船歴 本邦建造船26 - 幕末・維新|明治前期|明治後期|大正期|昭和初期|太平洋戦争|占領期|海運再建期|海運集約期 戻る

緒明 菊三郎

第六観音丸 KWANNON MARU No.6 (1891)
1250/HJGS 木造汽船 92G/T 進水 1891.7(明24)
Lpp 27.61 B 3.81 D 3.29 m 主機 R 17NHP/51IHP 6.5/7kt
緒明 菊三郎(武蔵國)建造 緒明 菊三郎(品川)
第六観音丸 KWANNON MARU No.6 船客 3等)56
1892(明25)東京灣汽船(株)(東京)に売却
1931(昭6)船名録より削除

第七観音丸 KWANNON MARU No.7 (1891)
1251/HJGT 木造汽船 93G/T 進水 1891.7(明24)
Lpp 28.57 B 3.73 D 3.32 m 主機 R 19NHP/IHP 6.5/7kt
緒明 菊三郎(武蔵國)建造 緒明 菊三郎(品川)
第七観音丸 KWANNON MARU No.7 船客 3等)
1892(明25)東京灣汽船(株)(東京)に売却
1917(大6)活田 寅吉(下田)に売却
1920(大9)船名録より削除

第二加能丸 KANO MARU No.2 (1892)
1202/HJCP 木造汽船 122G/T 進水 1892.6(明25)
Lpp 30.30 B 4.53 D 3.57 m 主機 R 24IHP
緒明 菊三郎(武蔵國)建造 加能汽船株式会社(金石)
第二加能丸 KANO MARU No.2
1899(明32)丹州汽船(名)合名会社(宮津)に売却、宮津丸 Miyazu Maru と改名
1910(明43)松尾敏章(門司)に売却
1911(明44)釜山汽船(釜山)に売却、光陽丸 Kwoyo Maru と改名
1912.4(明45)朝鮮郵船(株)(仁川)に移籍
1915.4(大4)松江久次郎(仁川)に売却
1916(大5)船名録より削除

株式会社大湊造船所

三省丸 SANSHO MARU (1904)
9115→朝184/JRSQ→PBNW 木造汽船 36G/T 進水 1904.5(明37)
Lpp 18.69 B 3.15 D 1.92 m 主機 R 2連成
株式会社大湊造船所(大湊)建造 川村種吉(大阪)
三省丸 SANSHO MARU
1912.12(明45)朝鮮郵船(株)(仁川)に売却
1912(明45)秋田商会(仁川)に売却
1917.2(大6)奥廣丈助(不詳)に売却
1918(大7)船名録より削除

海光丸 KAIKO MARU (1904)
9280/JSPK 木造汽船 153G/T 進水 1904.9(明37)
Lpp 33.33(104.60尺) B 5.76(19.00尺) D 3.64(10.20尺) m 主機 R 3連成 35IHP
株式会社大湊造船所(大湊)建造 宮田久治郎(大阪)
海光丸 KAIKO MARU

海天丸 KAITEN MARU (1917)
19799/NFPV 木鉄混合貨物船 922G/T 進水 1917.2(大6)
Lpp 64.85 B 9.17 D 5.64 m 主機 R 3連成 82NHP/350IHP 7.5/8.5kt
株式会社大湊造船所(大湊)建造 樽崎平八郎
海天丸 KAITEN MARU
1917.6(大6)三井物産船舶部(神戸)に売却
1921.5(大10)道森吉蔵(神戸)に売却
1923(大12)上野春夫(神戸)に売却
1925(大14)船名録より削除

川崎兵庫造船所

SNo.1 芳野川丸 YOSHINOGAWA MARU (1886)
971/HGDF 鉄製旅客船 380G/T 進水 1886.5.20(明19) 竣工 1886.10(明19)
Lpp 46.94(154'-0") B 6.10(20'-0") D 5.18(17'-0") m 主機 R 2連成 65NHP/380IHP 1基 10.6kt
川崎兵庫造船所(神戸)建造 Sno.1 芳野川丸型 有限会社大阪商船会社(大阪)
芳野川丸 YOSHINOGAWA MARU
1886(明19)吉野川丸 YOSHINOGAWA MARU と改名(正確な改名時期は不明)
1911.6.1(明44)九州航路・大阪四國豐州線に就航
1922.11.12(大11)和歌山県西牟婁群瀬戸鉛山村沖で座礁、沈没

株式会社川崎造船所

SNo.53 第五肱川丸 HIJIKAWA MARU No.5 (1897)

第五肱川丸
第五肱川丸 Hijikawa Maru No.5
伊豫汽船から川崎正造個人経営時代の川崎造船所に発注された貨客船。その後、続行船として株式会社川崎造船所が建造、引渡しした。
1651/HKWM 貨客船 560G/T 進水 1897.3(明30)
Lpp 48.77(160'-0") B 7.24(23'-9") D 5.87(19'-3") m 主機 R 3連成 65HP 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.53 伊豫汽船株式会社(伊豫群中町)
第五肱川丸 HIJIKAWA MARU No.5
1902(明35)岩内汽船(株)(函館)に売却
1906(明39)船名録より削除

SNo.1 伊豫丸 IYO MARU (1897)
1784/HLNJ 貨客船 727G/T 進水 1897.10.28(明30) 竣工 1897.12(明30)
Lpp 54.86(180'-0") B 8.08(26'-6") D 6.25(20'-6") m 主機 R 3連成 878IHP 1基 11.5kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.1 伊豫汽船株式会社(伊豫郡中)
伊豫丸 IYO MARU 造船奨励法の適用第1船
1901.7.1(明34)日本郵船(株)(東京)に売却、北見丸 KITAMI MARU と改名
1922.3.20(大11)北海郵船(株)(小樽)に売却
1930(昭5)小喜多 鐵雄(大連)に売却、公濟丸と改名
1930.3.27(昭5)Chefooで座礁
1931(昭6)船名録より削除

