 1936.12.19(昭11) 竣工 1937.1.20(昭12)
主機 H 焼玉 阪神 105BHP 8.992kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.715 長崎電気軌道
第十二電鐵丸 DENTETSU MARU No.12

SNo.650 富士丸 FUJI MARU (1937)

富士丸
富士丸 Fuji Maru
近海郵船が台湾航路の旅客増加への対応と船質改善のために計画した9,000総トン級、最大速力20ノットの大型旅客船。主罐には英国ジェームス・ハウデン社製の乾燃室筒式ボイラ(ハウデン・ジョンソン式)をわが国で初めて輸入し搭載した。
42703/JKCL 貨客船 9,138G/T 起工 1936.5.28(昭11) 進水 1936.11.1(昭11) 竣工 1937.3.15(昭12)
Lpp 138.00 B 18.40 D 11.00 m 主機 T 三菱Zoelly IMP. D.G. 10,400SHP 2基 17/19.946kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.650 近海郵船株式会社(東京)
富士丸 FUJI MARU 船客 1等)31 2等)165 3等)781
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1943.10.27(昭18)基隆から関門に向け航行中、奄美大島久慈湾の西約60浬(28.20N,128.05E)で米潜GRAYBACK(SS-208)とSHAD(SS-235)の雷撃により沈没

SNo.719 鎮西 CHINZEI (1937)
救難艇 195G/T 起工 1937.1.30(昭12) 進水 1937.4.10(昭12) 竣工 1937.4.18(昭12)
主機 G ガソリン 220BHP 2基 9.61kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.719 帝國水難救済會長崎支部
鎮西 CHINZEI

SNo.668 高砂丸 TAKASAGO MARU (1937)

高砂丸
高砂丸 Takasago Maru
大阪商船の台湾航路用に新造された貨客船で同時期に竣工した近海郵船の富士丸とほぼ同性能であった。太平洋戦争中は病院船として活躍、戦後は帰還輸送に従事。
43182/JJUL 貨客船 9,315G/T 5,903D/W
起工 1936.6.9(昭11) 進水 1936.12.1(昭11) 竣工 1937.4.28(昭12)
Lpp 139.99 B 18.50 D 11.60 m 主機 T 三菱Zoelly IMP. D.G. 11,000/12,641SHP 2基 15.34/20.158kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.668 大阪商船株式会社(大阪)
高砂丸 TAKASAGO MARU 船客 1等)45 2等)156 3等)700
1956.3.23(昭31)解体のため名村造船所(大阪)に売却、堺で解体

黒龍丸型 2隻 KOKURYU MARU Class (1937)

黒龍丸
黒龍丸 Kokuryu Maru
吉林丸型とほぼ同じサイズの貨客船。本船の主罐は3胴水管式を採用して高温・高圧の蒸気を使用し、またテイラー式下込(アンダフィード)給炭機を装備した最初の船であった。
貨客船 Lpp 128.00 B 17.40 D 10.15 m 主機 T 三菱Zoelly IMP. D.G. 2基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 大阪商船株式会社(大阪)
Sno.680 黒龍丸 KOKURYU MARU 43451/JSFL 7,369G/T 7,800/8,176SHP 16/18.353kt
起工 1936.9.19(昭11) 進水 1937.2.14(昭12) 竣工 1937.7.31(昭12) 黒龍丸 KOKURYU MARU 船客 1等)45 2等)139 3等)669
1944.10.24(昭19)マニラから高雄に向け航行中、バシー海峡(19.34N,118.32E)で米潜SEADRAGON(SS-194)の雷撃により沈没
Sno.681 鴨緑丸 ORYOKU MARU 43464/JSKL 7,363G/T 7,800/8,255SHP 16/18.581kt
起工 1936.12.5(昭11) 進水 1937.4.27(昭12) 竣工 1937.9.30(昭12) 鴨緑丸 ORYOKU MARU 船客 1等)45 2等)139 3等)679
1944.12.14(昭19)マニラから高雄に向け航行中、スピック湾スエステポイント燈台沖(14.45N,120.00E)で空爆により沈没
鴨緑丸
鴨緑丸 Oryoku Maru

SNo.700 吾妻丸 (1) AZUMA MARU (1938)

吾妻丸
吾妻丸 Azuma Maru
赤城丸型とは船型、深さが異なる。
44403/JWZL 貨物船 6,646G/T 起工 1937.5.3(昭12) 進水 1937.10.23(昭12) 竣工 1938.3.10(昭13)
Lpp 140.00 B 19.00 D 12.30 m 主機 D 三菱重工 三菱M.S.DoubleAct.8MSD 8,000BHP 1基 16/19.2kt
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.700 日本郵船株式会社(東京)
吾妻丸 AZUMA MARU
1943.1(昭18)大阪鐵工所築港工場で応急油槽船に改造
1943.12.3(昭18)バリクパパンからトラック島に向け航行中、パラオ島の南西約180浬(6.34N,131.40E)で米潜TINOSA(SS-283)の雷撃により沈没

