船歴 本邦建造船27 - 幕末・維新|明治前期|明治後期|大正期|昭和初期|太平洋戦争|占領期|海運再建期|海運集約期 戻る

株式会社川崎造船所艦船工場

SNo.559 日進丸 NISSHIN MARU (1929)
34723/JCJF 硫酸運搬船 262G/T 起工 1929.4.30(昭4) 進水 1929.7.10(昭4) 竣工 1929.8.9(昭4)
Lpp 38.10(125'-0") B 7.01(23'-0") D 3.35(11'-0") m 主機 D 210BHP 1基 8.239kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.559 住友鑛業株式会社
日進丸 NISSHIN MARU 昭和26年12月以降、清水運搬船に改造、四阪島への清水輸送に従事
1930.5(昭5)第一日進丸 Nisshin Maru No.1 と改名
1942.5(昭17)中央汽船(大阪)に移籍
1950(昭25)住友金属鉱山別子鉱業に移籍
1951.12(昭26)主機を焼玉 380PS 1基へ換装
1974(昭49)惣開商運(新居浜)に売却
1980(昭55)船名録から削除

SNo.556 第一宇高丸 UKO MARU No.1 (1929)

第一宇高丸
第一宇高丸 Uko Maru No.1
35351/JCAE 車輌渡船 312G/T 240D/W 起工 1929.2.16(昭4) 進水 1929.9.4(昭4) 竣工 1929.10.15(昭4)
Lpp 45.72(150'-0") B 9.75(32'-0") D 2.59(8'-6") m 主機 D 池貝鉄工 386PS 2基 8.668kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.556 鐵道省(東京)
第一宇高丸 UKO MARU No.1 SCAJAP No.U024
1929.11.23(昭4)宇野/高松航路に就航
1937.8.12(昭12)瀬戸内海、中の瀬浮標北西で川崎汽船の聖川丸と衝突、沈没
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1949.6.1(昭24)日本国有鉄道(東京)に移籍
1961.2.11(昭36)宇野/高松航路終航
1962.3.30(昭37)河島康磨(呉)に売却


1963.12.20(昭38)登録抹消。1965年版日本船舶明細書より削除

日本丸型 2隻 NIPPON MARU Class (1930)

日本丸
日本丸 Nippon Maru

Yokohama Maritime Museum
大正末期、それまで十分な実習が行き届かなかった全国の公立商船学校生徒のために一括した実習訓練用の本格的な練習帆船建造の要望が起きた。財政難のため予算化は遅れたが、昭和期に入り建造が決定されたのは昭和2年(1927)鹿児島商船水産学校の練習船霧島丸の遭難事故が世論を動かしたためともいわれる。帆装設計と所要帆具は大成丸と同様に英国に発注した。昭和5年(1930)6月には文部省に航海訓練所が設置され両船の運航を所管した。
練習船 Lpp 79.25(260'-0") B 12.95(42'-6") D 7.85(25'-9") m 主機 D 池貝鉄工 6SB40 2基
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 文部省(東京)
1. Sno.557 日本丸 NIPPON MARU 36212/JFLC 2,283G/T 1,312D/W 1,226BHP 8/11.445kt
起工 1929.4.17(昭4) 進水 1930.1.27(昭5) 竣工 1930.3.31(昭5) 日本丸 NIPPON MARU 帆船(4檣バーク) SCAJAP No.N054
1930.6.24(昭5)海王丸と共に東京へ回航(品川沖投錨)
1930.7.7(昭5)両船訓練航海開始、以後短期国内航海4回、完熟運転完了
1930.10.4(昭5)第1次遠洋航海に出帆。ポナペ島に寄航12月3日帰投、以降春季の遠洋航海(北米西岸諸港)、秋季の遠洋航海(南洋群島方面)、その間必要に応じて短期国内航海を行う
1943.4.1(昭18)逓信省海務院に航海訓練所設置。日本丸、海王丸、大成丸、進徳丸とともに同所へ移管
1943.11.1(昭18)官制改正のため航海訓練所は運輸通信省海運総局へ移管
1945.5.19(昭20)運輸省航海訓練所(東京)に移籍
1945.12.22(昭20)帰還輸送のため神戸発、鹿児島へ向かう。昭和26年3月まで帰還輸送に従事
1952.6.12(昭27)浦賀造船所で帆走復旧工事完了
1953.6.6(昭28)戦後初の遠洋航海に出航。ハワイ島ヒロ港に寄港、同年8月8日帰投
1954.5.1(昭29)戦後初めて北米大陸訪問開始、ロスアンゼルス/ホノルル/ポートアレンに寄港、8月17日帰投
1960.4(昭35)海王丸と共に日米修好百年記念航海
1961.5(昭36)海王丸と共に練習帆船太平洋レースに参加のため出航
1984.9.16(昭59)日本丸(2代)の就航に伴い用途廃止、翌17日横浜市港湾局(横浜)へ譲渡
1984.10.1(昭59)財団法人帆船日本丸記念財団により横浜市西区みなとみらい地区で保存、公開
2. Sno.558 海王丸 KAIWO MARU 36216/JFPC 2,283G/T 1,308D/W 1,476HP 8/11.385kt
起工 1929.4.25(昭4) 進水 1930.2.14(昭5) 竣工 1930.5.19(昭5) 海王丸 KAIWO MARU 帆船(4檣バーク) SCAJAP No.K107
1930.10.4(昭5)第1次遠洋航海(トラック島に寄港)、12月6日帰投
1943.4.1(昭18)逓信省海務院に航海訓練所設置。日本丸、海王丸、大成丸、進徳丸とともに同所へ移管
1943.11.1(昭18)官制改正のため航海訓練所は運輸通信省海運総局へ移管
1945.5.19(昭20)運輸省航海訓練所(東京)に移籍
1955.12.19(昭30)帆装復旧完了
1956.5.8(昭31)戦後第1回の遠洋航海に出航。ロスアンゼルス、ポートアレンに寄港、8月22日帰投
1989.9.16(平1)海王丸(2代)の就航に伴い、用途廃止
1989.9.18(平1)財団法人帆船海王丸記念財団に譲渡
1990.4.28(平2)富山新港北埠頭で一般公開開始
海王丸
海王丸 Kaiwo Maru