SNo.2 川崎丸 KAWASAKI MARU (1898)
2665/HQFC 木造曳船 45G/T 進水 1898.2.28(明31) 竣工 1898.4(明31)
Lpp 24.38(80'-0") B 4.17(13'-8") D 2.29(7'-6") m 主機 R 2連成 80IHP 1基 9kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.2 株式会社川崎造船所
川崎丸 KAWASAKI MARU

SNo.6 長柄丸 NAGARA MARU (1898)
曳船 59G/T 進水 1898.4.9(明31) 竣工 1898.4.30(明31)
Lpp 25.91(85'-0") B 4.88(16'-0") D 1.60(5'-3") m 主機 R 複2連成 132IHP 2基 9.34kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.6 内務省大阪土木出張所
長柄丸 NAGARA MARU 同型全6隻 最後の2隻は組立後解体して引渡
竣工年月 2:M31.5.31 3:M31.7.23 4:m37.8.27 5-6:M32.3.31

SNo.7 大元丸 TA YUEN MARU (1899)

大元丸
大元丸 Ta Yuen Maru
川崎造船所がわが国で最初に建造した揚子江用の浅喫水型船型の旅客船。喫水は1.83m(6'-00")。「同船製造の設計に當りては我国に於て一つも準拠すべきものなきため川崎造船所に於ては同航路を踏査して之に使用せる外國製船舶を調査し其の粋を萃(あつ)めて製造」と大阪商船の社史にある。
3446/HTLD 汽船 1,694G/T 進水 1899.2.6(明32) 竣工 1899.3.31(明32)
Lpp 70.10(230'-0") B 12.19(40'-0") D 7.47(24'-6") m 主機 R 3連成 1,042IHP 2基 10.76kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.7 大阪商船株式会社(大阪)
大元丸 TA YUEN MARU
1907.3(明40)日清汽船(株)(東京)に売却
1926.8.7(大15)火災のため全損

SNo.14 硯海丸 KENKAI MARU (1899)
4576/JDFN 木造汽船 45G/T 進水 1899.5(明32) 竣工 1899.7.12(明32)
Lpp 19.96(65'-6") B 3.73(12'-3") D 2.01(6'-7") m 主機 R 2連成 202IHP 1基 10.25kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.14 建造者不詳
硯海丸 KENKAI MARU 舞鶴丸と建造番号は同じ

SNo.14 舞鶴丸 MAIZURU MARU (1899)
4575/JDFM 木造汽船 45G/T 進水 1899.5(明32) 竣工 1899.7.12(明32)
Lpp 19.96(65'-6") B 3.73(12'-3") D 2.01(6'-7") m 主機 R 2連成 202IHP 1基 10.25kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.14 陸軍省(神戸)
舞鶴丸 MAIZURU MARU 硯海丸と建造番号は同じ

SNo.13 小鷹丸 KOTAKA MARU (1899)
4667/JDNM 木造汽艇 42G/T 進水 1899.5(明32) 竣工 1899.9.4(明32)
Lpp 19.81(65'-0") B 3.73(12'-3") D 2.29(7'-6") m 主機 R 2連成 103IHP 1基 9.5kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.13 高知県水上警察署(潮江)
小鷹丸 KOTAKA MARU

SNo.17 第三海關丸 UMISEKI MARU No.3 (1900)
汽艇 59G/T 進水 1900.2(明33) 竣工 1900.2.20(明33)
Lpp 24.38(80'-0") B 4.01(13'-2") D 2.59(8'-6") m 主機 R 2連成 120IHP 1基 9.8kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.17 神戸税関
第三海關丸 UMISEKI MARU No.3

SNo.18 第三咲花丸 SAKIHANA MARU No.3 (1900)
4513/JCPG→JJJE 曳船 154G/T 進水 1900.2.24(明33) 竣工 1900.3.31(明33)
Lpp 30.48(100'-0") B 6.40(21'-0") D 2.90(9'-6") m 主機 R 3連成 489IHP 1基 10.3kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.18 大阪築港事務所(大阪)
第三咲花丸 SAKIHANA MARU No.3
1925(大14)尼崎汽船(株)部(大阪)に売却
1930(昭5)船体延長等改造(197G/T Lpp 39.62m)、咲花丸と改名
1942.5.4(昭17)関西汽船(株)(大阪)に移籍
1943.9.27(昭18)陸軍徴用船として行動中、ニューギニアのウエワク港(3.30S,42.00E)で空爆により沈没

SNo.15 大利丸 TA LEE MARU (1900)

大利丸
大利丸 Ta Lee Maru

ファンネルマークは日清汽船のもの。
3隻のうち三菱長崎造船所が建造した2隻は同所では初めての揚子江用浅喫水型の旅客船。
6882/JCRB→JAFE 旅客船 2,247G/T 進水 1900.6.25(明33) 竣工 1900.9.3(明33)
Lpp 82.30(270'-0") B 12.19(40'-0") D 3.81(12'-6") m 主機 R 3連成 1,800/2,210HP 2基 12.48/12.48kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.15 大亭丸(1)型 大阪商船株式会社(大阪)
大利丸 TA LEE MARU 船客 1等)28 特2等)10 2等)58 3等)160
1907.3(明40)日清汽船(株)(東京)に売却
1933.7(昭8)第1次船舶改善助成施設により解体のため売却、同年11.4解体

SNo.16 大仁丸 DAIJIN MARU (1900)

大仁丸
大仁丸 Daijin Maru

H.Nakamura
6920/JCRS 貨客船 1,576G/T 1,950D/W 進水 1900.9.29(明33) 竣工 1900.11.25(明33)
Lpp 74.68(245'-0") B 10.36(34'-0") D 6.71(22'-0") m 主機 R 3連成 1,874IHP 1基 12.62kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.16 大阪商船株式会社(大阪)
大仁丸 DAIJIN MARU
1916.2.2(大5)中国広東省遮浪角沖で英船臨安と衝突、沈没

