- 旧BBSログ 1999年2月〜2001年4月
- 主として問合せ分を掲載.※掲載内容の削除を希望される場合にはお手数ですがその旨,ご連絡ください.
- 77 Re^2: しおみ会 コメント数: 0件
Voyager | 2001/04/29 (日) 21:22
実をいうと,「ぶれーめん丸」,「ちぐりす丸」,「さんふらんしすこ丸」,「新大阪丸」の
大判絵葉書を持っています.アメリカから流れてきました.貨物船は興味ないので処分しようと
思っているのですが,捨てる勇気がないまま1年が経とうとしています.どうしよう?
- 76 Re: しおみ会 コメント数: 1件
F.Nagasawa | 2001/04/28 (土) 02:00
> 商船三井を退職した通信士の会,「しおみ会」のHPでは絵葉書,写真で構成さ
>れた「懐かしい船隊の写真集」というのが有ります.
さっそく拝見しました.ぶれーめん丸などの絵葉書はかなり大判で印刷も良質で,この時期のMOの絵葉書は素晴らしかったと思います.
欧州航路ぶれーめん丸という広報用(?)の映画を見たことがあります.
- 75 しおみ会 コメント数: 2件
Voyager | 2001/04/28 (土) 00:14
http://mmasashi.hoops.ne.jp/kaiin/nakamura/nakamura.htmlhttp://
商船三井を退職した通信士の会,「しおみ会」のHPでは絵葉書,写真で構成された「懐かしい船隊の写真集」というのが有ります.
- 74 Re: 笠戸丸 コメント数: 0件
F.Nagasawa | 2001/03/20 (火) 23:38
こんにちは.いつも情報をありがとうございます.
> 笠戸丸の復元画(40号油絵)が完成し,神戸の海洋博物館で展示されるそうです.
野上氏らしい明るい画面が印象的な絵ですね.
笠戸丸はたしか明治村に模型が展示されていたように記憶しています.
模型の来歴,正確さなどはまだ知りませんが.
- 73 笠戸丸 コメント数: 1件
Voyager | 2001/03/20 (火) 23:24
http://www.kobe-np.co.jp/2001/03/20/kobenews7.html
笠戸丸の復元画(40号油絵)が完成し,神戸の海洋博物館で展示されるそうです.
- 72 Re: 沈船 コメント数: 0件
F.Nagasawa | 2001/03/14 (水) 23:19
こんにちは.情報をどうもありがとうございました.
サイトを拝見しました.わかりやすいイラストレーションが掲載されていますね.
- 71 沈船 コメント数: 1件
Voyager | 2001/03/10 (土) 09:28
http://www.orora.co.jp/dive/wreck/wreck.htm
ミクロネシアの情報を掲載しているサイトの中のダイヴィングスポットのところに大東亜戦争時に失われた
日本の船の状況がでています.
- 70 Re: きちえ丸?? コメント数: 0件
F.Nagasawa | 2001/03/09 (金) 01:11
こんにちは
> このきちえ丸(きちぇ丸?)という船は実在したんでしょうか?
大正7年に水路部が発行した「遭難船舶一覧」(明治30年〜大正4年までの海員審判所裁決書から100噸以上の汽船の海難を採集したもの)には該当する船はなさそうです.
同じサイトに函館沿岸で沈没した Matsu Maruというのもありますがこちらも該当する船が見当たりませんでした.
- 69 きちえ丸?? コメント数: 1件
ほんま | 2001/03/08 (木) 10:59
こんにちは!
"http://www.members.tripod.com/vistafjord/disasters.htm"というサイトの中で,
"1912, Sept. 28--Kichemaru; Japanese steamer sank off Japanese coast;
1,000."という記述を発見しました.
このきちえ丸(きちぇ丸?)という船は実在したんでしょうか?
タイタニックが沈んだ年と同じ年に,日本で1000人も亡くなるほどの大事故があったとしたら,もっと注目されてもいいかと思うのですが…
もし,この事故についてご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください.
よろしくお願いします.
- 68 Re: 船内誌・船内新聞を探しています. コメント数: 0件
F.Nagasawa | 2001/02/22 (木) 23:17
はじめまして.
