船歴 本邦建造船11 - 幕末・維新|明治前期|明治後期|大正期|昭和初期|太平洋戦争|占領期|海運再建期|海運集約期 戻る

横濱船渠株式会社

GOURA MARU (1908)
木造汽船 37G/T 進水 1908.4(明41)
Lpp 18.05 B 3.85 D 1.95 m 1基 8kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 建造者不詳
GOURA MARU 船客 31
1908.6.2(明41)青森港に配属
1924(大13)合浦丸 Goura Maru と改名(読み方不詳)
1929.7.30(昭4)売却

SNo.51 神天丸 SHINTEN MARU (1917)
20809/NKSW→JLHE 貨物船 1,255G/T 起工 1917.6.1(大6) 進水 1917.9.29(大6) 竣工 1917.11.10(大6)
Lpp 67.82 B 10.21 D 5.94 m 主機 R 1,022IHP 9/11.75kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.51 岸本汽船株式会社(大阪)
神天丸 SHINTEN MARU
1920(大9)攝津汽船(株)(西宮)に売却
1928(昭3)攝津商船(株)(京都・府中→大阪)に移籍
1943.11.16(昭18)合併に伴ない大阪商船(株)(大阪)に移籍
1944.9.8(昭19)台湾の東方(24.45N,123.20E)で米潜SPADEFISH(SS-411)の雷撃により沈没

SNo.51 神天丸 (2) SHINTEN MARU (1917)
208-0/NKSW 貨物船 1,250G/T 2,023D/W
起工 1917.6.1(大6) 進水 1917.9.29(大6) 竣工 1917.11.10(大6)
Lpp 67.82 B 10.21 D 5.94 m 主機 R 1,022HP
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.51 岸本汽船株式会社(横浜)
神天丸 SHINTEN MARU

SNo.53 海城丸 KAIJO MARU (1918)

海城丸
海城丸 Kaijo Maru
海城丸/NRWM→JKAC 貨物船 1,519G/T 起工 1917.8.1(大6) 進水 1918.1.24(大7) 竣工 1918.3.20(大7)
Lpp 73.15 B 10.21 D 6.86 m 主機 R 9.3/12.6kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.53 岸本汽船株式会社(大阪)
海城丸 KAIJO MARU
1920(大9)攝津汽船(株)(西宮)に売却
1927(昭2)攝津商船(株)(京都・府中→大阪)に移籍
1934.8.13(昭9)大昭丸と改名
1943.11.16(昭18)合併に伴ない大阪商船(株)(大阪)に移籍
1950.12.5(昭25)低性能船買入法に基づいて運輸省に売却、後に解体

白神丸型 2隻 SHIRAKAMI MARU Class (1918)

白神丸
白神丸 Shirakami Maru
木造貨物船 Lpp 54.86(180'-0") B 9.14(30'-0") D 6.10(20'-0") m 主機 R 3連成 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 大蔵省[鐵道院](東京)
Sno.54 白神丸 SHIRAKAMI MARU 22254/NWLG 木造841G/T 436D/W 555IHP 10.05kt
起工 1917.11.22(大6) 進水 1918.3.28(大7) 竣工 1918.6.3(大7) 白神丸 SHIRAKAMI MARU
1918.6.18(大7)函航路に就航
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1925.7.30(大14)函航路終航
Sno.62 龍飛丸 TAPPI MARU 23792/RFNV 木造841G/T 422D/W
起工 1917.12.24(大6) 進水 1918.8.6(大7) 竣工 1918.10.4(大7) 龍飛丸 TAPPI MARU
1918.10.16(大7)函航路に就航
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1926.3.31(大15)函航路終航
龍飛丸
龍飛丸 Tappi Maru

SNo.61 關東丸 KANTO MARU (1918)

關東丸
關東丸 Kanto Maru
22296/NTCJ→JBFC 貨物船 1,547G/T 起工 1917.11.22(大6) 進水 1918.4.11(大7) 竣工 1918.6.20(大7)
Lpp 73.15 B 10.21 D 6.86 m 主機 R 928IHP 9/11.99kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.61 岸本汽船株式会社(大阪)
關東丸 KANTO MARU
1920(大9)攝津汽船(株)(西宮)に売却
1927(昭2)攝津商船(株)(京都・府中→大阪)に移籍
1937.3.5(昭12)千葉県君津郡男津町沖合で座洲
1943.11.16(昭18)合併に伴ない大阪商船(株)(大阪)に移籍
1947.1.6(昭22)シンガポールでオランダ軍に接収、以後不詳

豐島丸型 2隻 TESHIMA MARU MARU Class (1918)
木造曳船 Lpp 31.21(102.4') B 6.71(22.0') D 3.57(11.7') m 主機 R 3連成 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 大蔵省[鐵道院](東京)
Sno.59 豐島丸 TESHIMA MARU MARU 22903/RCMN 木造168G/T 403IHP 9.64kt
起工 1918.1.26(大7) 進水 1918.6.8(大7) 竣工 1918.7.26(大7) 豐島丸 TESHIMA MARU MARU 山内仮船台で建造
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
Sno.60 向島丸 MUKOJIMA MARU 23372/RCNT 木造168G/T 428IHP 9.81kt
起工 1918.1.26(大7) 進水 1918.7.6(大7) 竣工 1918.9.1(大7) 向島丸 MUKOJIMA MARU 山内仮船台で建造
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍

SNo.52 神瑞丸 SHINZUI MARU (1919)
貨物船 2,983G/T 4,646D/W 起工 1918.5.1(大7) 進水 1918.11.5(大7) 竣工 1919.1.20(大8)
Lpp 94.49 B 13.11 D 7.93 m 主機 R 1,687HP 12.32kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.52 建造者不詳
神瑞丸 SHINZUI MARU

第一關門丸型 2隻 KANMON MARU No.1 Class (1919)