SNo.25 新高丸 NIITAKA MARU (1901)
曳船 165G/T 進水 1901.2.23(明34) 竣工 1901.3.31(明34)
Lpp 30.48(100'-0") B 6.25(20'-6") D 2.90(9'-6") m 主機 R 3連成 480IHP 1基 10.28kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.25 陸軍省
新高丸 NIITAKA MARU

SNo.25 白河丸 SHIRAKAWA MARU (1901)
曳船 165G/T 進水 1901.3.13(明34) 竣工 1901.3.31(明34)
Lpp 30.48(100'-0") B 6.25(20'-6") D 2.90(9'-6") m 主機 R 3連成 480IHP 1基 10.1kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.25 陸軍省
白河丸 SHIRAKAWA MARU

SNo.20 快信丸 KAISHIN MARU (1901)
汽艇 13G/T 進水 1901.4.16(明34) 竣工 1901.5(明34)
Lpp 13.72(45'-0") B 2.74(9'-0") D 1.47(4'-10") m 主機 R 2連成 41IHP 1基 6.5kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.20 神戸郵便電信局
快信丸 KAISHIN MARU

SNo.21 日高丸 (1) HIDAKA MARU (1901)
8124/JPLC 貨客船 735G/T 進水 1901.5.22(明34) 竣工 1901.7.4(明34)
Lpp 54.86(180'-0") B 8.03(26'-4") D 6.30(20'-8") m 主機 R 3連成 691IHP 1基 11.34kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.21 日本郵船株式会社(東京)
日高丸 HIDAKA MARU
1907.12.6(明40)小樽から稚内に向け航行中、寄港地の増毛で荒天に遭遇し、避難作業中に岸増毛稲尾埼沖で座礁
1908.5.6(明41)委付同年9月30日、山科海事工業の手で浮揚に成功、修理
1913.2.20(大2)大阪商船(株)(大阪)に売却
1930.5.31(昭5)大洋商船(株)(東京)に売却
1936(昭11)小谷杢之助(鹿児島)に売却
1943.8.26(昭18)朝鮮の仁川沖(37.30N,126.30E)で時化のため沈没

SNo.33 小門丸 KOMON MARU (1901)
木造汽艇 25G/T 進水 1901.8.7(明34) 竣工 1901.10.4(明34)
Lpp 16.76(55'-0") B 3.33(10'-11") D 1.68(5'-6") m 145HP 1基 9.3kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.33 山陽鐵道株式会社
小門丸 KOMON MARU

十勝丸型 3隻 TOKACHI MARU Class (1901 - 1903)
貨客船 Lpp 67.06(220'-0") B 8.84(29'-0") D 6.93(22'-9") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 日本郵船株式会社(東京)
1. Sno.22 十勝丸 TOKACHI MARU 8140/JPLK 1,109G/T 1,285IHP 13.15kt
進水 1901.6.30(明34) 竣工 1903.8.30(明36) 十勝丸 TOKACHI MARU
1910.5.29(明43)霧多布から根室に向け航行中、濃霧のためウドケ島の浅洲に乗り上げ破壊、同年6月6日委付
2. Sno.23 天鹽丸 TESHIO MARU 7562/JNSG 1,107G/T 1,130HP 12.84kt
進水 1901.8.28(明34) 竣工 1901.10.19(明34) 天鹽丸 TESHIO MARU
1903.12.2(明36)小樽から稚内に向け航行中、稚内聲問埼の北方1浬の暗礁に乗り上げ破壊
1904.6.22(明37)解体
3. Sno.38 釧路丸 (1) KUSHIRO MARU 8753/JQWP 1,075G/T 1,334IHP 12.96kt
進水 1902.12.13(明35) 竣工 1903.2.25(明36) 釧路丸 KUSHIRO MARU
1923.3.31(大12)近海郵船(株)(東京)の設立に伴い出資
1924.1(大13)朝鮮郵船(株)(仁川)に売却、京城丸 KEIJO MARU と改名
1935.8(昭10)福本麻次郎(西宮)に売却
1936(昭11)中川汽船(秋田)に売却
1944.11.8(昭19)九州枕崎の南西で米潜QUEENFISH(SS-393)の雷撃により沈没
釧路丸
釧路丸 Kushiro Maru

SNo.34 手宮丸 TEMIYA MARU (1901)
木造汽艇 15G/T 進水 1901.10.18(明34) 竣工 1901.11.7(明34)
Lpp 14.33(47'-0") B 3.05(10'-0") D 1.68(5'-6") m 主機 R 2連成 145IHP 1基 9.3kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.34 日本郵船株式会社
手宮丸 TEMIYA MARU

SNo.37 北野丸 KITANO MARU (1902)
木造汽艇 17G/T 進水 1902.4.3(明35) 竣工 1902.4(明35)
Lpp 14.02(46'-0") B 3.05(10'-0") D 1.60(5'-3") m 主機 R 2連成 85IHP 1基 12.5kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.37 日本郵船株式会社
北野丸 KITANO MARU

SNo.36 流星 RYUSEI (1902)
燈台見回り船 709G/T 724D/W 進水 1902.6.7(明35) 竣工 1902.9.13(明35)
Lpp 56.39(185'-0") B 8.69(28'-6") D 4.93(16'-2") m 主機 R 3連成 1,499IHP 2基 13.14kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.36 清国上海税関
流星 RYUSEI

京城丸型 2隻 KEIJO MARU Class (1902 - 1903)