竣工時の姿

SNo.560 第二凾丸 SEIKAN MARU No.2 (1930)

第二凾丸
第二凾丸 Seikan Maru No.2
36220/VGRM→JZJB 車輌渡船 2,493G/T 起工 1929.11.7(昭4) 進水 1930.6.30(昭5) 竣工 1930.8.5(昭5)
Lpp 109.73(360'-0") B 15.85(52'-0") D 6.10(20'-0") m 主機 T 川崎式DR 2,605SHP 2基 14.167kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.560 鐵道省(東京)
第二凾丸 SEIKAN MARU No.2
1943.11.1(昭18)運輸通信省(東京)に移籍
1945.5.19(昭20)運輸省鉄道総局(東京)に移籍
1945.7.14(昭20)青森港北防波堤灯台沖で空爆により沈没

新淡路丸 SHINAWAJI MARU (1931)
37822/JAKK 旅客船 101G/T 115D/W 進水 1931(昭6)
Lpp 34.48 B 5.18 D 2.06 m 主機 D 川崎造船所 200BHP 10/10kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 丸正汽船(兵庫淡路)
新淡路丸 SHINAWAJI MARU

SNo.562 良洋丸 RYOYO MARU (1931)

良洋丸
良洋丸 Ryoyo Maru
36553/JFWC 貨物船 5,974G/T 9,101D/W 起工 1930.3.3(昭5) 進水 1930.9.24(昭5) 竣工 1931.1.15(昭6)
Lpp 126.49(415'-0") B 17.07(56'-0") D 9.68(31'-9") m 主機 D M.A.N. D6Z60/90 3,931BHP 1基 12.5/16.1kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.562 總洋丸型 東洋汽船株式会社(東京)
良洋丸 RYOYO MARU
1931.1(昭6)川崎ノース・パシフィックエキスプレスライン(北米太平洋岸航路)に就航
1932.6.30(昭7)神戸港発の川崎汽船・紐育航路に就航
1944.3.4(昭19)北千島方面(48.4N,153.16E)で米潜TAUTOG(SS-199)の雷撃により擱座

SNo.563 霧島丸 KIRISHIMA MARU (1931)

霧島丸
霧島丸 Kirishima Maru
國際汽船が紐育航路用に建造したわが国で最初の単軸高速貨物船。本型は逓信省船舶試験所の研究成果を採用したわが国初の減トン甲板口(船尾近く)を有する遮浪甲板船型であり、この船型はその後多くの船に採用されたが、規則の改正等により利点がなくなったため甲板口を閉鎖した例(郵船、三井)もある。
36919/VKQH→JGIC 貨物船 5,959G/T 8,753D/W
起工 1930.8.6(昭5) 進水 1931.4.3(昭6) 竣工 1931.7.5(昭6)
Lpp 134.11(440'-0") B 18.29(60'-0") D 12.19(40'-0") m 主機 D M.A.N. D7Z60/120 6,000/6,971BHP 1基 15.5/18.03kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.563 霧島丸型 國際汽船株式会社(東京)
霧島丸 KIRISHIMA MARU
1931.7.9(昭6)神戸からマニラに向け処女航海
1943.9.25(昭18)カムラン湾南東沖(9.53N,112.10E)で米潜BOWFIN(SS-287)の雷撃により沈没。同年11.11大阪商船(大阪)に移籍(戦禍未発表のため)

SNo.585 第三鷹取丸 TAKATORI MARU NO.3 (1934)