第一關門丸
第一關門丸 Kanmon Maru No.1
關森航路(下關/小森江)に就航したわが国初の自走式車輌渡船。船体中央部両舷に外輪を設置し船首尾いずれの方向にも航走可能であった。
車輌渡船 Lpp 53.64(176'-0") B 7.92(26'-0") D 4.27(14'-0") m 主機 R 3連成 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 大蔵省[鐵道院](東京)
Sno.63 第一關門丸 KANMON MARU No.1 25753/RPTN 463G/T 141D/W 529IHP 10.12kt
起工 1919.2.25(大8) 進水 1919.5.26(大8) 竣工 1919.7.3(大8) 第一關門丸 KANMON MARU No.1 船客 3等 10 SCAJAP No.K115
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1949.6.1(昭24)日本国有鉄道(東京)に移籍
Sno.64 第二關門丸 KANMON MARU No.2 25754/RPTQ 463G/T 141D/W 533IHP 10.23kt
起工 1919.2.25(大8) 進水 1919.6.4(大8) 竣工 1919.7.3(大8) 第二關門丸 KANMON MARU No.2 船客 3等 10 SCAJAP No.K116
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1949.6.1(昭24)日本国有鉄道(東京)に移籍
第二關門丸
第二關門丸 Kanmon Maru No.2

イースタン ガイド型 7隻 EASTERN GUIDE Class (1919 - 1922)

イースタン ガイド
イースタン ガイド Eastern Guide
三菱長崎造船所の秋田丸型と準同船の標準型貨物船。最初の3隻が日米船鉄交換船として引き渡された。
貨物船 Lpp 105.16(345'-00") B 15.24(50'-00") D 8.84(29'-00") m 主機 R 3連成 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Eastern Guide型
Sno.55 イースタン ガイド EASTERN GUIDE 26365/RTJM 4,082G/T 6,372D/W 2,354IHP
起工 1919.5.20(大8) 進水 1919.9.6(大8) 竣工 1919.12.9(大8) 横濱船渠株式会社(横浜)
イースタン ガイド EASTERN GUIDE 日米船鉄交換船
1919(大8)U. S. Shipping Board,U. S. A.に提供
Sno.58 福海丸 FUKKAI MARU 26548/RVCQ 3,830G/T 6,446D/W 202NHP/2,700IHP 10/14kt
起工 1919.9.6(大8) 進水 1919.12.15(大8) 竣工 1920.1.24(大9) 日本海運株式会社(横浜)
福海丸 FUKKAI MARU
1930(昭5)明治海運(株)(垂水)に売却
1943.12.13(昭18)パラオ近海(7.6N,134.40E)で米潜POGY(SS-266)の雷撃により沈没
福海丸
福海丸 Fukkai Maru
Sno.56 イースタン クラグ EASTERN CRAG 26421/RVBH 4,081G/T 6,393D/W 2,354IHP
起工 1919.6.14(大8) 進水 1919.10.15(大8) 竣工 1920.2.11(大9) 横濱船渠株式会社(横浜)
イースタン クラグ EASTERN CRAG 日米船鉄交換船
1920(大9)U. S. Shipping Board,U. S. A.に提供
Sno.67 神威丸 SHIN-I MARU 26749/RVTP→JTFB 3,804G/T 220NHP/2,562IHP 10.5/13.7kt
起工 1919.9.5(大8) 進水 1920.3.18(大9) 竣工 1920.4.5(大9) 岸本汽船株式会社(大阪)
神威丸 SHIN-I MARU
1943.11.26(昭18)ウエワクからパラオに向け航行中、パラオ諸島(7.18N,134.48E)で米潜TINOSA(SS-283)の雷撃により沈没
神威丸
神威丸 Shin-I Maru
Sno.57 イースタン コースト EASTERN COAST 4,081G/T 6,393D/W 2,354IHP
起工 1919.7.15(大8) 進水 1919.11.22(大8) 竣工 1920.4.14(大9) U. S. Shipping Board(U. S. A.)
イースタン コースト EASTERN COAST 日米船鉄交換船
イースタン コースト
イースタン コースト Eastern Coast
Sno.68 金王丸 KINOO MARU 27166/SBNW→JNOD 3,826G/T 6,410D/W 2,332IHP 13.14kt
起工 1919.11.22(大8) 進水 1920.4.19(大9) 竣工 1920.5.26(大9) 古川鉱業株式会社(神戸)
金王丸 KINOO MARU
1934(昭9)南洋郵船(株)(東京)の所有
1936(昭11)南洋海運(株)(神戸)に売却、バンドン丸BANDUNG MARUと改名(売却、改名年不詳)
金王丸
金王丸 Kinoo Maru
Sno.96 立石丸 TATEISHI MARU 28502 3,801G/T 6,381D/W 3,292IHP 10/14.55kt
起工 1921.11.12(大10) 進水 1922.9.5(大11) 竣工 1922.9.30(大11) 右近商事株式会社(神戸)
立石丸 TATEISHI MARU
1944.3(昭19)大阪商船(株)会社(大阪)に売却
1944.10.4(昭19)フィリピンのホロ島(5.40N,121.40E)で空爆により沈没

りおん丸型 8隻 LYONS MARU Class (1920 - 1921)

りおん丸
りおん丸 Lyons Maru
三菱長崎造船所が建造したT型貨物船と同型で横濱船渠が建造した初の1万重量トン級の大型船。主機は3連成レシプロ。前橋丸は重油専焼のボイラを搭載した。
貨物船 Lpp 135.64(445'-0") B 17.68(58'-0") D 10.36(34'-0") m 主機 R 3連成 2基
横濱船渠株式会社(横濱)建造
Sno.69 りおん丸 LYONS MARU 26949/RWPM→JOMD 7,018G/T 10,502D/W 312NHP/4,977IHP 12/14.5kt
起工 1919.8.15(大8) 進水 1920.3.3(大9) 竣工 1920.5.6(大9) 日本郵船株式会社(東京)
りおん丸 LYONS MARU
1920.5.16(大9)欧州航路・西航紐育線に就航
1944.1.17(昭19)ラバウル港内で停泊中に空爆により損傷、同24日空爆により大破、船体放棄
Sno.70 りすぼん丸 LISBON MARU 27254/SBVW→JOLD 7,038G/T 10,494D/W 312NHP/4,684IHP 12/14.5kt
起工 1919.10.15(大8) 進水 1920.5.31(大9) 竣工 1920.7.8(大9) 日本郵船株式会社(東京)
りすぼん丸 LISBON MARU
1942.10.2(昭17)香港から門司に向け航行中、東シナ海舟山群島東福山島の東約25浬(30.17N,123.13E)で米潜GROUPER(SS-214)の雷撃により大破、12月2日曳航中に東福山島の北約6浬で沈没
りすぼん丸
りすぼん丸 Lisbon Maru
Sno.74 武豐丸 TAKETOYO MARU 27697/SDRL→JTUD 7,028G/T 10,735D/W 311NHP/4,483IHP 12kt
起工 1920.5.1(大9) 進水 1920.9.23(大9) 竣工 1920.10.25(大9) 日本郵船株式会社(東京)
武豐丸 TAKETOYO MARU
1943.1(昭18)応急油槽船に改造
1944.8.21(昭19)ミリからマニラに向け航行中、ミンドロ島北西岸パルアン湾の西(13.23N,120.19E)で米潜RAY(SS-271)の雷撃により沈没
武豐丸
武豐丸 Taketoyo Maru
Sno.75 高岡丸 (1) TAKAOKA MARU 27708/SDTG→JNKD 7,047G/T 10,750D/W 311NHP/4,866IHP 12kt
起工 1920.7.7(大9) 進水 1920.11.21(大9) 竣工 1920.12.16(大9) 日本郵船株式会社(東京)
高岡丸 TAKAOKA MARU
1944.6.5(昭19)東京からサイパンに向け航行中、サイパン島の北西約390浬(18.40N,140.35E)で米潜SHARK(SS-314)の雷撃により沈没
高岡丸
高岡丸 Takaoka Maru