京城丸
京城丸 Keijo Maru

改造後の姿
貨客船 Lpp 64.62(212'-0") B 9.60(31'-6") D 6.10(20'-0") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 大阪商船株式会社(大阪)
1. Sno.35 京城丸 KEIJO MARU 8681/JQSG 1,208G/T 1,415D/W 122NHP/1,312IHP 10.5/12.19kt
進水 1902.9.25(明35) 竣工 1902.12.5(明35) 京城丸 KEIJO MARU
1916.6.6(大5)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1929.2.3(昭4)海馬島宇須湾内で吹雪のため座礁、沈没
2. Sno.42 平壌丸 HEIJO MARU 8693→朝309→36056/JQTB→PCGM→VGCR→JJDC 1,202G/T 1,465D/W 1,186IHP 11.98kt
進水 1903.1.15(明36) 竣工 1903.4.6(明36) 平壌丸 HEIJO MARU
1915.11.20(大4)朝鮮郵船(株)(釜山)に売却
1930(昭5)福徳汽船(神戸)に売却
1934.3.29(昭9)関東州に転籍但し船名録には未記載以後不詳

SNo.41 松帆丸 MATSUHO MARU (1903)
汽艇 196G/T 進水 1902.12(明35) 竣工 1903(明36)
Lpp 30.48(100'-0") B 6.10(20'-0") D 3.66(12'-0") m 主機 R 3連成 380IHP 1基 9.7kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.41 株式会社川崎造船所
松帆丸 MATSUHO MARU

香川丸型 2隻 KAGAWA MARU Class (1903)
川崎重工業の社史(昭34)には「当社最初の客船」とあるが、大阪商船の揚子江航路用の浅喫水船大元丸(明治32年進水)を旅客船とみなせば大元丸のほうが4年ほど早く川崎造船所で建造されている。
旅客船 Lpp 51.82(170'-00") B 7.92(26'-00") D 5.18(17'-00") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 大阪商船株式会社(大阪)
1. Sno.45 香川丸 KAGAWA MARU 8688/JQSP 614G/T 80NHP/950IHP 12.14kt
進水 1903.1.26(明36) 竣工 1903.3.19(明36) 香川丸 KAGAWA MARU
1916.4.23(大5)愛媛県の佐田岬で座礁、沈没
2. Sno.46 愛媛丸 EHIME MARU 8689/JQSR 614G/T 400D/W 80NHP/956IHP 12.08kt
進水 1903.2.7(明36) 竣工 1903.3.24(明36) 愛媛丸 EHIME MARU
1902.3.5(明35)攝陽商船(株)(大阪)に売却
1938.10.21(昭13)日清汽船(株)(東京)に売却
1939.8.5(昭14)東亞海運(株)(東京)の設立に伴い移籍。戦没(詳細不明)
愛媛丸
愛媛丸 Ehime Maru

SNo.247 大成丸 TAISEI MARU (1904)

大成丸
大成丸 Taisei Maru
明治34年(1901)に遭難した練習帆船月島丸の代船として建造された。
8966/JNGH→JTMD 練習船 2,287G/T 起工 1902.9(明35) 進水 1903.12.2(明36) 竣工 1904.3.25(明37)
Lpp 82.30(270'-0") B 13.41(44'-0") D 8.15(26'-9") m 主機 R 3連成 870NHP/932IHP 2基 7/9kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.247 文部省(東京)
大成丸 TAISEI MARU 東京高等商船学校 帆船(4檣バーク型) 
1943.4.1(昭18)逓信省海務院に航海訓練所設置に伴い移籍
1943.11.1(昭18)官制改正のため航海訓練所は運輸通信省海運総局へ移管
1945.5.19(昭20)運輸省航海訓練所(東京)に移籍
1945.10.9(昭20)帰還輸送に従事するため三菱重工業(神戸)に回航中、神戸港内で触雷、沈没

SNo.249 徳島丸 TOKUSHIMA MARU (1904)

徳島丸
徳島丸 Tokushima Maru
8995/JRSC→JJWE 旅客船 315G/T 進水 1904.5(明37) 竣工 1904.7.25(明37)
Lpp 38.10(125'-00") B 6.71(22'-00") D 4.27(14'-00") m 主機 R 3連成 46NHP/350IHP 2基 10.62kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.249 大阪商船株式会社(大阪)
徳島丸 TOKUSHIMA MARU
1931.10.30(昭6)攝陽商船(株)(大阪)に売却
1935(昭10船名録より削除

群山丸型 2隻 KUNSAN MARU Class (1904)

群山丸
群山丸 Kunsan Maru
貨客船 Lpp 54.86(180'-00") B 8.53(28'-00") D 5.79(19'-00") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 大阪商船株式会社(大阪)
1. Sno.252 群山丸 KUNSAN MARU 9191/JSCT→JKAE 780G/T 78NHP/954IHP 10.8/12.486kt
進水 1904.7.25(明37) 竣工 1904.9.7(明37) 群山丸 KUNSAN MARU
1935.3.2(昭10)攝陽商船(株)(大阪)に売却
1942.5.4(昭17)関西汽船(株)(大阪)の設立に伴い移籍
1951.2.14(昭26)佐野安船渠(株)(大阪)に売却、登録を抹消
2. Sno.253 木浦丸 MOPPO MARU 9195/JSDC→JKBE 780G/T 767D/W 983HP 9/12.44kt
進水 1904.8.20(明37) 竣工 1904.9.23(明37) 木浦丸 MOPPO MARU
1935.3.5(昭10)攝陽商船(株)(大阪)に売却
1942.5.4(昭17)関西汽船(株)(大阪)の設立に伴い移籍
1950.9(昭25)貨物船に改造、主機をD 新潟鐵工所 (550 BHP)に換装
1955.10.12(昭30)土佐海運(株)(大阪)に売却
1957(昭32)太伸丸 TAISHIN MARU と改名
1959(昭34)太平商船(東京)に売却
1961(昭36)岳南海運(株)(清水)に売却、第一大伸丸 TAISHIN MARU No.1 と改名
1963(昭38)紙村建義(不詳)に売却
1965.11(昭40)羽田沖で大阪商船(大阪)のはわい丸と衝突、沈没
木浦丸
木浦丸 Moppo Maru