第三鷹取丸
第三鷹取丸 Takatori Maru No.3
39262/JXCH→JBCI 油槽船 253G/T 249D/W
起工 1934.1.15(昭9) 進水 1934.4.30(昭9) 竣工 1934.5.23(昭9)
Lpp 38.10(125'-0") B 6.71(22'-0") D 2.90(9'-6") m 主機 D M.A.N. GV. 28.5/42 253BHP 1基 10/10.675kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.585 飯野商事株式会社(舞鶴)
第三鷹取丸 TAKATORI MARU NO.3 SCAJAP No.X081
1941.3.13(昭16)社名変更に伴い飯野海運産業(東京)に移籍同年4月1日、海軍に徴傭
1944.4.1(昭19)社名変更に伴い飯野海運(東京)に移籍
1944.10.19(昭19)近海油槽船運航(東京)に現物出資
1950(昭25)平和汽船(株)(東京)に売却
1958(昭33)石油海運(株)(小樽)に売却
1960(昭35)主機をD 350 BHP 1基に換装
1968(昭43)解体

東亞丸型 3隻 TOA MARU Class (1934 - 1936)

東亞丸
東亞丸 Toa Maru
油槽船 Lpp 152.40(500'-0") B 19.81(65'-0") D 11.28(37'-0") m 主機 D 川崎M.A.N. D8Z70/120 1基
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 飯野商事株式会社(舞鶴)
1. Sno.572 東亞丸 (1) TOA MARU 39204/JVUI 10,052G/T 13,748D/W 8,963BHP 16/18.89kt
起工 1933.4.24(昭8) 進水 1934.4.2(昭9) 竣工 1934.6.23(昭9) 東亞丸 TOA MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1941.3.13(昭16)社名変更に伴い飯野海運産業(株)(東京)に移籍
1941.9.1(昭16)海軍に徴用、同月20日、特設運送船(給油船)に入籍
1943.11.25(昭18)海軍徴用船として行動中、ポナペ北方(8.20N,158.00E)で米潜SEARAVEN(SS-196)の雷撃により沈没
2. Sno.584 極東丸 KYOKUTO MARU 39886→68763/JWTI→JADP 10,051G/T 13,740D/W 8,963BHP 16/18.89kt
起工 1933.11.25(昭8) 進水 1934.10.11(昭9) 竣工 1934.12.15(昭9) 極東丸 KYOKUTO MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1938.7.5(昭13)海軍に徴用(旭東丸と呼称された)
1941.3.31(昭16)飯野海運産業(株)(東舞鶴)に移籍
1942(昭17)大八州丸 OOYASHIMA MARU と改名
1944.9.21(昭19)マニラ湾内で空爆により沈没
1951(昭26)戦後、マニラのマドリカル商会が引揚げ大洋漁業(東京)に売却の後、日本油槽船(株)(東京)に売却
1952(昭27)日立造船(桜島)で修理完了、かりほるにあ丸 CALIFORNIA MARU と改名
1960(昭35)主機をD 7,200BHPに換装
1964.4.1(昭39)合併に伴い昭和海運(株)(東京)に移籍
1964.7.9(昭39)日之出汽船(東京)の那智丸の新造見返りとして松庫海事に売却。同年7月21日、船籍抹消、解体
極東丸
極東丸 Kyokuto Maru
3. Sno.601 東邦丸 (1) TOHO MARU 42593/JGYL 9,987G/T 13,431D/W 9,987BHP 16.5/19.3kt
起工 1936.5.1(昭11) 進水 1936.10.31(昭11) 竣工 1936.12.24(昭11) 東邦丸 TOHO MARU
1941.3.13(昭16)社名変更に伴い飯野海運産業(株)(東京)に移籍同年8月20日、海軍に徴傭。同年9月20日、特設運送船(給油船)に入籍
1943.3.29(昭18)海軍徴傭船として行動中、セレベス方面(0.30S,118.26E)で米潜GUDGEON(SS-211)の雷撃により沈没
東邦丸
東邦丸 Toho Maru

SNo.583 C澄丸 KIYOSUMI MARU (1934)

C澄丸
C澄丸 Kiyosumi Maru
鹿野丸とほぼ同型だが荷役装置の数を減らして重量の軽減を図った。鹿野丸と同様に本型は第1次船舶改善助成施設の適用を受けて建造された。
39724/JWHI 貨物船 6,991G/T 9,493D/W
起工 1933.5.30(昭8) 進水 1934.6.30(昭9) 竣工 1934.10.5(昭9)
Lpp 137.16(450'-0") B 18.59(61'-0") D 12.19(40'-0") m 主機 D 三菱Sulzer 7DSD 76/120 7,600/8,375BHP 1基 17/18.73kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.583 清澄丸型 國際汽船株式会社(東京)
C澄丸 KIYOSUMI MARU 第1次船舶改善助成施設適用船
1938.1.19(昭13)神戸港出航、日本郵船の極東/紐育航路最終配船
1943.11.11合併に伴い大阪商船(株)(大阪)に移籍
1944.2.17(昭19)トラック島港内で空爆により沈没