S.Kizu
Sno.79 水戸丸 (1) MITO MARU 28097/SGLD→JMVD 7,061G/T 10,434D/W 312NHP/5,300IHP 12kt
起工 1920.8.2(大9) 進水 1921.1.5(大10) 竣工 1921.2.21(大10) 日本郵船株式会社(東京)
水戸丸 MITO MARU
1944.4.16(昭19)ハルマヘラ島ワシレ湾からアンボンに向け航行中、アンボンの北西約90浬(2.25S,127.24E)で米潜PADDLE(SS-263)の雷撃により沈没
Sno.80 松江丸 (1) MATSUE MARU 28102/SGLM→JOFD 7,061G/T 10,442D/W 312NHP/5,584IHP 13kt
起工 1920.9.23(大9) 進水 1921.3.6(大10) 竣工 1921.4.5(大10) 日本郵船株式会社(東京)
松江丸 MATSUE MARU
1944.4.17(昭19)メレヨン島からグアム島に向け航行中、西カロリン諸島メレヨン島の北西約150浬(9.30N,142.35E)で潜水艦の雷撃により沈没
Sno.81 松本丸 MATSUMOTO MARU 28109/SGMB→JCDA 7,025G/T 10,475D/W 312NHP/5,752IHP 13kt
起工 1920.10.28(大9) 進水 1921.4.6(大10) 竣工 1921.5.5(大10) 鈴木商店(東京)
松本丸 MATSUMOTO MARU 鈴木商店(東京)の名義で起工 建造中に日本郵船株式会社(東京)に売却
1921.5(大10)日本郵船(株)(東京)に売却、松本丸 MATSUMOTO MARU と改名
1943.1(昭18)応急油槽船に改造
1944.10.25(昭19)佐世保から仏印サンジャックに向け航行中、台湾海峡鳥*)きゅう興の北西10浬(25.04N,119.35E)で米潜TANG(SS-306)の雷撃により厦門の北東、平海湾で座礁、翌日沈没 *)てへんに丘
松本丸
松本丸 Matsumoto Maru
Sno.82 前橋丸 MAEBASHI MARU 28124/SHVB→JAEA 7,005G/T 10,452D/W 312NHP/5,752IHP 11/14.5kt
起工 1921.1.5(大10) 進水 1921.7.2(大10) 竣工 1921.8.2(大10) 日本郵船株式会社(東京)
前橋丸 MAEBASHI MARU 鈴木商店から購入
1935.7.6(昭10)南洋海運(株)(東京)へ出資
1943.9.30(昭18)ニューギニア沿海(6.01N,139.08E)で米潜POGY(SS-266)の雷撃により沈没
前橋丸
前橋丸 Maebashi Maru

SNo.83 千歳丸 (1) CHITOSE MARU (1921)

千歳丸
千歳丸 Chitose Maru
28115/SGMK→JCEA 貨客船 2,668G/T 3,298D/W
起工 1920.11.22(大9) 進水 1921.4.28(大10) 竣工 1921.6.7(大10)
Lpp 91.44 B 13.11 D 7.62 m 主機 R 3連成 202NHP/3,955IHP 1基 11.5/15.21kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.83 日本郵船株式会社(東京)
千歳丸 CHITOSE MARU 船体は耐氷構造
1923.3.31(大12)近海郵船(株)(東京)の設立に伴い出資
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1945.10(昭20)引揚げ輸送開始。小笠原、パラオ、台湾
1946.7(昭21)第二復員省からの徴用解除
1949.8(昭24)樺太真岡と函館間の復員輸送
1952.10.26(昭27)沖縄定期航路に就航
1957.9.30(昭32)(株)岡田組(東京)に売却、サルベージ船に改造
1961.11.30(昭36)解体のため売却

大阪丸型 2隻 OSAKA MARU Class (1922)
イースタン ガイド Eastern Guide型の船型をさらにファインにして高速化を図った貨物船。
貨物船 Lpp 105.16(345'-0") B 15.24(50'-0") D 8.84(29'-0") m 主機 R 3連成 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 日本郵船株式会社(東京)
Sno.94 大阪丸 OSAKA MARU 28076/SLDC→JIQA 3,741G/T 5,892D/W 228NHP/3,733IHP 11/15.03kt
起工 1921.12.20(大10) 進水 1922.6.5(大11) 竣工 1922.7.20(大11) 大阪丸 OSAKA MARU
1928.8.9(昭3)近海郵船(株)(東京)に売却
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1944.5.25(昭19)サイパンからパラオに向け航行中、パラオ島の北240浬(11.12N,135.14E)で米潜FLYINGFISH(SS-229)の雷撃により沈没
Sno.95 門司丸 (2) MOJI MARU 28982/SLDP→JIRA 3,757G/T 3,724HP 15.47kt
起工 1922.1.30(大11) 進水 1922.8.15(大11) 竣工 1922.9.15(大11) 門司丸 MOJI MARU
1928.7.25(昭3)近海郵船(株)(東京)に売却
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1944.6.14(昭19)サイパンから日本に向け航行中、サイパンの北約250浬(17.32N,144.10E)で空爆により小破、サイパンへ反転帰港中に艦砲射撃と空爆を受け、サイパン島の北約70浬で沈没

