小史 昭和海運株式会社 合併・船隊整備→船隊の整備(昭和50年代以降)→定航部門の撤退 戻る
昭和海運株式会社船舶史について
本稿で紹介する昭和海運の船舶史調査終了時(1994年)に同社の社史(「昭和海運三十年史」1994年発行)はなく、所有船舶については「日本船舶明細書」(日本海運集会所)、「想い出の栞」(日本油槽船)、「日産汽船の歩み」(日産汽船友和会)、社内報「昭和」、各造船会社社史、小史は「海運業者要覧」(日本海運集会所)、「海運白書」、「海運」等を参考文献とした。なお調査終了後の取得船舶の船歴については現在継続調査中。
平隆丸
平隆丸 Heiryu Maru (1990)
合併と昭和海運グループの形成
「海運業の再建整備に関する臨時措置法」が成立する以前の昭和38(1963)2月に富士銀行系の日本油槽船と日産汽船、続いて三和銀行系の山下汽船と新日本汽船が合併方針を明らかにした。同年10月14日に日本油槽船と日産汽船の合併が発表され、31日に合併契約書に正式調印した。この合併では両社の経理内容や資本金等に差異があることと税法上の関係等の理由から日本油槽船が存続会社となり日産汽船は解散することとなった。日本油槽船にはメインバンクである富士銀行を媒体として同じ系列下の日本鋼管との積荷や新造船発注の結びつきがあり、日本鋼管には日産汽船との長い間の関係があり、さらに日産汽船の金融系列には富士銀行とともに日本興業銀行がメインバンクの立場にあった。このような背景から両社を合併させることは富士銀行自身の高度経済成長時代を展望した系列企業の強化政策に合致するものであったことと、同一系列荷主をめぐる競争関係が排除されること等から必然的な方向と見られていた。新会社名は両社従業員から募集して昭和海運株式会社と決定し翌39年(1964)年4月1日に他の中核体グループともども再出発のスタート・ラインに並んだ。

昭和39年(1964)4月1日現在
合併会社 2社
日本油槽船・日産汽船
系列会社 3社
照國海運・日之出汽船・日邦汽船
専属会社 4社
冨洋商船・名古屋汽船・東亜汽船・広南汽船
船隊整備(昭和40年代)
昭和海運では発足後、5年間で保有船腹量は約2.5倍に達している。特に再建整備計画の初年度に当たる昭和39年度の第20次計画造船で各社が建造した船腹量は41隻、121万総トンという大量建造となった。
木材専用船
発足後、最初の新造船は木材運搬船昭光丸である。この船は南洋材輸送協定の承認を得て、自己資金により臼杵鉄工所で昭和39年(1964)に建造された。
引き続き昭和41年(1966)には日本海重工業で昭明丸と昭久丸が竣工して、昭和43年(1968)には北洋材輸送協定への昭和海運の加入が認められ、三菱商事の傭船による木材運搬船昭隆丸(1)が建造された。
昭光丸
昭光丸 Shoko Maru (1964)
チップ運搬船
発足当時のチップ運搬船は他船種からの改造船が用いられた。昭和40年(1965)に油槽船から木材チップ運搬専用船に改造されたすまとら丸は大昭和丸と改名された。同年、油槽船いんであ丸もチップ運搬船に改造され、昭英丸と改名された。昭和44年(1969)には撒積貨物船日瑞丸が改造されてあすとら丸と改名されている。新造船は昭和42年(1967)から翌年にかけて浦賀重工業で恵昭丸と大輝丸が建造された。
恵昭丸
恵昭丸 Keisho Maru (1967)