建川丸型 8隻 TATEKAWA MARU Class (1935 - 1939)

建川丸
建川丸 Tatekawa Maru
油槽船 Lpp 152.40(500'-0") B 19.81(65'-0") D 11.28(37'-0") m 主機 D 川崎M.A.N. D8Z70/120 1基
1. Sno.587 建川丸 (1) TATEKAWA MARU 40707/JGFJ 10,091G/T 13,691D/W 10,658BHP 17/19.918kt
起工 1934.10.20(昭9) 進水 1935.4.20(昭10) 竣工 1935.6.30(昭10)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 川崎汽船株式会社(神戸)
建川丸 TATEKAWA MARU
1935.7.1(昭10)処女航海で神戸/北樺太オハ間に海軍向け原油輸送に従事
1941.12.20(昭16)海軍に徴用
1943.9.1(昭18)特設運送船(給油船)として入籍
1944.5.24(昭19)フィリピンのダバオ沖(5.45N,125.43E)で米潜GURNARD(SS-254)の雷撃により沈没
2. Sno.593 日本丸 NIPPON MARU 41703/JHZJ 9,971G/T 13,553D/W 9,773BHP 16/19.2kt
起工 1935.10.18(昭10) 進水 1936.4.24(昭11) 竣工 1936.6.30(昭11)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 山下汽船株式会社(神戸)
日本丸 NIPPON MARU
1944.1.14(昭19)カリマンタン島バリクパパンからトラック島に向け航行中、パラオ諸島の東方(5.02N,140.50E)で米潜SCAMP(SS-227)の雷撃により沈没
日本丸
日本丸 Nippon Maru
3. Sno.611 玄洋丸 GENYO MARU 44520/JCZM 10,018G/T 13,573D/W 11,100HP 19.696kt
起工 1937.6.12(昭12) 進水 1937.12.30(昭12) 竣工 1938.4.28(昭13)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 淺野物産株式会社(東京)
玄洋丸 GENYO MARU
1944.6.20(昭19)南洋方面(15.35N,133.30E)で空爆により沈没
玄洋丸
玄洋丸 Genyo Maru
4. Sno.612 日榮丸 NICHIEI MARU 45071/JLPM 10,020G/T 13,450D/W 11,570HP 19.992kt
起工 1937.9.4(昭12) 進水 1938.4.15(昭13) 竣工 1938.6.30(昭13)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 日東鑛業汽船株式会社(東京)
日榮丸 NICHIEI MARU
1943.2.26(昭18)社名変更に伴い日東汽船(株)(東京)に移籍
1945.1.7(昭20)マレー沖(4.30N,103.30E)で米潜BESUGO(SS-321)の雷撃により沈没
日榮丸
日榮丸 Nichiei Maru
5. Sno.613 東榮丸 TOEI MARU 45671/JXHM 10,022G/T 13,460D/W 11,210HP 19.379kt
起工 1938.4.15(昭13) 進水 1938.10.24(昭13) 竣工 1939.2.21(昭14)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 日東鑛業汽船株式会社(東京)
東榮丸 TOEI MARU
1943.1.18(昭18)トラック島の南西(6.21N,150.23E)で米潜SILVERSIDES(SS-236)の雷撃により沈没
東榮丸
東榮丸 Toei Maru
6. Sno.614 嚴嶋丸 ITSUKUSHIMA MARU 44234/JYQL 100,007G/T 13,399D/W 11,693HP 19.791kt
起工 1937.4.21(昭12) 進水 1937.9.4(昭12) 竣工 1937.12.20(昭12)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 共同漁業株式会社(東京)
嚴嶋丸 ITSUKUSHIMA MARU 共同漁業時代に発注、進水時は日本水産に社名変更、同年12.16海運業を目的に共同漁業株式会社が設立され本船を所有
1938.1.15(昭13)南氷洋漁場へ初航海
1944.10.27(昭19)ボルネオ北西海(7.17N,116.45E)で雷撃により沈没
嚴嶋丸
嚴嶋丸 Itsukushima Maru
7. Sno.623 國洋丸 KOKUYO MARU 45866/JXZM 10,026G/T 13,539D/W 11,033HP 19.565kt
起工 1938.6.17(昭13) 進水 1938.12.26(昭13) 竣工 1939.5.16(昭14)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 國洋汽船株式会社(東京)
國洋丸 KOKUYO MARU
1944.7.30(昭19)ボルネオ島東北方面(6.7N,120.0E)で米潜BONEFISH(SS-223)の雷撃により沈没
國洋丸
國洋丸 Kokuyo Maru
8. Sno.624 建洋丸 KENYO MARU 46613/JHRN 10,022G/T 13,579D/W 11,380HP 20.206kt
起工 1938.6.29(昭13) 進水 1939.4.6(昭14) 竣工 1939.10.28(昭14)
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 國洋汽船株式会社(東京)
建洋丸 KENYO MARU
1944.1.14(昭19)カロリン群島西部(5.23N,141.32E)で米潜GUARDFISH(SS-217)の雷撃により沈没
建洋丸
建洋丸 Kenyo Maru
9. Sno.629 神國丸 SHINKOKU MARU 46906/JYDN 10,020G/T 13,587D/W 11,565HP 19.766kt
起工 1938.10.25(昭13) 進水 1939.12.13(昭14) 竣工 1940.2.28(昭15)
川崎重工業株式会社艦船工場(神戸)建造 神戸桟橋株式会社(神戸)
神國丸 SHINKOKU MARU
1944.2.17(昭19)トラック島港内で空爆により沈没
昭和12年2月に新造契約されたが竣工までに長期間を要した。