幸光丸型 2隻 KOKO MARU Class (1922)
葛原冷蔵が横濱船渠で建造したわが国初の本格的な冷凍・冷蔵運搬用の貨物船。冷蔵倉を2つ有し、船橋楼内には空気式冷凍室を配置した。冷凍装置は米国フリック社製のアンモニア・ブライン方式で上甲板下、ボイラ室前方に配置した。
冷蔵運搬船 Lpp 73.15(240'-0") B 10.67(35'-0") D 6.10(20'-0") m 主機 R 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 葛原冷蔵株式会社(横浜)
Sno.98 幸光丸 KOKO MARU 28978/SLDG→JHOA 1,511G/T 1,800D/W 80NHP/1,513IHP 8/12.7kt
起工 1922.4.11(大11) 進水 1922.6.14(大11) 竣工 1922.7.30(大11) 幸光丸 KOKO MARU 上甲板に7,392立方ftの冷凍室あり
1927(昭2)(株)藤本ビルブローカ銀行(横浜)に移籍
1928(昭3)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1942.12.24(昭17)帝國水産統制(株)(東京)の設立に伴い移籍
1945.3.11(昭20)北支沿岸(31.22N,121.38E)で触雷により沈没
Sno.99 海光丸 KAIKO MARU 28993/SLHJ→JHSA 1,515G/T 2,071D/W 114NHP/1,482IHP 8/12.5kt
起工 1922.4.20(大11) 進水 1922.7.15(大11) 竣工 1922.10.20(大11) 海光丸 KAIKO MARU
1926(昭2)(株)藤本ビルブローカ銀行(東京)に移籍
1927(昭2)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1942.12.24(昭17)帝國水産統制(株)(東京)の設立に伴い移籍
1945.12.1(昭20)社名変更に伴い日本冷蔵(株)(東京)に移籍
1951.9.11(昭26)日本郵船(株)(東京)に売却。主機をD 神戸製鋼所99号10型 1,600BHPに換装(時期不詳)。鋼材運搬船に改造。後に石炭運搬船に改造
1957.8.6(昭32)北星海運(株)(東京)に売却、松前丸 MATSUMAE MARU と改名
1962.11(昭37)前田汽船(株)(東京)に売却
1967(昭42)船名録より削除
海光丸
海光丸 Kaiko Maru

太平洋戦争後の日本郵船時代、貨物船に改造後の姿

滿光丸型 4隻 MANKO MARU Class (1923)
幸光丸型より長さと幅を大きく、深さと喫水を小さくした船型で、機関部が改善された。また航続距離も増大。なお、ひむろ組の榛名丸と秩父丸は急速冷凍装置を空気式からブライン式に変更した。
冷蔵運搬船 Lpp 76.20(250'-0") B 11.28(37'-0") D 5.79(19'-0") m 主機 R 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造
Sno.103 滿光丸 MANKO MARU 29139/SMKF→JHZA 1,502G/T 1,863D/W 113NHP/1,332IHP 9/12.5kt
起工 1922.11.1(大11) 進水 1923.2.10(大12) 竣工 1923.3.14(大12) 葛原冷蔵株式会社(横浜)
滿光丸 MANKO MARU
1927(昭2)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1942.12.24(昭17)帝國水産統制(株)(東京)の設立に伴い移籍
1943.11.2(昭18)ラバウルで空爆により沈没
Sno.104 豐光丸 HOKO MARU 29318/SMWD→JNCA 1,505G/T 1,727D/W 114NHP/1,279IHP 9/12.5kt
起工 1922.11.14(大11) 進水 1923.3.7(大12) 竣工 1923.4.21(大12) 葛原冷蔵株式会社(横浜)
豐光丸 HOKO MARU
1927(昭2)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1942.12.24(昭17)帝國水産統制(株)(東京)の設立に伴い移籍
1944.3.20(昭19)南洋方面(10.9N,138.10E)で米潜PICUDA(SS-382)の雷撃により沈没
豐光丸
豐光丸 Hoko Maru
Sno.105 榛名丸 HARUNA MARU 29173/SMVD→JNWA 1,462G/T 1,631D/W 113NHP/1,414IHP 9/13.02kt
起工 1922.12.16(大11) 進水 1923.5.7(大12) 竣工 1923.6.20(大12) 合資会社ひむろ組(横浜)
榛名丸 HARUNA MARU
1927(昭2)横濱船渠(株)(横浜)に売却
1928(昭3)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1932(昭7)農商務省の母船式鮪漁業調査試験に参加(昭和8年度迄)
1942.12.24(昭17)帝國水産統制(株)(東京)の設立に伴い現物出資
1944.1.16(昭19)パラオの南西(7.20N,134.30E)で衝突沈没
榛名丸
榛名丸 Haruna Maru
Sno.106 秩父丸 CHICHIBU MARU 29395/SMVW→JNVA 1,462G/T 1,631D/W 114NHP/1,357IHP 9/12.33kt
起工 1923.2.12(大12) 進水 1923.5.23(大12) 竣工 1923.8.20(大12) 合資会社ひむろ組(横浜)
秩父丸 CHICHIBU MARU
1927(昭2)横濱船渠(株)(横浜)に売却
1928(昭3)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1942.3.13(昭17)御蔵島沖(33.53N,139.29E)で米潜GAR(SS-206)の雷撃により沈没

SNo.112 第八佐渡丸 SADO MARU No.8 (1923)

第八佐渡丸
第八佐渡丸 Sado Maru No.8
28430/SHTF→JFPE 貨客船 230G/T 180D/W
起工 1923.1.5(大12) 進水 1923.3.12(大12) 竣工 1923.4.5(大12)
Lpp 34.59(113'-6") B 6.40(21'-0") D 3.51(11'-6") m 主機 R 3連成 54NHP/508IHP 1基 10.58kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.112 佐渡商船株式会社(両津)
第八佐渡丸 SADO MARU No.8 船客 1等)10 2等)17 3等)118 SCAJAP No.S003
1932.4(昭7)佐渡汽船(株)(新潟)に移籍