>私の祖父(故人)が,当時の日本郵船でその編集の仕事に携わっていたらしいの
>で,是非見てみたいのですが,実家にあった分は戦災で焼けてしまったそうです.
>そういったものはどこに行けば見られるのでしょうか.
昔の船内誌・船内新聞等はあまりみかけませんのでたいへん貴重な資料ですね.
日本郵船歴史資料館に問い合わせされてはいかがでしょうか.
〒231-0002 横浜市中区海岸道3−9
電話 045-211-1923 FAX 045-211-1929
なおサイトは http://www.nykline.co.jp/rekishi/index.htm です.
- 67 船内誌・船内新聞を探しています. コメント数: 1件
tanno | 2001/02/22 (木) 14:03
初めて投稿します.こんなに日本の船について詳しく調べてHPにされているなんてビックリしました.私は昭和初期から戦争直後までの日本郵船の船内誌を探していて,このページにたどり着きました.私の祖父(故人)が,当時の日本郵船でその編集の仕事に携わっていたらしいので,是非見てみたいのですが,実家にあった分は戦災で焼けてしまったそうです.そういったものはどこに行けば見られるのでしょうか.
- 66 Re^4: 溶接を採用した船 コメント数: 0件
ほんま | 2001/02/21 (水) 17:14
情報ありがとうございました.
ご紹介いただいたサイトに,
「1919 全溶接船の建造
フランスで工作作業船(SOUDURE AUTOGENE FRANCAISE 4)が,はじめて全溶接
で建造される.[仏]」
と書かれていますね!
- 65 Re^3: 溶接を採用した船 コメント数: 1件
F.Nagasawa | 2001/02/18 (日) 23:20
> 「新京丸」が電気溶接を採用した世界初の貨客船というわけではありませんよね?
これは違うと思います.
以下のサイトを紹介いただきましたので載せておきますのでご確認くだされば幸いです.
http://www.sanpo-pub.co.jp/monoshiri/monoshiri.htm
- 63 Re: 溶接を採用した船 コメント数: 3件
F.Nagasawa | 2001/02/08 (木) 01:46
こんにちは.
> 造船技術において,リベットではなく「電気溶接」をはじめて採用した日本の客船または貨客船の名前についてご存知の方,いらっしゃいますでしょうか?
電気熔接は「昭和造船史」等によりますと商船の補助材等に部分的に採用され始めたのは昭和6年以降のこと,とあります.
船体に広範囲に採用したのは浦賀船渠で昭和7年11月に進水した朝鮮郵船の貨客船新京丸(2,607G/T)が最初のようです.
なお全熔接船の嚆矢として有名なのは大正9年,三菱長崎造船所が建造した港内フェリー諏訪丸(421G/T)があります.
- 62 溶接を採用した船 コメント数: 4件
ほんま | 2001/02/07 (水) 11:21
はじめまして.ちょっと場違いな質問かもしれませんが・・・
造船技術において,リベットではなく「電気溶接」をはじめて採用した日本の客船または貨客船の名前についてご存知の方,いらっしゃいますでしょうか?
- 61 Re^2: 龍田丸,秩父丸について コメント数: 0件
F.Nagasawa | 2001/01/04 (木) 23:37
蓬莱丸さん,はじめまして.よろしくお願いいたします.
情報をありがとうございました.
秩父丸クラスの船には著名人も多く乗船していたようですから乗船記も残されているのでしょうね.北米航路の船は当時の宝塚のスターも渡米の際に利用したそうです.
時刻表は眺めているだけでもあきませんね.
- 60 Re: 龍田丸,秩父丸について コメント数: 1件
蓬莱丸 | 2001/01/04 (木) 01:35
はじめて投稿します.何分初心者ですので,あまり確かなことは書けませんが,
よろしくお願いします.
この時代の時刻表やポスター等を見ると,身近な海のレジャーとして,優秀外航
客船の国内区間の切り売りがなされていた様に見受けます.昭和9年の時刻表で
は,上海航路就航の筑波丸の横浜神戸間の1等が13円,3等が4円50銭とあ
りますので,桑港線の豪華客船でしたら,もっと高かったことだと思います(船
賃は船によりまちまちでした).ちなみに,当時,京都ミヤコホテルの1泊2食
付きの料金は,同じ時刻表によれば9円となっています.