日豊丸 NIPPO MARU (1936)
42071 貨物船 3,763G/T 進水 1936(昭11)
Lpp 107.30 B 15.24 D 8.38 m 主機 T 3,600SHP 1基 16.34kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 岡崎汽船株式会社(神戸)
日豊丸 NIPPO MARU

住吉丸 SUMIYOSHI MARU (1936)
42049 曳船 152G/T 進水 1936(昭11)
Lpp 26.80 B 7.00 D 3.25 m 主機 D 川崎重工業 470BHP 8/8kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)
住吉丸 SUMIYOSHI MARU

SNo.591 衣笠丸 KINUGASA MARU (1936)

衣笠丸
衣笠丸 Kinugasa Maru
國際汽船が3隻計画した9000重量トン級の快速ディーゼル貨物船で主要寸法は紐育航路用の清澄丸型と同じ。衣笠丸は第2次船舶改善助成施設の適用を受けて建造された。
41285/JHEL 貨物船 6,808G/T 9,346D/W
起工 1935.8.10(昭10) 進水 1935.12.26(昭10) 竣工 1936.2.28(昭11)
Lpp 137.16(450'-0") B 18.59(61'-0") D 12.19(40'-0") m 主機 D 川崎M.A.N. D7Z70/120 7,000/7,740BHP 1基 17/18.705kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.591 衣笠丸型 國際汽船株式会社(東京)
衣笠丸 KINUGASA MARU 第2次船舶改善助成施設適用船
1943.11.11(昭18)合併に伴い大阪商船(株)(大阪)に移籍
1944.10.7(昭19)ルソン島北西岸(19.48N,118.22E)で米潜HOWKBILL(SS-366)の雷撃により沈没

日新丸型 2隻 NISSHIN MARU Class (1936 - 1937)

日新丸
日新丸 Nisshin Maru
林兼商店が川崎造船所で建造した初の国産大型鯨工船。英国ファーネス造船所(Furness Shipbuilding Co., Ltd.)から購入したノルウェー船SIR JAMES CLARK ROSSの図面を原型として計画。基準船は2軸だが主機製作の関係で1軸推進としたため船尾材、舵等は新たに設計された。第1船日新丸は翌秋の出漁期にあわせるために工事を急ぎ、起工から156日で進水した。建造中に林兼商店が大洋捕鯨(東京)を資本金1,600万円で設立した。同社は昭和18年(1943)、水産統制令により西大洋漁業となり、さらに昭和20年(1945)12月、大洋漁業と社名が変更された。
鯨工船 Lpp 163.07(535'-0") B 22.56(74'-0") D 14.86(48'-9") m 主機 D 川崎M.A.N. D8Z60/90 1基
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 大洋捕鯨株式会社(東京)
1. Sno.598 日新丸 (1) NISSHIN MARU 42336/JGFL 16,764G/T 22,190D/W 7,120BHP 14.471kt
起工 1936.2.26(昭11) 進水 1936.8.1(昭11) 竣工 1936.9.28(昭11) 日新丸 NISSHIN MARU 建造中に林兼商店が大洋捕鯨株式会社を設立
1936.10.7(昭11)南氷洋へ日新丸船団初出漁(〜昭和15年迄)
1941.11.25(昭16)海軍に徴用、油槽船として使用
1944.5.16(昭19)パラオ島のバラバック水道(7.17N,116.51E)で米潜CREVALLE(SS-291)の雷撃により沈没
2. Sno.617 第二日新丸 NISSHIN MARU No.2 43915/JTSL 17,533G/T 21,989D/W 7,210BHP 13.616kt
起工 1936.12.16(昭11) 進水 1937.6.9(昭12) 竣工 1937.10.6(昭12) 第二日新丸 NISSHIN MARU No.2
1937.10.14(昭12)南氷洋へ第二日新丸船団初出漁(〜昭和15年迄)
1941.11.2(昭16)海軍へ徴用、油槽船として使用
1943.4.16(昭18)石垣島南方50哩付近で雷撃を受け、基隆に曳航、同年11月30日廃船
第二日新丸
第二日新丸 Nisshin Maru No.2
船体と機関は日新丸と全く同じだが船橋楼と船尾楼の甲板室が2層となる等、日新丸から改良が加えられ、総トン数は約770トン増加している。