筑波丸型 2隻 TSUKUBA MARU Class (1923 - 1924)
完成時に旅客設備を増設した。
貨物船 Lpp 96.01 B 14.02 D 8.23 m 主機 R 3連成 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 日本郵船株式会社(東京)
Sno.109 筑波丸 (1) TSUKUBA MARU 29441/SNCJ→JIWA 3,161G/T 2,965IHP 202/14.41kt
起工 1923.4.25(大12) 進水 1923.8.2(大12) 竣工 1923.8.31(大12) 筑波丸 TSUKUBA MARU
1939.8.12(昭14)東亞海運(株)(東京)に出資
1944.5.23(昭19)南シナ海(21.18N,117.12E)で米潜PICUDA(SS-382)の雷撃と空爆により沈没
Sno.118 天城丸 (1) AMAGI MARU 30026/SQLJ→JDHA 3,165G/T 4,301D/W 203NHP/2,881IHP 14.41kt
起工 1923.8.1(大12) 進水 1924.4.19(大13) 竣工 1924.5.31(大13) 天城丸 AMAGI MARU
1944.5.2(昭19)シンガポールからアンダマン島ポートブレアに向け航行中、南アンダマン島の南南東約55浬で潜水艦の雷撃により沈没
天城丸
天城丸 Amagi Maru

SNo.108 田子浦丸 TAGONOURA MARU (1924)

田子浦丸
三保丸 Miho Maru

S.Kisu
ひむろ組の冷蔵運搬船氷川丸として起工したが関東大震災で被災し貨物船として竣工した。日本サルヴェージが大浦丸の代船として購入し救助船に改造した。
29918/SQCF→JQPB 貨物船 632G/T 起工 1923.3.10(大12) 進水 1924.3.15(大13) 竣工 1924.4.15(大13)
Lpp 53.30 B 8.50 D 4.70 m 主機 R 3連成 700IHP 1基 10/12.16kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.108 近海郵船株式会社(東京)
田子浦丸 TAGONOURA MARU
1936(昭11)日本サルヴェージ(株)(東京)に売却、救助船に改造。同年12月21日、三保丸 MIHO MARU と改名。定繋港は小樽
1944.9.12(昭19)セブ島付近で空爆により沈没

SNo.111 大光丸 TAIKO MARU (1924)

大光丸
大光丸 Taiko Maru

横濱船渠で建造中の大光丸 Taiko Maru (中央)
滿光丸型よりさらに幅を大きく、深さを小さくした準同型船。進水から竣工まで約1年間かかっているのは関東大震災の影響と思われる。
30142/SRBF→JOBA 冷蔵運搬船 1,762G/T
起工 1923.4.1(大12) 進水 1923.7.14(大12) 竣工 1924.7.10(大13)
Lpp 76.20(250'-0") B 11.89(39'-0") D 5.61(18'-5") m 主機 R 110NHP/1,242IHP 1基 9/12.33kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.111 葛原冷蔵株式会社(東京)
大光丸 TAIKO MARU
1927(昭2)日魯漁業(株)(横浜)に売却
1942.12.24(昭17)帝國水産統制(株)(東京)の設立に伴い移籍
1943.11.3(昭18)南洋方面(21.21N,136.26E)で空爆により沈没

摩耶丸型 4隻 MAYA MARU Class (1925 - 1928)

摩耶丸
摩耶丸 Maya Maru

S.Kizu
日本郵船の上海航路のうち神戸上海線に新造投入された3000総トン級の貨客船。
貨客船 Lpp 99.06(325'-0") B 14.02(46'-0") D 8.23(27'-0") m 主機 R 3連成 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 日本郵船株式会社(東京)
Sno.130 摩耶丸 MAYA MARU 30936/SWMD→JCBB 3,145G/T 3,889D/W 2,933IHP 12/15.66kt
起工 1924.12.24(大13) 進水 1925.7.11(大14) 竣工 1925.8.29(大14) 摩耶丸 MAYA MARU 船客 1等)4 3等)82
1933.5.16(昭8)近海航路・根室青島大連線に就航
1939.8.12(昭14)東亞海運(株)(東京)に出資
1944.7.17(昭19)セレベス海(7.42N,122.05E)で米潜CABRILLA(SS-288)の雷撃により沈没
Sno.131 生駒丸 IKOMA MARU 31404/TCKJ→JCAD 3,157G/T 3,907D/W 3,032HP 11/15.65kt
起工 1923.12.24(大12) 進水 1925.9.28(大14) 竣工 1925.11.10(大14) 生駒丸 IKOMA MARU 船客 1等)4 3等)82
1944.1.21(昭19)パラオからウエワクに向け航行中、パラオの南東282浬(3.25N,137.06E)で米潜SEAHORSE(SS-304)の雷撃により沈没
生駒丸
生駒丸 Ikoma Maru
Sno.161 笠置丸 KASAGI MARU 33617/TMKW→JQOB 3,141G/T 3,917D/W 2,522HP 11.5/15.14kt
起工 1927.10.5(昭2) 進水 1928.3.3(昭3) 竣工 1928.4.30(昭3) 笠置丸 KASAGI MARU 船客 1等)6 3等)82
1944.1.27(昭19)横浜から南鳥島に向け航行中、御蔵島の南23浬(33.30N,139.35E)で米潜SWORDFISH(SS-193)の雷撃により沈没
Sno.162 三笠丸 (1) MIKASA MARU 33636/TNVF→JQNB 3,143G/T 2,703HP 11.5/15.92kt
起工 1927.10.5(昭2) 進水 1928.5.5(昭3) 竣工 1928.6.29(昭3) 三笠丸 MIKASA MARU 船客 1等)6 3等)82
1939.8.12(昭14)東亞海運(株)(東京)に出資
1944.11.11(昭19)レイテ島西岸オルモック(10.58N,124.35E)で空爆により沈没
三笠丸
三笠丸 Mikasa Maru

SNo.138 浦島丸 URASHIMA MARU (1925)
31397/SWMT→JFHI 冷凍/冷蔵運搬船 195G/T
起工 1925.4.15(大14) 進水 1925.8.4(大14) 竣工 1925.10.30(大14)
Lpp 30.48 B 6.25 D 3.96 m 主機 D 45/260BHP 8/9.25kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.138 浦島丸型 東京灣汽船株式会社(東京)
浦島丸 URASHIMA MARU 船客 3等)12
1930.6.11(昭5)伊勢常商店(東京)に売却
1942(昭17)相澤 喜一郎(東京)に売却
1947(昭22)船名録に抹消予定と記載

SNo.139 ゑびす丸 EBISU MARU (1925)