秩父丸については,船名改称前の鎌倉丸に,作家の内田百間が,横浜神戸間をラ
ウンドしたときの乗船記が発表(随筆「菊の雨」に所収)されており,船内の雰
囲気や船内生活を読み取ることができます.
- 59 ありがとうございました. コメント数: 0件
izumi | 2000/12/05 (火) 23:26
ながさわさん,ありがとうございました.
「図説 日の丸船隊史話」は大学の図書館に
あるようなので,さっそく調べてみます.
- 58 Re^2: 龍田丸,秩父丸について コメント数: 1件
F.Nagasawa | 2000/12/03 (日) 23:22
運賃となると難しいですね.参考までに上記の資料より.
一等船客の運賃は下記のとおり.特殊割引運賃があり小児は1歳未満が大人の1/10,
1歳以上12歳未満は半額,宣教師及びその家族は1割引,主人に同行の僕婢は2割引きなどがあり,また夏には夏期往復割引,アメリカ経由ヨーロッパ行割引などがあった.
桑港行(左側から順に横浜,神戸,長崎から乗船の場合)
1等 $310 $321 $344
2等 $190 $195 $205
洋食3等D甲板 $90 $95 $100
和食3等D甲板 $65 $67 $69
ホノルル行(左側から順に横浜,神戸,長崎から乗船の場合)
1等 $234 $245 $265
2等 $148 $153 $162
洋食3等D甲板 $80 $85 $90
和食3等D甲板 $61 $63 $65
- 56 龍田丸,秩父丸について コメント数: 5件
izumi | 2000/12/02 (土) 14:22
初めて書き込みします.
私は京都の大学4回生の者です.
卒業論文で,昭和初期の修学旅行について
調べているのですが,女学校の修学旅行で
龍田丸や秩父丸といった豪華客船を利用していた事が
わかりました.
しかし,客船の内装や,どのような施設が
あったのか,乗船には幾らかかったのか等はわかりませんでした.
もし,どなたか詳細をご存知でしたら,お教えください.
また,参考文献等もご存知でしたらよろしくお願いします.
- 55 Nagasawaさん,ありがとうございました コメント数: 0件
Masato | 2000/10/30 (月) 13:02
> こんにちは.下記の海事資料センターでリファレンスされてはいかがですか.
> なお場所は営団地下鉄有楽町線または半蔵門線の永田町からすぐです.
>
> (財)海事産業研究所 海事資料センター
> 東京都千代田区平河町2-6-4 電話03-3265-5235
ありがとうございました.さっそく行ってみます.
- 54 Re: 大阪商船の内部資料がどこにあるのか教えて下さい. コメント数:
1件
F.Nagasawa | 2000/10/24 (火) 12:36
> 海運についての論文を書きたいのですが,始めたばかりでどこに史料があるのか
> わかりません.
> 探しているのは,大阪商船の内部資料です.
こんにちは.下記の海事資料センターでリファレンスされてはいかがですか.
なお場所は営団地下鉄有楽町線または半蔵門線の永田町からすぐです.
(財)海事産業研究所 海事資料センター
- 53 大阪商船の内部資料がどこにあるのか教えて下さい. コメント数:
2件
Masato | 2000/10/24 (火) 11:53
初めて書き込みします.
早稲田大学の学生です.
海運についての論文を書きたいのですが,始めたばかりでどこに史料があるのか
わかりません.
探しているのは,大阪商船の内部資料です.
もし,ご存知の方がいましたら,よろしくお願いします.
- 47 船旅のようです コメント数: 0件
みみづきん | 2000/07/02 (日) 21:17
次々新しいことを教えていただいて,まるで初めての船旅みたいです.
大正期の汽船の定期航路をこれからも調べたいので,本も早速発注します.船舶資料は書籍だけでなく,写真や乗船記録などいろいろな角度からの調査が必要だと思うので,お手数をかけますがどうぞ良きアドバイスをこれからもよろしくお願いします.