S.Kizu
油槽船
発足時の油槽船は合併直前に日本油槽船が建造したあらびあ丸(2)が最新最大であり次いで日産汽船がその前年に建造した唯一の油槽船である日蘭丸等が主力であった。またすまとら丸といんであ丸はチップ運搬船となり、ぼるねお丸は撒積貨物船へ改造され帝洋丸と改名されている。新造油槽船第1船は昭星丸で、その後船型は徐々に大型化して、昭和44年(1969)には初の10万総トン級の昭延丸が竣工、昭和49年(1974)に竣工の志摩丸まで7隻の大型油槽船が就航している。
昭延丸
昭延丸 Shoen Maru (1969)
コンテナ船
昭和海運は日本郵船と共有で箱根丸と同型の榛名丸を23次計画造船で建造して、太平洋南西岸(PSW)航路へ就航させ2隻で月2航海のサービスを行った。昭和47年(1972)には日本郵船と共有建造した比叡丸を、翌48年(1973)には同じく共有建造により白山丸を投入して4隻でウィークリー・サービスを実現した。
太平洋北西岸(PNW)には日本郵船との共有建造した穂高丸が昭和45年(1970)に就航した。さらに昭和49年(1974)には同じく日本郵船との共有により氷川丸を建造して投入した。
比叡丸
比叡丸 Hiei Maru (1972)

1973.6.23 品川コンテナふ頭 - K.Abo
撒積貨物船
撒積貨物船は昭和40年(1965)に建造の昭山丸を最初として、昭和48年(1973)までに昭全丸、昭武丸、昭長丸、昭瑞丸、来島丸、健昭丸、鋼和丸の計8隻が竣工している。
健昭丸
健昭丸 Kensho Maru (1971)
自動車兼撒積貨物船
昭和海運は昭和41年(1966)に大阪商船三井船舶がわが国で最初に建造した自動車兼撒積貨物船追浜丸と同型の座間丸を就航させた。引き続き昭和43年(1968)にブルーバード、昭和45年(1970)に日産丸(2)と平塚丸が竣工し、さらに昭和47年(1972)には美穂丸が竣工した。
座間丸
座間丸 Zama Maru (1966)

S.Kizu
自動車専用船
昭和海運では初の自動車専用船(PCC)として昭和47年(1972)から翌年にかけて日之出汽船と共有で駿河丸と相模丸が建造された。
駿河丸
駿河丸 Suruga Maru (1972)

Hitachi Zosen,Maizuru
重量物運搬船
昭和44年(1969)から47年(1972)にかけてインド・パキスタン・ペルシャ湾定期航路用に120トンヘビー・デリックを装備した「雄飛西邦」シリーズと呼ばれる重量物運搬船雄昭丸、飛昭丸、西昭丸、邦昭丸の4隻が完工した。このうち西昭丸を竣工後3年目の昭和49年(1974)4月に東シナ海で衝突事故により喪失している。
雄昭丸
雄昭丸 Yusho Maru (1969)
尿素専用船
昭和44年(1969)に日本鋼管清水造船所で世界初の尿素(Urea)専用船ゆりあ丸竣工した。
ゆりあ丸
ゆりあ丸 Urea Maru (1969)
砂鉄運搬船
鉱石運搬船日鵬丸は昭和47年(1972)にわが国で初めての砂鉄スラリー専用船に改造された。
日鵬丸
日鵬丸 Nichiho Maru (1962)

N.K.K.,Tsurumi
石炭運搬船
撒積貨物船に改造された元油槽船ぺるしあ丸は和洋丸と改名され、昭和47年(1972)には前田汽船に売却、石炭運搬船に改造され昭和海運に用船された。新造船としては昭和41年(1966)に昭福丸と神昭丸が建造された。
神昭丸
神昭丸 Shinsho Maru (1966)

Mitsui Zosen,Chiba
鉱石運搬船
昭和44年(1969)に昭京丸、翌45年(1970)には栄昭丸が建造され、昭和47年(1972)にはオーストラリアからの鉄鉱石輸入のために16万重量トン級の鋼昭丸が建造された。
鋼昭丸
鋼昭丸 Kohsho Maru (1972)
鉱石/油兼用船
日邦汽船との共有により昭和42年(1967)に邦龍丸を建造され、翌年には10万重量トン級の福山丸が竣工した。
邦龍丸
邦龍丸 Horyu Maru (1967)
LPG運搬船
昭和44年(1969)にブリヂストン液化ガスの積み荷保証により25次計画造船で第五ブリヂストン丸が建造された。昭和48年(1973)に姉妹船OGDEN BRIDGESTONEを外国船主に建造させて運航を行った。
第五ブリヂストン丸
第五ブリヂストン丸
Bridgestone Maru No.5 (1969)

Copyright (C) Since 1998 Fumio Nagasawa All Rights Reserved.