SNo.599 春幸丸 SHUNKO MARU (1936)

春幸丸
春幸丸 Shunko Maru

S.Kizu
42423/JGJL 貨物船 4,027G/T 起工 1936.3.18(昭11) 進水 1936.8.17(昭11) 竣工 1936.10.10(昭11)
Lpp 107.29 B 15.24 D 8.38 m 主機 T 2,450SHP 12.5/15.271kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.599 山本商事株式会社(大阪)
春幸丸 SHUNKO MARU
1940.4(昭15)社名変更に伴い大和商船(株)(神戸)に移籍
1941.6(昭16)合併に伴い大同海運(株)(神戸)に移籍
1944.1.16(昭19)キャビエング沖(2.23S,149.46E)で空爆により沈没

神川丸型 4隻 KAMIKAWA MARU Class (1937)

神川丸
神川丸 Kamikawa Maru
川崎汽船が同社紐育航路用に4隻新造した大型高速貨物船。船体は遮浪甲板船型を採用、主機には川崎M.A.N.ディーゼルを1基搭載し19ノットの最大速力を得た。主要貨物である生糸積載用のシルクルームや冷蔵貨物倉等の諸設備を完備。聖川丸は処女航海で横濱/サンフランシスコを10日19時間6分で走破、新記録を樹立した。
貨物船 Lpp 145.00 B 19.00 D 12.20 m 主機 D 川崎M.A.N. D7Z70/120T 1基
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 川崎汽船株式会社(神戸)
1. Sno.603 神川丸 (1) KAMIKAWA MARU 42936/JNJL 6,853G/T 9,844D/W 9,137BHP 16/19.5kt
起工 1936.8.5(昭11) 進水 1936.12.13(昭11) 竣工 1937.3.15(昭12) 神川丸 KAMIKAWA MARU
1937.3.16(昭12)紐育航路に就航
1937.9.17(昭12)海軍に徴傭、同月18日に特設水上機母艦として入籍
1938.12.15(昭13)特設航空機運搬艦に艦種変更
1939.11.15(昭14)再度、特設水上機母艦に艦種変更
1943.5.28(昭18)ニューアイルランド島沖(1.00S,150.18E)で米潜SCAMP(SS-277)の雷撃により沈没
2. Sno.604 聖川丸 KIYOKAWA MARU 42953→64892/JNZL→JJMF 6,864G/T 9,843D/W 8,810BHP 16/19.5kt
起工 1936.10.21(昭11) 進水 1937.2.16(昭12) 竣工 1937.5.15(昭12) 聖川丸 KIYOKAWA MARU SCAJAP No.K095
1937.5(昭12)紐育航路に就航
1937.8.12(昭12)瀬戸内海、中の瀬浮標北西で宇高連絡船第一宇高丸と衝突、第一宇高丸は沈没
1941.9.28(昭16)海軍に徴傭、10月5日、特設水上機母艦に入籍
1942.12.1(昭17)特設運送艦に艦種変更
1944.7.26(昭19)米潜FLASHER(SS-249)の雷撃を受けて船首切断。後に修復
1945.7.20(昭20)米機の空爆を受けて山口県熊毛郡室津村志田岬沖で任意擱座。同年11月22日、荒天のために横転、沈没
1948.7.25(昭23)川崎サルベージにより引き揚げ開始。同年12.10、完全浮揚に成功
1948.12.17(昭23)播磨造船呉船渠に回航、応急修理
1949.10.20(昭24)川崎重工業艦船工場(神戸)で修理完工
1963.8.15(昭38)神戸汽船(株)(神戸)に売却
1969.12.14(昭44)解体のため台湾の高雄に到着
聖川丸
聖川丸 Kiyokawa Maru
3. Sno.605 君川丸 (1) KIMIKAWA MARU 42967/JTLK 6,863G/T 9,835D/W 8,867BHP 16/19.4kt
起工 1936.11.2(昭11) 進水 1937.3.11(昭12) 竣工 1937.7.15(昭12) 君川丸 KIMIKAWA MARU
1937.7(昭12)紐育航路に就航
1941.7.6(昭16)海軍に徴傭。同月25日特設水上機母艦に入籍
1943.10.1(昭18)特設運送船(雑用船)に船種変更
1944.10.23(昭19)海軍徴傭船として行動中、フィリピン北西(18.58N,118.46E)で米潜SAWFISH(SS-276)の雷撃により沈没
君川丸
君川丸 Kimikawa Maru
4. Sno.606 國川丸 (1) KUNIKAWA MARU 43727/JYGL 6,863G/T 9,834D/W 8,880BHP 16/19.4kt
起工 1937.3.11(昭12) 進水 1937.6.12(昭12) 竣工 1937.11.1(昭12) 國川丸 KUNIKAWA MARU
1937.11(昭12)紐育航路に就航
1941.11.10(昭16)海軍に徴傭され、特設運送船(雑用船)に入籍
1942.7.14(昭17)特設水上機母艦に艦種変更
1943.10.1(昭18)特設運送船(雑用船)に船種変更
1944.4.29(昭19)ボルネオ島バリックパパン港口で触雷。同年5月8日、同地で再度触雷、座礁、船体半没。同年9月26日、浮揚に成功、繋船
1945.5.21(昭20)ボルネオ島バリックパパン(2.15N,116.10E)で係船中に空爆により沈没
國川丸
國川丸 Kunikawa Maru