- 46 Re: どなたかエクアドル号をごぞんじないでしょうか コメント数:
0件
f.nagasawa | 2000/07/01 (土) 20:24
エクアドルの記事および当時の航路事情が記載されている文献を紹介します.
三浦昭男氏の「北太平洋定期客船史」
(平6発行 4,500円,出版協同社 03-3268-6351 [ISBN4-87970-051-7]).
比較的入手しやすく,公立図書館等にもあるかと思います.
- 45 どなたかエクアドル号をごぞんじないでしょうか コメント数:
1件
みみづきん | 2000/07/01 (土) 14:40
大正4.5年ごろの横浜港に入港していた客船です.復刻版の時刻表にはこの船名がありませんでした.「緑色の船体」らしいのですが…….
大正初期の横浜を利用していた外国航路にお詳しい方,是非いろいろ御教唆ください.
- 44 香港丸情報ありがとうございます コメント数: 0件
みみづきん | 2000/07/01 (土) 14:35
ありがとうございます.メキシコ100年祭という予備知識もありがとうございます.こんなに早く回答いただけるとは驚きました.やはり,専門は専門の方に伺うのが一番ですね.これからも度々利用させて下さい.
- 43 Re: 明治44年の香港丸は南米路線? コメント数: 0件
f.nagasawa | 2000/07/01 (土) 01:37
みみづきんさん,はじめまして.
> 「明治44年7月に香港丸でメキシコに向かった」という記述のウラ付けがほし
>いのですが,香港丸はずっと,北米路線だったのでしょうか.途中乗り継ぎという
>方法だったのかとも考えています.
香港丸は明治42年(1909)4月から僚船亜米利加丸,満洲丸と3隻で南米西海岸定期航路
(再開)に就航しています.さらに翌明治43年に墨西哥(メキシコ)で独立百年祭が行われた際に日本品博覧会というのが開催され,東洋汽船も同社の南米西岸線をメキシコのマンザーニヨやサリナクスに寄港させていた関係上,祝意のために同社の南米出張社員を特派した,という記録があります.
香港丸はその後大正2年(1913)に北米線に復帰しています.ですからお尋ねの時期に本船でメキシコに向かったというのはあり得ると考えられます.
この部分の既述が香港丸の船歴で抜けていますので次回の更新時に追加します.
- 42 明治44年の香港丸は南米路線? コメント数: 1件
みみづきん | 2000/06/30 (金) 11:19
今,明治末の東洋汽船の南米路線のことをしらべています.
「明治44年7月に香港丸でメキシコに向かった」という記述のウラ付けがほしいのですが,香港丸はずっと,北米路線だったのでしょうか.途中乗り継ぎという方法だったのかとも考えています.
- 36 どうもありがとうございます. コメント数: 0件
Voyager | 2000/01/22 (土) 22:23
情報,ありがとうございます.
アメリカ人から問い合わせがあったんですが,自分の手持ち資料に記載されているのが
なかったもので.早速,訳して教えます.
- 35 Re: おうりょく丸の終焉は? コメント数: 1件
F.Nagasawa | 2000/01/22 (土) 00:04
> 戦前の客船「おうりょく丸」について,教えて下さい.
> 1937年建造,7369トン,大連航路に就航,
> ところで,終焉については,結局どこでどうなったのでしょうか?
こんにちは.要目と終焉を以下に記します.
鴨緑丸 Oryoku Maru 43464/JSKL 鋼製貨客船 7,363G/T Lpp:128.00 B:17.40 D:10.15
m 主機 タービン 2基 2軸 7,800/8,255 SHP 速力 16/18.581kt 起工:1936.12.5
進水:1937.4.27 竣工:1937.9.30 三菱重工業株式会社 長崎造船所(長崎) 建造
第681番船 黒龍丸型 大阪商船株式会社(大阪)の 鴨緑丸 Oryoku Maru →1944.12.14
(昭19)マニラから高雄に向け航行中,スピック湾スエステポイント燈台沖(14.45N,120.00E)で)空爆を受けて沈没
- 34 おうりょく丸の終焉は? コメント数: 2件
Voyager | 2000/01/21 (金) 21:44
戦前の客船「おうりょく丸」について,教えて下さい.