SNo.269 開城丸 KAIJO MARU (1906)

開城丸
開城丸 Kaijo Maru

鹿児島港 H.Nakamura
日露戦争開戦後に開設された大阪大連線に就航した新造貨客船。もともとは関釜連絡船に対抗するために大阪仁川航路用として計画された。鐵嶺丸は明治43年(1910)に事故により喪失、開城丸は翌年に転配されたため本型が大連線に就航したのは4年余りであった。
9746/JVGF→JKQC 貨客船 2,085G/T 2,061D/W 進水 1905.11.8(明38) 竣工 1906.1.15(明39)
Lpp 85.34(280'-0") B 12.19(40'-0") D 7.01(23'-0") m 主機 R 3連成 179NHP/2,300IHP 1基 10.41/13.8kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.269 開城丸型 大阪商船株式会社(大阪)
開城丸 KAIJO MARU 船客 1等)16 2等)29 3等)266
1945.3.24(昭20)東シナ海(30.28N,125.57E)で空爆により沈没

SNo.279 石狩丸 ISHIKARI MARU (1906)

石狩丸
石狩丸 Ishikari Maru
10109/JWST 貨客船 1,311G/T 進水 1906.3.14(明39) 竣工 1906.5.19(明39)
Lpp 69.49(228'-0") B 9.91(32'-6") D 7.32(24'-0") m 主機 R 3連成 107NHP/1,155IHP 1基 10/13.081kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.279 日本郵船株式会社(東京)
石狩丸 ISHIKARI MARU 船客 1等12 2等24 3等132
1923.3.31(大12)近海郵船(株)(東京)に出資
1926.11.5(大15)鶴見から青森・函館に向け航行中、野島崎の沖で火災、船体放棄
1928(昭3)船名録より削除

SNo.281 武陵丸 WOO LING MARU (1906)

武陵丸
武陵丸 Woo Ling Maru
10566/LCBF 旅客船 1,458G/T 進水 1906.9.18(明39) 竣工 1906.11(明39)
Lpp 67.06(220'-0") B 12.19(40'-0") D 3.05(10'-0") m 主機 R 3連成 110NHP/1,336IHP 2基 12.98kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.281 湖南汽船株式会社(東京)
武陵丸 WOO LING MARU 船客 特1等)6 1等)16 2等)30 3等)146
1907.3(明40)日清汽船(株)(東京)の設立に伴い移籍
1939.8.5(昭14)東亞海運(株)(東京)の設立に伴い移籍
1945(昭20)中国軍に接収されChina Merchant Steam Nav. Co. Ltd.,(招商局)に売却、江陵 KIANG LING と改名
1949(昭24)中華人民共和国の管理下に移る。同年9月30日、中国軍の誤認砲撃(英国軍艦AMETHYSTと誤認)を受けて揚子江で沈没、数百名が死亡

岳陽丸型 3隻 GAKUYO MARU Class (1907)

岳陽丸
岳陽丸 Gakuyo Maru
日本郵船が長江航路用に3隻計画した浅喫水型旅客船。三菱と川崎に見積を提出させた結果、川崎造船所のほうが価格低廉かつ短工期であるため同所に発注を決定したと日本郵船の記録にある。3隻とも日清汽船に移籍後に就航した。
旅客船 Lpp 94.49(310'-0") B 13.41(44'-0") D 4.42(14'-6") m 主機 R
株式会社川崎造船所(神戸)建造 日本郵船株式会社(東京)
1. Sno.282 岳陽丸 GAKUYO MARU 10808/LCFJ→JBWE 3,588G/T 3,076IHP 12/15.35kt
進水 1906.12.25(明39) 竣工 1907.3.28(明40) 岳陽丸 GAKUYO MARU 船客 特1等)16 1等)20 2等)46 3等)252
1907.3.28(明40)日清汽船(株)(東京)に移籍、岳陽丸 YOH YANG MARU と改名
1937.8.15(昭12)日華事変の際に中国軍に拿捕。China Merchant Steam Nav.(招商局),Shanghaiの江華KIANG HANとして使用されていたが九江下流で沈没、のちに浮揚に成功。昭和20年にはChina Marchant Steam Nav.(招商局)によって運航されていた
1949(昭24)China People's Steam Nav. Co.,Shanghaiに移籍、江漢 CHIANG HAN と改名
1960(昭35)Lloyd's Register 1960-1961年版より削除
2. Sno.283 南陽丸 NANYO MARU 10822/LCVF→JBIE 3,588G/T 3,032IHP 12/15.44kt
進水 1907.3.9(明40) 竣工 1907.5.21(明40) 南陽丸 NANYO MARU 船客 特1等)16 1等)20 2等)46 3等)252
1907(明40)日清汽船(株)(東京)に移籍、南陽丸 NAN YANG MARU と改名
1937.8.15(昭12)上海の浦東水道(Putong Channel)で中国軍の攻撃を受けて沈没
1938.4.22(昭13)解体に着手
1939.2.10(昭14)解体完了
南陽丸
南陽丸 Nanyo Maru
3. Sno.284 襄陽丸 JOYO MARU 11042/LCWK→JBOE 3,588G/T 3,358IHP 12/15.62kt
進水 1907.6.8(明40) 竣工 1907.8.10(明40) 襄陽丸 JOYO MARU 船客 特1等)16 1等)20 2等)46 3等)252
1907(明40)日清汽船(株)(東京)に移籍、襄陽丸 SIANG YANG MARU と改名
1937.8.15(昭12)上海の浦東水道(Putong Channel)で中国軍の攻撃を受けて沈没
1939.8.10(昭14)解体に着手
1940.2.28(昭15)解体完了

