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大阪商船

山陽航路・大阪馬關線 明17.5.1(1884)開設−明22(1889)大阪赤間關線−明35.6.1(1902)大阪下關線
明治後期大正期昭10.3(1935)攝陽商船に譲渡
大阪商船設立時第七本線大阪馬關として開設。狹貫丸、太陽丸、崇敬丸、運輸丸、一丸の5隻が神戸/高松/多度津/今治/三津濱/室津/三田尻に寄港。その後寄港地の延航、変更が相次ぎ明治19年(1886)下半期以降は4隻が神戸/高松/多度津/鞆津/尾道/竹原/音戸/廣島/柳井/室津/徳山/三田尻に寄港。明治20年(1887)11月以降は毎日大阪、馬關の両港を発航し就航船は中津川丸、亀鶴丸、名草丸、佐伯丸、盛行丸、百貫丸、巳卯丸、備前丸、廣凌丸、平辰丸、狹貫丸の11隻。明治22年(1889)市制施行とともに馬關が赤間關と改称されたため大阪赤間關線と改称。明治30年(1897)12月以降新造船利根川丸、明治33年(1900)11月以降同じく新造船天龍川丸、大井川丸が就航。他に加茂川丸、武庫川丸、吉野川丸、安寧丸も就航。山陽鐵道は明治31年(1898)3月三田尻まで開通(大阪〜赤間關全通は明治34年5月)、徳山〜門司では所有船2隻が大阪商船と競争した。明治35年(1902)6月1日赤間關が下關と改称され本線も大阪下關線と改称された。




門司港の大井川丸 Oigawa Maru

本船と天龍川丸は上海漢口線から転配され長く山陽航路に就航した
大阪商船は大阪を起点とする瀬戸内海航路の船主を統合して創立されたため国内航路が開業時の全営業範囲であった。
山陽航路・大阪尾道線 明17.5.1(1884)開設−明18.5(1885)に廃航
大阪商船設立時第十一本線として開設。盛行丸1隻が神戸/岡山/小豆島/高松/丸亀/多度津/鞆津に寄港。明治17年(1884)9月には備前丸、新淡路丸、第五兵庫丸の3隻が毎日両港を発航した。元来大阪廣島線と同一のため翌明治18年(1885)5月に廃航となった。
山陽航路・大阪阪越線 明17.5.1(1884)開設−明30.4(1897)に廃航
大阪商船設立時第十四本線として開設。兵庫丸1隻が兵庫/明石/高砂/飾磨/網干/石見/室津に寄港。明治17年(1884)9月には第二兵庫丸、第三兵庫丸の2隻が毎日両港を発航した。明治30年(1897)4月に廃航となった。
山陽航路・馬關廣島線 明17.5.1(1884)開設−明18(1885)下半期に廃航
大阪商船設立時第ニ支線として開設。明治17年(1884)9月には周陽丸1隻が三田尻/室津/大畑/外入/新湊/宮島に寄港。明治18年(1885)上半期には寄港地を三田尻/徳山/下松/室津/柳井/新湊に改めたが同年下半期に廃航となった。
山陽航路・廣島尾道線 明17.5.1(1884)開設−明17.12(1884)に廃航
大阪商船設立時第三支線として開設。大蔵丸1隻で宮島/新湊/大畑/阿賀/三津濱/今治に寄港予定で開始したが業績振るわず同年12月に廃航となった。
山陽航路・大阪福山線 明18(1885)下半期開設−明19(1886)下半期大阪岡山線−明治22年(1889)7月廃航
明治18年(1885)下半期に汽船1隻月5航海として開設。神戸/高松/丸亀/多度津/玉島に寄港。明治19年(1886)下半期以降、大阪廣島線を福山に寄港させ同時に本線を大阪から岡山直航に改め大阪福山線と改称した。一時休止後、明治21年(1888)5月1日には太陽丸、中津川丸、木津川丸、興讃丸、新和歌浦丸、亀鶴丸、第二廣島丸の7隻により26航海として再開。大阪廣島線が短縮され大阪岡山線と改称されたため翌明治22年(1889)7月に廃航となった。




木津川丸 Kizukawa Maru

S.Kizu
紀州以東航路・大阪和歌山線 明17.5.1(1884)開設明32.4.1(1899)大阪田邊線同年12.27大阪三輪崎線
明39.4.27(1906)廃止−明44.12.14(1911)大阪三輪崎急航線として開設大2.3.1(1913)大阪勝浦急航線
大3.1(1914)大阪勝浦線−昭13.11(1938)休航
大阪商船設立時第十七本線として開設。当初、第一u丸、和歌浦丸が交互に毎日1航海したが明治18年(1885)6月には第五赤穂丸1隻で毎日往復とした。明治28年(1895)4月以降は2隻で毎日2回両地発航とした。
日本海沿岸航路・大阪境線 明17.5.1(1884)開設−明治後期
大阪商船設立時第十二本線として開設。明治17年(1884)9月には速凌丸、秋津丸、浦安丸の3隻が神戸/多度津/馬關/瀬戸崎/萩/濱田に寄港。出航日は不定で出航の5日乃至3日前に公告した。明治18年(1885)下半期以降、使用船を2隻に減じて月4航海とし同時に瀬戸崎寄港を廃止。その後寄港地の改廃があり、明治26年(1893)11月以降、富士川丸、金龍丸、鎮西丸が1週2回両地を発航した。日清戦争期間中は休航。
日本海沿岸航路・赤間關濱田線 明27.5.6(1894)開設−明30(1897)上半期に廃航
明治27年(1894)5月6日、汽船1隻で赤間關/濱田間適宜寄港線を開始したが同年7月13日以降、休航。明治29年(1896)5月1日再開、汽船1隻で毎月10回両地を発航、寄港地は阿川/仙崎/萩/須佐。冬季は休航。明治30年(1897)上半期に廃航。
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