1937年建造,7369トン,大連航路に就航,
ところで,終焉については,結局どこでどうなったのでしょうか?
- 32 Re: tatsutamaru を探しています. コメント数: 0件
F.Nagasawa | 1999/11/19 (金) 23:42
こんにちは.
> 先日,香港で姫路城が描かれたきれいな絵葉書を見つけました.
> そこにTHE N.Y.K.LINE M.S "TSTSUTA.MARU" と書かれていました.
古い絵葉書でしたら日本郵船が昭和5年にサンフランシスコ線に就航させた
「龍田丸」だと思います.
龍田丸 Tatsuta Maru 35362/JFYC 鋼製旅客船 16,955G/T Lpp:170.68 B:21.94
D:12.98 m 主機 M.B.ズルザーディーゼル 4基 2軸 16,000 BHP 速力 19/21.23kt
起工:1927.12.3 進水:1929.4.12 竣工:1930.5.15 三菱造船株式会社 長崎造船所(長崎)
建造 第451番船 淺間丸型 日本郵船株式会社(東京)の 龍田丸 Tatsuta Maru 船客
1等:239 2等:96 3等:504 →1930.4.25 (昭5)横浜発,サンフランシスコ線に就航→1943.2.8
(昭18)横須賀からトラック島に向け航行中,伊豆御蔵島の東40浬(34.00N,140.00E)で米潜Tarpon(SS-175)の雷撃を受けて沈没
- 31 tatsutamaru を探しています. コメント数: 1件
辻 信一郎 | 1999/11/19 (金) 11:45
先日,香港で姫路城が描かれたきれいな絵葉書を見つけました.
そこにTHE N.Y.K.LINE M.S "TSTSUTA.MARU" と書かれていました.
この絵葉書はいったい何時頃のものだろうと調べております.
もしご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください.
よろしくお願いします.
- 23 Re^2: 東京郵船株式会社の資料を探しています コメント数:
0件
F.Nagasawa | 1999/06/23 (水) 23:22
こんにちは.
早速情報をありがとうございます.大変助かりました.
>「世界の船’73」139ページにその頃のものと思われる「興安丸」の写真が.
この写真と同じ時期に撮影された写真が日本郵船の「七十年史」(昭和31年発行)の535頁に掲載(航行中を上空から撮影)されています.
また同史によると昭和24年8月1日公布の「旧日本占領地域に本店を有する会社の本邦内にある財産の整理に関する政令」に基づき同26年3月朝鮮郵船所有財産のうち内地所在の船舶(興安丸以下5隻),土地,建物及び現金を切り離し,資本金二千万円の新会社として発足」とあり所有船の多くは日本郵船が用船,朝鮮郵船株式会社は目下清算中とあります.また年表によると設立は昭和26年3月31日となっています.郵船関係で判明するのは以上でしょうか.
もう少しこの線から調べてみます.
またなにか関連事項などありましたらお知らせ頂ければ幸いです.
- 22 Re: 東京郵船株式会社の資料を探しています コメント数: 1件
Voyager | 1999/06/22 (火) 21:42
> 現在調査中の朝鮮郵船株式会社が所有した船舶のうち戦後に残存した船舶は最後に
> 東京郵船株式会社という船会社の所有になっています.
> この会社の概要を調べていますが今のところ資料がほとんどありません.
> 実業展望社が昭和28年に発行した「昭和二十八年度版海事要録」より関係個所を
> 列記します.
> 東京郵船株式会社 東京都中央区日本橋室町4−5近三ビル
> 設立 昭和26年4月1日
> 所有船舶
> 1.興安丸 2.壱岐丸 3.宇品丸 4.室津丸 5.第三十ニ良友丸
> 6.東郵丸 7.第一富士丸 8.順川丸 9.博川丸
東京郵船については日本郵船などの援助で新しい会社として再出発.
社長は河嶋利助が就任,その後昭和郵船と改め,煙突は白地に「T」のマーク
が描かれた.⇒「興安丸 33年の航跡」より.
「世界の船’73」139ページにその頃のものと思われる「興安丸」の写真が.
東京郵船に関する資料は少ないようです.