鳳山丸型 2隻 HOZAN MARU Class (1907)

鳳山丸
鳳山丸 Hozan Maru

敦賀港

H.Nakamura
貨客船 Lpp 91.44(300'-0") B 12.50(41'-0") D 7.32(14'-0") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 大阪商船株式会社(大阪)
1. Sno.285 鳳山丸 HOZAN MARU 10349→台450/LBQM→JFFA 2,347G/T 2,626IHP 12/14.77kt
進水 1907.4.12(明40) 竣工 1907.6.26(明40) 鳳山丸 HOZAN MARU
1940.11.30(昭15)南日本汽船(基隆)に売却
1944.11.22(昭19)台湾東方海上(24.21N,122.38E)で米潜REDFISH(SS-395)の雷撃により沈没
2. Sno.286 嘉義丸 KAGI MARU 10366/LBRN→JKGD 2,509G/T 1,800NHP/2,811IHP 12/15.3kt
進水 1907.7.11(明40) 竣工 1907.9.20(明40) 嘉義丸 KAGI MARU
1943.5.26(昭18)名瀬沖(28.05N,129.32E)で米潜SAURY(SS-189)の雷撃により沈没
嘉義丸
嘉義丸 Kagi Maru

三島丸型 2隻 MISHIMA MARU Class (1909)
貨客船 Lpp 141.73(465'-0") B 17.07(56'-0") D 10.52(34'-6") m 主機 R 3連成 2基 賀茂丸型 日本郵船株式会社(東京)
1. Sno.291 三島丸 MISHIMA MARU 11593/LHCR 8,500G/T 474NHP/8,929IHP 16.56kt
起工 1907.6.17(明40) 進水 1908.4.18(明41) 竣工 1909.1.16(明42)
株式会社川崎造船所(神戸)建造 三島丸 MISHIMA MARU
1931(昭6)係船
1934.3.31(昭9)第1次船舶改善助成施設により解体のため売却
1934.8.29(昭9)鶴見で解体
2. Sno.292 宮崎丸 MIYAZAKI MARU 11596/LHCT 8,500G/T 474NHP/8,832IHP 16.347kt
起工 1907.12.7(明40) 進水 1908.9.24(明41) 竣工 1909.3.9(明42)
株式会社川崎造船所(神戸)建造 宮崎丸 MIYAZAKI MARU
1917.5.31(大6)日本からロンドンに向け航行中、英仏海峡入口西方(49-15N,9-00W)で独潜U-88の雷撃により沈没

たこま丸型 3隻 TACOMA MARU Class (1909 - 1910)

たこま丸
たこま丸 Tacoma Maru
大阪商船が香港タコマ線用に建造した6,000総トン級の同社では初めての本格的な新造貨客船。川崎造船所建造の3隻と三菱造船所建造の3隻はそれぞれ主要寸法が若干異なる。
貨客船 Lpp 124.97(410'-0") B 15.62(51'-3") D 9.91(32'-6") m 主機 R 3連成 2基 大阪商船株式会社(大阪)
1. Sno.297 たこま丸 (1) TACOMA MARU 11760/LHMB→JTAD 6,178G/T 4,975IHP 11.25/15.45kt
起工 1908.1.24(明41) 進水 1909.2.5(明42) 竣工 1909.5.25(明42)
株式会社川崎造船所(神戸)建造 たこま丸 TACOMA MARU
1909.7.3(明42)香港発、北米航路・香港タコマ線に就航
1929.11(昭4)南洋航路・南洋自由線に就航
1944.2.1(昭19)ニューギニアのサルミからハルマヘラに向け航行中モロタイ南方(1.30N,128.50E)で米潜HAKE(SS-256)の雷撃により沈没
2. Sno.298 しあとる丸 (1) SEATTLE MARU 12143/LHMS→JSTD 6,182G/T 5,066IHP 11.71/15.486kt
起工 1908.5.14(明41) 進水 1909.5.3(明42) 竣工 1909.7.26(明42)
株式会社川崎造船所(神戸)建造 しあとる丸 SEATTLE MARU 表記はあとる丸
1909.7(明42)北米航路・香港タコマ線に就航
1929.11(昭4)南洋航路・南洋自由線に就航
1944.7.16(昭19)高雄からマニラに向け航行中ルソン島北方(19.17N,120.15E)で米潜PIRANHA(SS-389)の雷撃により沈没
しあとる丸
しあとる丸 Seattle Maru
3. Sno.299 しかご丸 (1) CHICAGO MARU 13069/LHMS→JSTD 6,182G/T 5,724IHP 11.5/15.128kt
起工 1909.3.5(明42) 進水 1909.10.28(明42) 竣工 1910.1.12(明43)
株式会社川崎造船所(神戸)建造 しかご丸 CHICAGO MARU 表記はかご丸
1943.10.15(昭18)台湾沖(24.30N,120.28E)で米潜TULLIBEE(SS-284)の雷撃により沈没

大運丸型 2隻 DAIUN MARU Class (1911 - 1912)

大運丸
大運丸 Daiun Maru
川崎造船所のストックボートとして建造。同社初の本格的な貨物船の第1船。
貨物船 Lpp 89.92(295'-00") B 13.72(45'-00") D 7.67(25'-02") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 株式会社川崎造船所(神戸)
1. Sno.317 大運丸 DAIUN MARU 13872/LNTR→JHOB 2,813G/T 106NHP/1,241IHP 7.1/11.51kt
進水 1910.11.28(明43) 竣工 1911.1(明44) 大運丸 DAIUN MARU
1911(明44)林竹三郎(大阪)に売却、第三大運丸 DAIUN MARU No.3 と改名
1913.11(大2)大阪商船(株)(大阪)に売却、杭州丸 KOSHU MARU と改名
1932.11.28(昭7)甲斐 緑(京都・府中)に売却
1944.3(昭19)大阪商船(株)(大阪)に売却
1945.3.24(昭20)東シナ海(30.25N,126.55E)で空爆により沈没
2. Sno.343 大榮丸 TAIYEI MARU 15270/MBDT→JPSD 2,933G/T 1,199IHP 11.165kt
進水 1912.3.16(明45) 竣工 1912.9.18(大1) 大榮丸 TAIYEI MARU
1912.8.27(明45)日本郵船(株)(東京)に売却
1923.3.31(大12)近海郵船(株)(東京)の設立に伴い出資
1939.9.8(昭14)合併に伴い日本郵船(株)(東京)に移籍
1950.11.28(昭25)低性能船舶買入法により運輸省に売却、解体
大榮丸
大榮丸 Taiyei Maru