東山丸型 2隻 TOZAN MARU Class (1938)

東山丸
東山丸 Tozan Maru
貨物船 Lpp 140.00 B 19.00 D 12.50 m 主機 D 三菱重工 7MS72/125 2基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造
Sno.710 東山丸 TOZAN MARU 44373/JFAM 8,684G/T 4,800/5,400BHP 19.85kt
起工 1937.7.23(昭12) 進水 1938.2.4(昭13) 竣工 1938.4.30(昭13) 攝津商船株式会社(大阪)
東山丸 TOZAN MARU
1943.11.16(昭18)合併に伴い大阪商船(株)(大阪)に移籍
1944.7.24(昭19)マニラから高雄に向け航行中、ルソン島の西北145浬(18-13N,117-50E)で米潜CAREVALLE(SS-291)とFLASHER(SS-249)の雷撃により沈没
Sno.711 九州丸 KYUSHU MARU 44564/JFHM 8,666G/T 4,800BHP 16/19.856kt
起工 1937.8.10(昭12) 進水 1937.12.18(昭12) 竣工 1938.5.31(昭13) 原田汽船株式会社(大阪)
九州丸 KYUSHU MARU
1938.7.9(昭13)ニューヨーク急航航路に就航、横浜を出航
1942.10.15(昭17)ガダルカナル島タサファロンガのウマザニ川口の北西約1kmで空爆を受けて出火、擱座船体放棄
九州丸
九州丸 Kyushu Maru

冨士川丸型 2隻 FUJIGAWA MARU Class (1938)

冨士川丸
冨士川丸 Fujigawa Maru
貨物船 Lpp 132.59(435'-0") B 17.83(58'-6") D 10.01(32'-10") m 主機 D 三菱重工 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 東洋海運株式会社(東京)
Sno.721 冨士川丸 FUJIGAWA MARU 45067/JMHM 6,938G/T 4,000BHP 16.386kt
起工 1937.10.20(昭12) 進水 1938.4.15(昭13) 竣工 1938.7.1(昭13) 冨士川丸 FUJIGAWA MARU
1944.2.17(昭19)トラック港内で空爆により沈没
Sno.722 鬼怒川丸 (1) KINUGAWA MARU 45430/JURM 6,937G/T 4,000BHP 16.247kt
起工 1938.3.31(昭13) 進水 1938.8.24(昭13) 竣工 1938.11.30(昭13) 鬼怒川丸 KINUGAWA MARU
1942.11.14(昭17)ガダルカナル島タサファロング(8.58S,159.6E)で空爆により沈没
鬼怒川丸
鬼怒川丸 Kinugawa Maru

昭浦丸型 2隻 AKIURA MARU Class (1938)

昭浦丸
昭浦丸 Akiura Maru
貨物船 Lpp 132.59(435'-0") B 17.83(58'-6") D 10.01(32'-10") m 主機 D 三菱重工 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 三菱商事株式会社(東京)
Sno.732 昭浦丸 AKIURA MARU 45129/JMKM 6,804G/T 4,000BHP 16.377kt
起工 1937.12.3(昭12) 進水 1938.5.3(昭13) 竣工 1938.8.20(昭13) 昭浦丸 AKIURA MARU
1943.6(昭18)三菱汽船(株)(東京)に移籍
1944.2.28(昭19)ニューギニア北西岸(0.15N,133.2E)で米潜BALAO(SS-285)の雷撃により沈没
Sno.733 和浦丸 KAZUURA MARU 45496/JZDM 6,804G/T 4,000BHP 16.519kt
起工 1938.5.4(昭13) 進水 1938.10.12(昭13) 竣工 1938.12.20(昭13) 和浦丸 KAZUURA MARU
1943.6(昭18)三菱汽船(株)(東京)に移籍
1944.7.21(昭19)釜山港外(35.5N,129.10E)で触雷により座礁
1945(昭20)韓国政府に接収
1975(昭50)Far Eastern Marine Transport Co.,仁川に移籍、KOREAと改名
1976(昭51)釜山で解体
和浦丸
和浦丸 Kazuura Maru

SNo.870 諏訪丸 SUWA MARU (1938)
フェリー 126G/T 起工 1938.7.19(昭13) 進水 1938.9.28(昭13) 竣工 1938.9.30(昭13)
Lpp 20.75 B 5.80 D 2.20 m 主機 D Kishiro 105BHP 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.870 三菱合資会社
諏訪丸 SUWA MARU 長崎造船所用

SNo.871 金比羅丸 KONPIRA MARU (1938)
フェリー 126G/T 起工 1938.7.19(昭13) 進水 1938.9.28(昭13) 竣工 1938.10.30(昭13)
Lpp 20.75 B 5.80 D 2.20 m 主機 D Kishiro 105BHP 1基
三菱重工業株式会社長崎造船所(長崎)建造 Sno.871 三菱合資会社
金比羅丸 KONPIRA MARU 長崎造船所用

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