SNo.607 日吉丸 HIYOSHI MARU (1937)

日吉丸
日吉丸 Hiyoshi Maru
42939/JNIL 貨物船 4,046G/T 5,689D/W
起工 1936.9.21(昭11) 進水 1936.12.28(昭11) 竣工 1937.4.1(昭12)
Lpp 107.29(352'-0") B 15.24(50'-0") D 8.38(27'-6") m 主機 T 川崎 2,403SHP 1基 15.273kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.607 吾妻汽船株式会社(神戸)
日吉丸 HIYOSHI MARU 第3次船舶改善助成施設適用船

菊川丸型 3隻 KIKUKAWA MARU Class (1937 - 1938)

菊川丸
菊川丸 Kikukawa Maru

処女航海で敷香港に入港した本船
川崎汽船が同社樺太航路の輸送量増加対応と船質改善のために3隻計画したタービン主機の中型貨物船。船体は耐氷構造とし、北洋材の積取用に艙口を広くとり、40tヘビーデリック1基を装備、甲板には木材積付用の設備を施した。
貨物船 Lpp 107.29(352'-0") B 15.24(50'-0") D 8.38(27'-6") m 主機 T 2段減速 川崎DR 1基
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 川崎汽船株式会社(神戸)
1. Sno.608 菊川丸 KIKUKAWA MARU 42941/JNOL 3,833G/T 5,775D/W 2,510SHP 12/14.9kt
起工 1936.8.22(昭11) 進水 1936.12.26(昭11) 竣工 1937.4.10(昭12) 菊川丸 KIKUKAWA MARU
1937.8(昭12)陸軍に徴用
1941.3.28(昭16)海軍に徴用
1941.10.15(昭16)特設運送船(雑用船)に入籍
1943.10.7(昭18)海軍徴傭船として行動中、トラック島で待機中に原因不明の爆発により火災発生、後に積荷の爆弾等が誘発して沈没
2. Sno.609 桐川丸 KIRIKAWA MARU 43735/JYML 3,836G/T 5,771D/W 2,506SHP 12/15.2kt
起工 1937.2.16(昭12) 進水 1937.4.26(昭12) 竣工 1937.12.10(昭12) 桐川丸 KIRIKAWA MARU
1940.12.25(昭15)海軍に徴用
1941.10.15(昭16)特設運送船(雑用船)に入籍
1943.2.27(昭18)海軍徴傭船として行動中、ソロモン島沖コロンバンガラ北西で空爆により沈没
桐川丸
桐川丸 Kirikawa Maru
3. Sno.631 松川丸 MATSUKAWA MARU 44851/JQTM 3,826G/T 5,738D/W 2,453SHP 12/15.2kt
起工 1938.1.31(昭13) 進水 1938.5.30(昭13) 竣工 1938.11.11(昭13) 松川丸 MATSUKAWA MARU
1944.6.30(昭19)陸軍徴傭船として行動中、フィリピンのマニラ港外(14.25N,119.45E)で米潜JACK(SS-259)の雷撃により沈没
松川丸
松川丸 Matsukawa Maru

金華丸型 2隻 KINKA MARU Class (1938)

金華丸
金華丸 Kinka Maru
國際汽船が優秀船舶建造助成施設の適用(金華丸)を受けて建造した高速貨物船。船体は遮浪甲板型を採用、水線下の船型は川崎汽船の神川丸型と同型で、主機には定格出力9,200PSの川崎M.A.N.ディーゼルを搭載した。 金華丸は試運転で最大速力21.546ktを記録し、横濱/ロサンゼルスの処女航海を平均速力17.9kt、10日12時間29分で走破、横断記録を樹立した。
貨物船 Lpp 145.00 B 19.00 D 12.20 m 主機 D 川崎M.A.N. D8Z70/120 1基
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 國際汽船株式会社(神戸)
1. Sno.616 金華丸 KINKA MARU 44397/JNUL→JYUL 9,301G/T 10,257D/W 9,200/10,178BHP 18.02/21.6kt
起工 1937.6.15(昭12) 進水 1937.11.18(昭12) 竣工 1938.2.28(昭13) 金華丸 KINKA MARU
1943.11.11(昭18)合併に伴い大阪商船(株)(大阪)に移籍
1944.11.13(昭19)マニラ湾の近くバターン半島カフカーベン沖で空爆により沈没
2. Sno.620 金龍丸 KINRYU MARU 45135/JQGM 9,309G/T 10,305D/W 9,200/10,410BHP 17/20.004kt
起工 1937.11.18(昭12) 進水 1938.6.16(昭13) 竣工 1938.8.31(昭13) 金龍丸 KINRYU MARU
1942.8.25(昭17)ガダルカナル島沖で空爆により沈没
金龍丸
金龍丸 Kinryu Maru