ゑびす丸
ゑびす丸 Ebisu Maru

S.Kizu
31405/TCKL→JEXI 漁獲物運搬船 195G/T
起工 1925.4.15(大14) 進水 1925.10.15(大14) 竣工 1925.11.14(大14)
Lpp 30.48 B 6.25 D 3.96 m 主機 D 46/260HP 8/9.5kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.139 浦島丸型 東京灣汽船株式会社(東京)
ゑびす丸 EBISU MARU 船客 3等)12
1930(昭5)内藤 謹三郎(波浮)に売却
1947(昭22)船名録より削除

SNo.143 第一凾丸 SEIKAN MARU No.1 (1926)

第一凾丸
第一凾丸 Seikan Maru No.1
鐵道省が貨車輸送の強化をはかるために計画した車輌渡船。船首楼と船橋楼のみに外板を張り他はブルワークを設けただけの露天であった。主機はスイスのBrown Boveri社製タービンを採用したが故障が多いため後に国産製に換装された。
31868/TFJH→JZAB 車輌渡船 2,326G/T 772D/W
起工 1925.12.9(大14) 進水 1926.10.21(大15) 竣工 1926.11.30(大15)
Lpp 108.51(356'-0") B 15.85(52'-0") D 6.10(20'-0") m 主機 T Brown Boveri 2DG 2,332SHP 2基 13.51kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.143 鐵道省(東京)
第一凾丸 SEIKAN MARU No.1
1926.12.12(大15)森/函館航路に就航
1933.3.4(昭6)三菱長崎造船所で主機を三菱ツェリーインパルスタービンに換装
1945.7.15(昭20)青森県三厩付近で空爆により沈没

SNo.147 恒春丸 (2) KOSHUN MARU (1927)

恒春丸
恒春丸 Koshun Maru
32735/TKCS→JPPB 貨客船 4,271G/T 5,239D/W
起工 1926.8.20(大15) 進水 1927.4.16(昭2) 竣工 1927.5.31(昭2)
Lpp 108.20(355'-0") B 14.78(48'-6") D 9.91(32'-6") m 主機 T 三菱式ギヤード 3,801SHP 1基 16.51kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.147 高雄丸型 大阪商船株式会社(大阪)
恒春丸 KOSHUN MARU
1937.6.6(昭12)鹿児島県の臥蛇島南端で座礁、沈没

SNo.159 昭洋丸 SHOYO MARU (1928)

昭洋丸
昭洋丸 Shoyo Maru
33333/JQKB 油槽船 7,499G/T 10,805D/W
起工 1927.6.12(昭2) 進水 1928.1.24(昭3) 竣工 1928.3.24(昭3)
Lpp 131.22(430'-6") B 17.55(57'-7") D 10.49(34'-5") m 主機 R 310,805NHP/4,105IHP 1基 11/14.51kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.159 日本タンカー株式会社(東京)
昭洋丸 SHOYO MARU
1941.3.31(昭16)日東鑛業汽船(株)株式会社(東京)に移籍
1943.2.26(昭18)社名変更に伴い日東汽船(株)(東京)に移籍
1943.9.21(昭18)台湾の沖(26.33N,123.10E)で米潜TRIGGER(SS-237)の雷撃により沈没

SNo.171 羽黒丸 HAGURO MARU (1928)

羽黒丸
羽黒丸 Haguro Maru
木材運搬用の貨物船。
33611/TQWF 貨物船 3,353G/T 5,570D/W
起工 1928.5.10(昭3) 進水 1928.9.12(昭3) 竣工 1928.10.31(昭3)
Lpp 103.63(340'-0") B 14.94(49'-0") D 7.80(25'-7") m 主機 R 3連成 2,982IHP 1基 14.72kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.171 板谷商船株式会社(京都・府中)
羽黒丸 HAGURO MARU
1944.1.13(昭19)ビスマーク諸島ニューアイルランドの北方で空爆により沈没

SNo.176 永洋丸 EIYO MARU (1929)

永洋丸
永洋丸 Eiyo Maru
34540/TSPL→JFAC 油槽船 8,674G/T 11,762D/W
起工 1928.10.11(昭3) 進水 1929.6.19(昭4) 竣工 1929.8.6(昭4)
Lpp 140.44(460'-9") B 18.29(60'-0") D 11.40(37'-5") m 主機 R 7,312IHP 2基 15.93kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.176 日本タンカー株式会社(横浜)
永洋丸 EIYO MARU
1937(昭12)関東タンカー(東京)に売却
1944.6.13(昭19)日本油槽船(株)(東京)の設立に伴い移籍
1945.2.20(昭20)仏印方面(11.22N,109.2E)で米潜GUAVINA(SS-362)の雷撃により沈没

しどにい丸型 3隻 SYDNEY MARU Class (1929 - 1930)

しどにい丸
しどにい丸 Sydney Maru

S.Kizu
大阪商船が濠州航路用に3隻建造した中型のディーゼル貨物船。生糸積載用のシルクルームや冷蔵貨物倉等の諸設備を完備した。建造を担当した横濱船渠では初のディーゼル主機搭載船であった。かんべら丸型の就航後は、本型3隻により日本/ニュージーランド線が開設された。
貨物船 Lpp 115.82 B 14.17 D 10.45 m 主機 D B&W 4SA 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 大阪商船株式会社(大阪)
Sno.173 しどにい丸 (1) SYDNEY MARU 35190/VDKM→JDZC 5,436G/T 6,721D/W 3,000/3,514BHP 11.92/16.136kt
起工 1928.12.12(昭3) 進水 1929.8.25(昭4) 竣工 1929.11.30(昭4) しどにい丸 SYDNEY MARU 表記はどにい丸
1936.5(昭11)ニュージーランド航路・ニュージーランド線に就航
1943.11.28(昭18)カムラン湾北方(12.50N,109.35E)で米潜BOWFIN(SS-287)の雷撃により沈没
Sno.174 めるぼるん丸 (1) MELBOURNE MARU 35918/VFNB 5,438G/T 6,724D/W 3,000BHP 11.5/16.48kt
起工 1929.6.19(昭4) 進水 1929.12.15(昭4) 竣工 1930.3.28(昭5) めるぼるん丸 MELBOURNE MARU
1945.8.10(昭20)朝鮮の羅津港(42.00N,129.50E)で空爆により沈没
めるぼるん丸
めるぼるん丸 Melbourne Maru