ようで・・・.
- 21 東京郵船株式会社の資料を探しています コメント数: 2件
F.Nagasawa | 1999/06/20 (日) 23:17
現在調査中の朝鮮郵船株式会社が所有した船舶のうち戦後に残存した船舶は最後に
東京郵船株式会社という船会社の所有になっています.
この会社の概要を調べていますが今のところ資料がほとんどありません.
実業展望社が昭和28年に発行した「昭和二十八年度版海事要録」より関係個所を
列記します.
東京郵船株式会社 東京都中央区日本橋室町4−5近三ビル
設立 昭和26年4月1日
所有船舶
1.興安丸 2.壱岐丸 3.宇品丸 4.室津丸 5.第三十ニ良友丸
6.東郵丸 7.第一富士丸 8.順川丸 9.博川丸
- 17 初めてです!いずはこね丸の事 コメント数: 1件
T.NISHIGAI | 1999/03/01 (月) 14:43
!どーも,オナー様
ご教授有り難う御座います.本当に他の方から伊豆箱根丸に関する情報を
頂いたのは初めてのことで,更に最愛の伊豆箱根丸についての評価,
大変嬉しくおもいます.また質問で申し訳御座いませんが,
> 伊豆箱根丸ですが先般発行された「船舶史稿・海運会社船歴編 東海汽船船舶史」
> に掲載された写真は朝日新聞社のもので個人の所有ではありませんでした.
> なかなか均整の取れた外観をしていますね.
その 「船舶史稿・海運会社船歴編 東海汽船船舶史」はどうしたら入手出来るの
でしょうか? また,
> なかなか均整の取れた外観をしていますね.(これは本当に嬉しいです.!)
> 東海汽船の写真等の情報は東海汽船ファンクラブであたってみてはいかが
> でしょうか?
東海汽船ファンクラブとは何処に問い合わせたら良いのでしょうか?
大変不躾ながらご教授頂けましたら幸いと存じます.
もし差し障るようでしたらメールででも宜しくお願いいたします.
本当に少数派の沿岸小型客船ファンですがこれからも宜しくお願いいたします.
- 16 Re: 伊豆箱根丸ご存知の方はいらっしゃいませんか コメント数:
2件
F.Nagasawa | 1999/03/01 (月) 00:11
こんにちは,はじめまして.
> そんなわけで一番好きな船はと聞かれると伊豆箱根丸!模型で造りたい船も
> 伊豆箱根丸です.しかし何と言ってもマイナー中のマイナー!配置図等は手に入れ
>たんですが写真がほとんど有りません.
伊豆箱根丸ですが先般発行された「船舶史稿・海運会社船歴編 東海汽船船舶史」
に掲載された写真は朝日新聞社のもので個人の所有ではありませんでした.
なかなか均整の取れた外観をしていますね.
東海汽船の写真等の情報は東海汽船ファンクラブであたってみてはいかがでしょう
か?
小型客船ファンってけっこういらっしゃいますよ.
それでは,どうぞよろしく.
- 15 伊豆箱根丸ご存知の方はいらっしゃいませんか コメント数:
3件
T.NISHIGAI | 1999/02/28 (日) 11:50
はじめまして
或掲示板に投稿したことでは有りますが,
昭和32〜42年に熱海−伊豆大島航路に就いて東海汽船の大型船と張り合っていた
500tばかりの客船で,前身は九州商船の長福丸,後の東海汽船さつき丸です.
小学校の頃,父の仕事の都合で日曜日は毎週のように伊豆箱根丸に乗って大島へ
行っていて何度かブリッジで舵を取らせてもらいました.
そんなわけで一番好きな船はと聞かれると伊豆箱根丸!模型で造りたい船も
伊豆箱根丸です.しかし何と言ってもマイナー中のマイナー!配置図等は手に入れたんですが写真がほとんど有りません.
どなたか,この船の写真をお持ちの方は,いらっしゃいませんか?その他東海汽船,佐渡汽船等の写真図面も探しています.
私もマイクロフィルムにてその手の図面が有りますので提供いたしますよ.沿岸小型客船ファンってなかなかお目に掛かりませんね.
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