SNo.621 大昌丸 DAISHO MARU (1938)

大昌丸
大昌丸 Daisho Maru
南洋材の積取用に長大な艙口(長さ8m以上)を5個と15tデリック10本を設置した。
44590/JLAM 貨物船 4,815G/T 7,140D/W
起工 1937.8.21(昭12) 進水 1938.3.1(昭13) 竣工 1938.4.20(昭13)
Lpp 116.00 B 16.00 D 8.90 m 主機 T 川崎造船所 2段減速 3,079SHP 1基 15.932kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.621 大昌汽船株式会社(神戸)
大昌丸 DAISHO MARU
1945.2.23(昭20)パラオに向け航行中ラバウル附近(4.15S, 152.30E)で空爆により沈没

SNo.622 東洋丸 TOYO MARU (1938)

東洋丸
東洋丸 Toyo Maru
44780/JLRM ケーブル敷設船 3,718G/T 3,279D/W
起工 1937.3.17(昭12) 進水 1937.11.22(昭12) 竣工 1938.6.25(昭13)
Lpp 102.25 B 14.75 D 8.25 m 主機 T 川崎重工 3,719SHP 2基 15.002kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.622 逓信省(東京)
東洋丸 TOYO MARU

SNo.628 極洋丸 (1) KYOKUYO MARU (1938)

極洋丸
極洋丸 Kyokuyo Maru
45200/JQFM 鯨工船 17,548G/T 21,957D/W
起工 1938.1.7(昭13) 進水 1938.6.28(昭13) 竣工 1938.10.5(昭13)
Lpp 163.31 B 22.56 D 14.86 m 主機 D 川崎M.A.N. 7,624BHP 1基 15.066kt
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 Sno.628 極洋捕鯨株式会社(神戸)
極洋丸 KYOKUYO MARU 前年に竣工した大洋捕鯨の第二日新丸と同型の鯨工船。製油装置と舵が改善された。
1938.10.11(昭13)南氷洋捕鯨極洋丸船団(第1回)として神戸を出航。翌昭和14年(1939)4月20日神戸帰港
1939.4.16(昭14)第1回南氷洋捕鯨から帰航の途次、海軍用重油をタラカン港にて積取り佐世保に入港。引き続き海軍重油輸送のため北米航路2航海
1939.10.29(昭14)第2回南氷洋捕鯨船団として神戸を出航。翌昭和15年(1940)4月5日神戸帰港
1940.10.10(昭15)第3回南氷洋捕鯨船団として神戸を出航。翌昭和16年(1941)3月29日神戸帰港
1941.11.17(昭16)海軍に徴用
1943.9.14(昭18)重油、航空機、雑貨、兵員を満載し他8隻と船団を組み佐世保を出航、南下中、9月19日台風のため奄美大島名瀬港に避難中に座礁。その後雷撃、空爆をうけ28日船体放棄

五洋丸型 2隻 GOYO MARU Class (1939 - 1940)
五洋商船が川崎造船所で新造した大型貨物船。同社は川崎汽船と岸本商店の共同出資により資本金500万円で昭和12年(1937)に設立された。本型2隻の他、修理再生された元デンマーク貨物船照川丸を取得した。終戦時には五光丸1隻のみ残存。昭和24年(1949)10月企業再建整備法に基づいて解散。
貨物船 Lpp 134.11(440'-0") B 18.29(60'-0") D 12.19(40'-0") m 主機 T 川崎 1基
株式会社川崎造船所艦船工場(神戸)建造 五洋商船株式会社(神戸)
1. Sno.625 五洋丸 GOYO MARU 45331/JXSM 8,469G/T 10,599D/W 5,514SHP 16.716kt
起工 1938.3.2(昭13) 進水 1938.8.25(昭13) 竣工 1939.4.17(昭14) 五洋丸 GOYO MARU
1944.2.3台湾沿岸(28-32N,124-4E)で米潜TOMBOR(SS-198)の雷撃により沈没
2. Sno.626 五洲丸 GOSHU MARU 46394/JYON 8,592G/T 10,599D/W 5,514SHP 17.009kt
起工 1938.12.27(昭13) 進水 1939.10.14(昭14) 竣工 1940.2.27(昭15) 五洲丸 GOSHU MARU
1944.3.30(昭19)パラオ港で空爆により沈没
五洲丸
五洲丸 Goshu Maru

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