S.Kizu
Sno.175 ぶりすべん丸 BRISBANE MARU 35934/VGHC→JJAC 5,425G/T 6,722D/W 3,000/3,447BHP 11.4/16.16kt
起工 1929.8.25(昭4) 進水 1930.2.28(昭5) 竣工 1930.5.28(昭5) ぶりすべん丸 BRISBANE MARU
1930.11.1(昭5)ニュージーランドまで延航した濠州航路に就航
1942.11.12(昭17)ショ−トランドのエレベンタ泊地からガダルカナル島に向け航行中、ガダルカナル島沖(8.58S,159.06E)で空爆により沈没(11月14日の記録もある)
ぶりすべん丸
ぶりすべん丸 Brisbane Maru

SNo.170 秩父丸 CHICHIBU MARU (1930)

秩父丸
秩父丸 Chichibu Maru
35367/JFZC 貨客船 17,498G/T 起工 1928.2.6(昭3) 進水 1929.5.8(昭4) 竣工 1930.3.10(昭5)
Lpp 170.69(560'-0") B 22.56(74'-0") D 12.95(42'-6") m 主機 D B&W 20,313BHP 2基 17.5/20.65kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.170 日本郵船株式会社(東京)
秩父丸 CHICHIBU MARU 船客 1等)243 2等)95 3等)500
1938.2(昭13)英字船名を 秩父丸 TITIBU MARU と改名。同4月、再びCHICHIBU MARUに変更
1939.1.14(昭14)鎌倉丸 KAMAKURA MARU (2) と改名
1943.4.28(昭18)マニラからバリクパパンに向け航行中、パナイ島ナソ岬の西約5浬(10.25N,121.50E)で米潜GUDGEON(SS-211)の雷撃により沈没

氷川丸型 2隻 HIKAWA MARU Class (1930)

氷川丸
氷川丸 Hikawa Maru
シアトル線の船質改善のために3隻計画された1万1,000総トン級、最大速力18ノットの貨客船。遠洋航路補助法による補助金を受けた。昭和3年(1928)6月、横濱船渠に2隻、大阪鐵工所に1隻を発注し昭和5年(1930)中に全船がシアトル航路へ就航した。
貨客船 Lpp 155.91(511'-6") B 20.12(66'-0") D 12.50(41'-0") m 主機 D B&W 2基 日本郵船株式会社(東京)
Sno.177 氷川丸 (1) HIKAWA MARU 35370/VCGT 11,622G/T 10,271D/W 11,000BHP 16/18.212kt
起工 1928.11.9(昭3) 進水 1929.9.30(昭4) 竣工 1930.4.25(昭5)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 氷川丸 HIKAWA MARU 船客 1等)76, 2等)69, 3等)186 SCAJAP No.H022
1930(昭5)シアトル航路に就航
1950.10.18(昭25)横浜からシアトル向け航海で2名の船客を引受け(戦後日本船による最初の外航船客輸送)
1953.7.23(昭28)シアトル航路に就航
1960.10.5(昭35)神戸着、シアトル・バンクーバー航路より撤退
1960.12.21(昭35)除籍
1961.2.28(昭36)氷川丸観光(横浜)に売却、横浜港に係船、6月1日開業
Sno.178 日枝丸 HIYE MARU 36219/JGYC 11,931G/T 13,122BHP 16/18kt
起工 1929.5.25(昭4) 進水 1930.2.12(昭5) 竣工 1930.7.31(昭5)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 日枝丸 HIYE MARU 船客 1等)76, 2等)69, 3等)186
1930(昭5)シアトル航路に就航
1943.11.17(昭18)ラバウルからトラック島に向け航行中、トラック島の南西約370浬(1.45N,148.45E)で潜水艦の雷撃により沈没
日枝丸
日枝丸 Hiye Maru

關東丸型 2隻 KWANTO MARU Class (1930)

關東丸
關東丸 Kwanto Maru
貨物船 Lpp 140.21 B 18.75 D 12.12 m 主機 D M.A.N. 2基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 岸本汽船株式会社(大阪)
Sno.179 關東丸 (2) KWANTO MARU 36105/JJKC 8,606G/T 7,500BHP 16/18.34kt
起工 1929.10.11(昭4) 進水 1930.4.28(昭5) 竣工 1930.9.16(昭5) 關東丸 KWANTO MARU
1930.10.14(昭5)横浜を出航、紐育急航航路に就航
1937.3.18(昭12)原田汽船(株)(大阪)に売却
1942.9.11(昭17)セレベス島南部マカッサルのアンダ岬で雷撃により沈没
Sno.180 關西丸 KWANSAI MARU 36399/JJOC 8,616G/T 9,469BHP 16/19.02kt
起工 1930.1.23(昭5) 進水 1930.9.19(昭5) 竣工 1930.12.15(昭5) 關西丸 KWANSAI MARU
1930.12.30(昭5)横浜を出航、紐育急航航路に就航
1931.12.24(昭6)天津から神戸に向け航行中、来島海峡で大阪商船の八重山丸と衝突、八重山丸は沈没
1932.9.16(昭7)ニューヨークから日本に向けて航行中、カリブ海(22.33N,74.26W)で船艙より出火、2時間後に鎮火
1937.3.18(昭12)原田汽船(株)(大阪)に売却
1943.9.18(昭18)ラバウルからパラオに向け航行中、アドミラルティ諸島アヌス島の北西400km(1.05N,146.27E)で雷撃により沈没
1943.11.16(昭18)合併に伴い大阪商船(株)(大阪)に移籍(戦禍未公開のため)
關西丸
關西丸 Kwansai Maru

SNo.181 帝洋丸 TEIYO MARU (1931)

帝洋丸
帝洋丸 Teiyo Maru
36910/VKPR→JGHC 油槽船 9,850G/T 12,315D/W
起工 1930.4.28(昭5) 進水 1931.1.19(昭6) 竣工 1931.5.2(昭6)
Lpp 150.01(492'-2") B 19.51(64'-0") D 11.96(39'-3") m 主機 D M.A.N. D6Zu60/90 7,200BHP 2基 17.53kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.181 日本タンカー株式会社(東京)
帝洋丸 TEIYO MARU
1941.3.31(昭16)合併に伴い日東鑛業汽船(株)(東京)に移籍
1943.2.26(昭18)社名変更に伴い日東汽船(株)(東京)に移籍
1944.8.19(昭19)マニラ沖(17.30N,119.30E)で雷撃により沈没

SNo.194 快速丸 KAISOKU MARU (1931)

