概要 播磨船渠合名会社 Harima Dock Gomei Kaisha 戻る
沿革
赤穂郡相生村村長唐端清太郎らが相生湾(明治初年まで那波湾と呼称)に船渠を掘り船の修繕業を計画し明治40年(1907)3月20日、神戸で資本金50万円の株式会社の創立総会を開いた。事業内容は船舶、汽機、汽罐の新造及び修理。第1船渠の建設工事は前年の12月から開始されていたが完成間際の明治42年(1909)10月に渠口崩壊事故により事業が中断。船渠工事は明治44年(1911)1月新たに高橋為久らにより設立された資本金10万円の播磨船渠合名会社に引き継がれた。
建設工事が中断していた第1船渠は明治45年(1912)1月10日に完成し、高橋為久が将来の経営上汽船会社資本の必要性を痛感して新たに資本金50万円で設立した播磨造船株式会社に事業一切が継承された。同社には神戸の辰馬、八馬、岡崎等の汽船会社が出資した。当初は発電設備もなく船渠排水用のポンプも蒸気機関を使用、また曳船は第一淡陽丸(18G/T)1隻のみであった。
・設立 1911. 1.21(明44) → 終了 1912. 6. 1(明45)
・来歴
  1907. 3.11(明40) →1911. 1.20(明44) 播磨船渠株式会社(相生) Harima Dock K.K.
  1911. 1.21(明44) →1912. 6. 1(明45) 播磨船渠合名会社(相生) Harima Dock Gomei Kaisha
  1912. 6. 2(明45) →1916. 4.24(大5)  播磨造船株式会社(相生) Harima Zosen K.K.
  1916. 4.25(大5)  →1918. 5.30(大7)  株式会社播磨造船所(相生) K. K. Harima Zosenjo
  1918. 5.31(大7)  →1921. 2.14(大10) 帝國汽船株式会社播磨造船所(相生)
                                      Teikoku Kisen K.K. Harima Zosensho
  1921. 2.15(大10) →1929.11.26(昭4)  株式会社神戸製鋼所播磨造船工場(相生)
                                      K. K. Kobe Seikojo Harima Zosen Kojo
  1929.11.27(昭4)  →1960.12   (昭35) 株式会社播磨造船所(相生) K. K. Harima Zosensho
  1960.12   (昭35) →1990. 4. 1(平2)  石川島播磨重工業株式会社相生第一工場(相生)
                                      Ishikawajima Harima Jukogyo K.K. Aioi No.1
  1990. 4. 2(平2)  →2012.12.31(平24) 株式会社アイ・エイチ・アイ・アムテック相生工場(相生)
                                      K. K. Ihi Amtec
  2013. 1. 1(平25) →                 株式会社JMUアムテック相生工場(相生)
                                      K. K. JMU Amtec
・代表者
  藤田 萬二    1911. 1(明44) - 1912. 6(大1) (取締役社長)
日英丸
日英丸 Nichiei Maru (1883)
明治45年(1912)1月10日の入渠第1船、岡崎藤吉所有の汽船日英丸(2,302G/T)。
設備
・第1船渠 1912. 1.10(明45)竣工 434.0 x 84.0 ft 6000G/T
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