SNo.346 鳥海丸 CHOKAI MARU (1911)
14461/LRQJ トロール漁船 222G/T 進水 1911.8.26(明44) 竣工 1911.9.20(明44)
Lpp 34.14(112'-0") B 6.45(21'-2") D 3.58(11'-9") m 主機 R 3連成 593HP 1基 11.16kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.346 高鍋篤郎(神戸)
鳥海丸 CHOKAI MARU
1915(大4)田村汽船漁業部(下関)に売却
1916(大5)売却

第二福博丸型 4隻 FUKUHAKU MARU No.2 Class (1911)
トロール漁船 Lpp 35.66(117'-0") B 6.86(22'-6") D 3.89(12'-9") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 福博遠洋漁業株式会社(福岡)
1. Sno.350 第二福博丸 FUKUHAKU MARU No.2 14464/LSFB 255G/T 615HP 11.57kt
進水 1911.10.9(明44) 竣工 1911.10.31(明44) 第二福博丸 FUKUHAKU MARU No.2
2. Sno.351 第三福博丸 FUKUHAKU MARU No.3 14466/LSFD 255G/T 590HP 11.65kt
進水 1911.10.9(明44) 竣工 1911.10.31(明44) 第三福博丸 FUKUHAKU MARU No.3
3. Sno.352 第五福博丸 FUKUHAKU MARU No.5 14469/LSFJ 255G/T 627HP 11.42kt
進水 1911.11.12(明44) 竣工 1911.11.30(明44) 第五福博丸 FUKUHAKU MARU No.5
4. Sno.353 西宗丸 NISHISO MARU 14472/LSFN 255G/T 620HP 11.58kt
進水 1911.11.8(明44) 竣工 1911.11.30(明44) 西宗丸 NISHISO MARU

SNo.354 海洋丸 KAIYO MARU (1911)
14475/LSFT トロール漁船 212G/T 進水 1911.11.12(明44) 竣工 1911.11.30(明44)
Lpp 34.14(112'-0") B 6.40(21'-0") D 3.58(11'-9") m 585HP 11.71kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.354 海洋丸型 倉光吉郎(神戸)
海洋丸 KAIYO MARU
1915(大4)田村汽船漁業部(下関)に売却
1922(大11)共同漁業(株)(神戸)に移籍…移籍年確認中

SNo.342 静岡丸 (1) SHIDZUOKA MARU (1912)

静岡丸
静岡丸 Shidzuoka Maru
14818/MBDC 貨客船 6,568G/T 進水 1912.3.3(明45) 竣工 1912.6.21(明45)
Lpp 121.92(400'-0") B 15.24(50'-0") D 9.14(30'-0") m 主機 R 3連成 311HP 2基 15.1kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.342 横濱丸型 日本郵船株式会社(東京)
静岡丸 SHIDZUOKA MARU 船客 1等)28, 2等)-- ,3等)242
1933.4.23(昭8)ヤップ島で座礁、5.13委付、6.15沈没

SNo.361 山城丸 (2) YAMASHIRO MARU (1912)

山城丸
山城丸 Yamashiro Maru
15810/MDJV→JCQA 貨客船 3,606G/T 進水 1912.7.16(明45) 竣工 1912.11.25(大1)
Lpp 105.16(345'-00") B 14.02(46'-00") D 8.53(28'-00") m 主機 R 3連成 230NHP/3,541IHP 1基 12/15.823kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.361 近江丸型 日本郵船株式会社(東京)
山城丸 YAMASHIRO MARU 船客 1等)32 3等)186
1943.9.23(昭18)父島からサイパンに向け航行中、小笠原諸島父島の南約380浬(20.45N,142.5E)で米潜TROUT(SS-202)の雷撃により沈没

高麗丸型 2隻 KOMA MARU Class (1913)

高麗丸
滿洲丸 Manshu Maru

北日本汽船へ売却、改造後の姿。前後檣は門型のデリックポストに強化されている
鐵道院が年々旅客と貨物輸送量が増加する關釜航路用に建造した鉄道連絡船。旅客の多くが夜航便に集中するため夜航便船として計画された。壹岐丸型に較べて凌波性向上のため船首楼を設けたりまた旅客室の蚕棚式の寝台を廃止し畳敷きの座席とするなどの改良が加えられた。
貨客船 Lpp 97.54(320'-0") B 13.11(43'-0") D 9.14(30'-0") m 主機 R 3連成 1基
株式会社川崎造船所(神戸)建造 大蔵省[鐵道院](東京)
1. Sno.358 高麗丸 KOMA MARU 15985/MFKL→JKLD 3,054G/T 280NHP/4,496IHP 13/16.17kt
起工 1912.7(明45) 進水 1912.10.11(大1) 竣工 1913.1.14(大2) 高麗丸 KOMA MARU 船客 1等)43 2等)120 3等)440
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1933.3.29(昭8)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1933.4.18(昭8)船室、荷役設備等を改造、滿洲丸 MANSHU MARU と改名
1940.1.30(昭15)日本海汽船(株)(東京)の設立に伴い移籍
1944.9.9(昭19)比島北部バリンタン海峡バブヤン島の北西50哩で米潜QUEENFISH(SS-393)の雷撃により沈没
2. Sno.359 新羅丸 SHIRAGI MARU 15997/MFTV→JSKD 3,107G/T 4,676IHP 16.04kt
起工 1912.8(大1) 進水 1912.11.27(大1) 竣工 1913.3.14(大2) 新羅丸 SHIRAGI MARU 船客 1等)43 2等)120 3等)440
1913.4.5(大2)關釜航路へ就航
1920.5.15(大9)鐵道省(東京)に移籍
1942.6.10(昭17)凾航路へ転配
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.25(昭20)瀬戸内海部崎灯台沖で触雷により沈没
新羅丸
新羅丸 Shiragi Maru