快速丸
快速丸 Kaisoku Maru
37281/JCFH 油槽船 1,064G/T 1,531D/W
起工 1931.9.1(昭6) 進水 1931.11.26(昭6) 竣工 1931.12.23(昭6)
Lpp 67.06 B 10.52 D 5.56 m 主機 D M.A.N. 700BHP 12.56kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.194 日本タンカー株式会社(東京)
快速丸 KAISOKU MARU
1941.3.31(昭16)合併に伴い日東鑛業汽船(株)(東京)に移籍
1943.2.26(昭18)社名変更に伴い日東汽船(株)(東京)に移籍
1944.5.21(昭19)近海油槽船(株)(東京)に出資
1945.7.25(昭20)広沖下蒲刈島の北東0.6Km沖で空爆により沈没

SNo.195 ペガサス丸 PEGASUS MARU (1931)

ペガサス丸
ペガサス丸 Pegasus Maru
37230/JCEH 油槽船 224G/T 286D/W 起工 1931.8.20(昭6) 進水 1931.11.2(昭6) 竣工 1931.12.25(昭6)
Lpp 36.58 B 6.86 D 3.00 m 主機 D 三井B&W 428MTF45 200BHP 8.64kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.195 スタンダード石油株式会社(横浜)
ペガサス丸 PEGASUS MARU
1961(昭36)神光汽船(株)(広島安浦)に売却、鶴洲丸 KAKUSHU MARU と改名(売却改名時期不詳)

SNo.203 宗谷丸 SOYA MARU (1932)

宗谷丸
宗谷丸 Soya Maru
37738/JAWE 鉄道連絡船 3,593G/T 2,454D/W
起工 1931.12.15(昭6) 進水 1932.6.23(昭7) 竣工 1932.12.5(昭7)
Lpp 94.49(310'-0") B 14.02(46'-0") D 9.14(30'-0") m 主機 R 3連成 5,500IHP 2基 17.06kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.203 鐵道省(東京)
宗谷丸 SOYA MARU
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1945.11.29(昭20)函航路に就航
1949.6.1(昭24)日本国有鉄道(東京)に移籍
1952.9.1(昭27)広島鉄道管理局へ転属、貨物船へ改造
1954.10.13(昭29)洞爺丸台風後の輸送のため12.25まで青函航路へ就航
1957.11(昭32)訓練船となる
1965.6(昭40)訓練船を廃止
1965.8.11(昭40)運航を休止、下関港の国鉄岸壁に係留
1965.10.13(昭40)三菱商事(株)(東京)に売却、野瀬工業所(相生)で解体

長良丸型 6隻 NAGARA MARU Class (1934 - 1935)

長良丸
長良丸 Nagara Maru
日本郵船が紐育線改善のために第1次船舶改善助成施設の適用を受けて建造した7,100総トン級、速力15ノットの大型貨物船でN型と称された。横濱船渠へ2隻、三菱長崎へ3隻、浦賀船渠へ1隻発注された。
貨物船 Lpp 136.00 B 19.00 D 10.50 m 主機 D M.A.N. 1基 日本郵船株式会社(東京)
Sno.220 長良丸 (1) NAGARA MARU 39666/JBNH 7,142G/T 9,843D/W 6,700BHP 18.58kt
起工 1933.3.28(昭8) 進水 1934.4.28(昭9) 竣工 1934.8.28(昭9)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 長良丸 NAGARA MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1942.11.14(昭17)ソロモンのショートランド島からガダルカナル島に向け航行中ソロモン群島サンタイサベル島の西約30浬(8.30S,158.48E)で空爆により沈没

能登丸 (1) NOTO MARU (1934)
能登丸
能登丸 Noto Maru

那古丸 NAKO MARU (1934)
那古丸
那古丸 Nako Maru

能代丸 (1) NOSHIRO MARU (1934)
能代丸
能代丸 Noshiro Maru

Sno.222 鳴門丸 (1) NARUTO MARU 39738/JBQH 7,142G/T 9,841D/W 7,310HP 15/18.4kt
起工 1933.10.27(昭8) 進水 1934.8.29(昭9) 竣工 1934.12.10(昭9)
横濱船渠株式会社(横濱)建造 鳴門丸 NARUTO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1943.8.8(昭18)サイパンから横浜に向け航行中、硫黄島の南東約90浬 (24.03N142.45,E)で米潜WHALE(SS-239)の雷撃により沈没
鳴門丸
鳴門丸 Naruto Maru

野島丸 NOJIMA MARU (1935)
野島丸
野島丸 Nojima Maru

SNo.224 新興丸 SHINKO MARU (1935)
貨物船 6,480G/T 9,564D/W 起工 1933.7.26(昭8) 進水 1935.3.5(昭10) 竣工 1935.6.3(昭10)
Lpp 133.00 B 17.76 D 9.75 m 主機 D 三菱横浜M.A.N. D6Zu60/110 4,700BHP 1基 17.08kt
横濱船渠株式会社(横濱)建造 Sno.224 新興商船株式会社
新興丸 SHINKO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船

千光丸型 2隻 SENKO MARU Class (1935)

千光丸
千光丸 Senko Maru
台湾から京浜地区へのバナナ等青果輸送の船質改善を図るために計画されたタービン主機の貨物船で第1次船舶改善助成施設により建造された。
貨物船 Lpp 110.00 B 15.50 D 9.90 m 主機 T 石川島全衝動型 1基
横濱船渠株式会社(横濱)建造 近海郵船株式会社(東京)
Sno.227 千光丸 SENKO MARU 40758/JYRJ 4,472G/T 5,410D/W 3,600/4,100SHP 14/17kt
起工 1934.9.12(昭9) 進水 1935.5.18(昭10) 竣工 1935.7.31(昭10) 千光丸 SENKO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1945.7.3(昭20)スマトラ島西岸ブングス湾で空爆により小破。翌日再び空爆により大破。
1945.9.1(昭20)曳航されエンマ湾に到着、10.11連合軍に接収され11.8エンマ湾外(1.00S,100.20E)で爆沈
Sno.228 萬光丸 MANKO MARU 40767/JYSJ 4,471G/T 5,412D/W 3,600/4,100SHP 14/17kt
起工 1934.9.27(昭9) 進水 1935.6.29(昭10) 竣工 1935.8.30(昭10) 萬光丸 MANKO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1944.7.31(昭19)高雄からマニラに向け航行中、ルソン島北端マイライラ岬の北22浬(19.00N,120.50E)で米潜PARCHE(SS-384)の雷撃により沈没
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