SNo.366 第三西宗丸 NISHIMUNE MARU No.3 (1913)
トロール漁船 251G/T 進水 1913.3.9(大2) 竣工 1913.3.23(大2)
Lpp 34.14(112'-0") B 6.40(21'-0") D 3.58(11'-9") m 主機 R 3連成 641IHP 1基 11.636kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.366 海洋丸型 西村宗太郎
第三西宗丸 NISHIMUNE MARU No.3
1915(大4)田村汽船漁業部(下関)に売却
1916(大5)売却。同年、第三湊丸 MINATO MARU No.3 と改名(時期不詳)

SNo.360 さかき丸 SAKAKI MARU (1913)

さかき丸
さかき丸 Sakaki Maru
さくら丸とうめが香丸の実績をもとに大正期に川崎造船所で建造された義勇艦の第3艦。主機には三菱長崎造船所建造の2隻が採用したパーソンスタービンに対して川崎造船所製作のフォアリバー・カーチス直結タービン(6,100HP)を2基搭載した。第1次世界大戦中に通報艦として従事。平時は南満洲鐵道の大連/上海航路に就航した。
16319→關206/MHLG→QBSV 義勇艦 3,875G/T 1,454D/W 進水 1913.3.3(大2) 竣工 1913.8.3(大2)
Lpp 109.12(358'-0") B 14.02(46'-0") D 7.92(26'-0") m 主機 T Brown Curtis 12,248SHP 2基 19.126kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.360 帝國海事協會(東京)
さかき丸 SAKAKI MARU 南満州鐵道の大連/上海航路に就航
1922(大11)義勇財団海防義会(東京)に移籍
1923(大12)南滿洲鐵道(大連)に売却
1929.7(昭4)大連汽船(株)(大連)に売却
1933.5(昭8)第1次船舶改善助成施設の見合解体船として宮地民之助に売却。大阪で解体

SNo.362 鹿島丸 KASHIMA MARU (1913)

鹿島丸
鹿島丸 Kashima Maru
16491/MHWL→JKXD 貨客船 10,559G/T 進水 1913.6.8(大2) 竣工 1913.10.13(大2)
Lpp 149.35 B 18.59 D 11.13 m 主機 R 570NHP/11,400IHP 2基 16.6kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.362 香取丸型 日本郵船株式会社(東京)
鹿島丸 KASHIMA MARU 船客 1等)113, 2等)56, 3等)186
1943.9.27(昭18)台湾馬公からシンガポールへ向け航行中、仏印カムラン湾の南南東約100浬(10.10N,109.40E)で米潜BONEFISH(SS-223)の雷撃により沈没

SNo.367 大徳丸 DAITOKU MARU (1913)
16465/MJCF トロール漁船 249G/T 進水 1913.9.18(大2) 竣工 1913.11.8(大2)
Lpp 34.14(112'-0") B 6.40(21'-0") D 3.58(11'-9") m 主機 R 3連成 652IHP 1基 10.773kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.367 海洋丸型 神戸漁業会社
大徳丸 DAITOKU MARU
1915(大4)田村汽船漁業部(下関)に売却
1916(大5)売却

SNo.369 八坂丸 YASAKA MARU (1914)

八坂丸
八坂丸 Yasaka Maru
17318/MNPV 貨客船 10,932G/T 起工 1913.6.17(大2) 進水 1914.3.14(大3) 竣工 1914.10.15(大3)
Lpp 153.92 B 19.35 D 11.43 m 主機 R 3連成 616NHP/11,000IHP 2基 13/16.46kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.369 諏訪丸型 日本郵船株式会社(東京)
八坂丸 YASAKA MARU 船客 1等)122, 2等)60, 3等)190
1915.12.21(大4)エジプトのプルロス燈台沖(地中海)でドイツ潜水艦の雷撃により沈没(第1次世界大戦)

SNo.371 はるびん丸 HARBIN MARU (1915)

はるびん丸
はるびん丸 Harbin Maru
川崎造船所が英国Schmidt社との技術提携により製作したシュミット式蒸気過熱装置を4基のボイラに装備した初めての船舶。続いて日本郵船の豐橋丸、徳山丸にも装備された。同所によると、この過熱装置は経費面、保守面から懸念があり、効率を重視する場合以外は従来どおり飽和蒸気のまま使用することが多かったという。
17691/MQHN→JHBD 貨客船 5,169G/T 5,573D/W
起工 1913.12.20(大2) 進水 1914.7.25(大3) 竣工 1915.2.6(大4)
Lpp 121.92 B 15.24 D 9.14 m 主機 R 3連成 344NHP/5,120IHP 12.5/16.7kt
株式会社川崎造船所(神戸)建造 Sno.371 大阪商船株式会社(大阪)
はるびん丸 HARBIN MARU
1937.8.9(昭12)北日本汽船(株)(小樽)に売却
1940.1.30(昭15)日本海汽船(株)(小樽)の設立に伴い移籍
1942.1.10(昭17)サイゴンから海南島三亜に向け航行中、三亜沖(17.40N,109.20E)で米潜STINGRAY(SS-186)の雷撃により沈没
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