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大阪商船の九州航路

大阪百貫線 明17(1884)開設−明21(1888)大阪三角線−明25.12末(1892)廃航
大阪商船設立時第一本線大阪百貫として開設。開業当時は安寧丸、鎮西丸、三保丸の3隻が神戸/馬關/博多/長崎に寄港。月9回の配船を実施し、臨時に多度津に寄港、鎮西丸は鹿児島に延航した。その後、三津濱、三田尻等に寄港したが明治21年(1888)7月1日逓信省の命令により三角に延航して大阪三角線と改称、3隻で神戸/多度津/馬關/博多/長崎/百貫石に寄港。明治25年(1892)12月末に廃止。
大阪大川線 明17(1884)開設−明21(1888)大阪若津線−明38.5(1905)以降廃航
大阪商船設立時第二本線大阪大川として開設。使用船は大阪百貫線の出航日以外の日に出航、開業当時は六甲丸、長崎丸、此花丸の3隻が大阪/神戸/馬關/博多/長崎/百貫石に寄港、臨時に多度津、兵庫にも寄港した。その後明治20年(1887)下半期の使用船は六甲丸、正義丸、平安丸、淀川丸の4隻。明治21年(1888)7月1日逓信省の命令により大阪若津線と改称、使用船を3隻に減じた。その後寄港地、使用船に変更があり明治26年(1893)1月には隅田川丸、木曾川丸、球磨川丸、金龍丸の5隻で15航海のサービスとした。日清戦争後、寄港地は大阪/神戸/多度津/門司/赤間關(往航)/博多/長崎/三角/百貫石(往航)で、臨時に伊万里、佐世保に寄港、汽船2隻により月6回の定期サービスとした。明治32年(1899)2月には永康丸、加茂川丸により大阪/神戸/多度津/今治/三津濱/門司/赤間關/博多/長崎/島原/三角/百貫石/若津に寄港。配船の都合上、明治38年(1905)5月以降、事実上廃止。




加茂川丸 Kamogawa Maru (1889)
大阪長崎線 明17(1884)開設−明22.4(1889)廃航
大阪商船設立時第三本線として開設。開業当時は大龍丸1隻が神戸/多度津/宇治島/馬關/博多に寄港。毎月2の日に大阪、6の日に長崎を出航した。明治18年(1885)6月には安寧丸、明治20年(1887)には湊川丸が使用されたが明治21年(1888)5月25日大阪発の三光丸を最終船として休航、明治22年(1889)4月に廃航。
大阪鹿児島線 明17(1884)開設明治後期大正期昭17.5(1942)関西汽船へ譲渡
大阪商船設立時第四本線として開設。開業当時は攝津丸、第三臼杵丸、平安丸の3隻が神戸/細島/油津に寄港。明治20年(1887)10月以降、使用船を金剛丸、長崎丸、安寧丸等の3隻として月4航海に改めた。
大阪伊萬里線 明17.5.1(1884)開設−明27.7.6(1894)廃航
大阪商船設立時第五本線として大阪出航の豐浦丸を第1船として開始。就航船は明光丸、明事丸、豐浦丸の3隻により、3,7,9の日に大阪、7,1,3の日に伊萬里を出航した。寄港地は神戸/多度津/今治/三津濱/室津/三田尻/馬關/博多/唐津。日清戦争による船腹不足のため明治27年(1894)7月6日から大阪若津線の就航船を伊萬里に寄港させて、本航路を廃航した。
大阪博多線 明17.5.1(1884)開設−明21.1(1888)廃航
大阪商船設立時第六本線として開設。名草丸、明凌丸の2隻が就航。寄港地は神戸/多度津/今治/三津濱/室津/三田尻/馬關。明治18年(1885)6月には平穏丸1隻が就航したが同年下半期以降2隻6航海のサービスとした。明治21年(1888)1月限りに廃航。
大阪細島線 明17.5.1(1884)開設明36.10.11大阪内海線大正期昭和初期
大阪商船設立時第八本線、明治17年(1884)5月1日、大阪出航の佐伯丸を第1船として開設。寄港地は神戸/多度津/今治/三津濱/長濱/別府/大分/佐賀關/臼杵/佐伯。就航船は第二臼杵丸、亀鶴丸、盛行丸の3隻で、3,7,10の日に大阪、7,1,4の日に細島を発航した。明治18年(1885)6月には攝津丸、第二臼杵丸、三光丸の3隻が就航した。
長崎大川線 明17.5.1(1884)開設−明21.7.1三角百貫線−明25.3廃航
大阪商船設立時第一支線長崎大川線として開設。寄港地は百貫。就航船は百貫丸、生祥丸。明治18年(1885)6月には長久丸を加えて3隻が就航した。同年下半期、長崎大川線、長崎八代線に分かれ、明治19年(1886)上半期に長崎八代線は牛深を寄港地とする長崎川内線を開始したが明治20年(1887)下半期に廃航となり、島原/百貫石に寄港する長崎住ノ江線を開始した。明治21年(1888)上半期には使用船を2隻に減じて長崎大川線の他は廃航。同年7月1日航路を短縮して三角百貫線とし1隻で毎日1回両地発航のサービスとした。明治25年(1892)3月小蒸気船による曳船航海に改めて廃航となった。
長崎経過大阪鹿児島線 明18.2(1885)開設−明24.4(1891)廃航−明35.5.16(1902)西廻大阪鹿児島線として再開
明40.4(1907)廃航
明治18年(1885)2月開設。朝日丸1隻が月3回両地を発航。寄港地は神戸/馬關/博多/長崎。明治19年(1886)下半期以降、使用船を2隻とし、明治21年(1888)1月には金剛丸1隻となり明治24年(1891)4月に廃航。




朝日丸 Asahi Maru (1884)
大阪沖縄線 明18.9(1885)開設明治後期大15.4.6(1926)大阪那覇線を分割昭15(1940)休航
明治18年(1885)9月開設。平安丸1隻で毎月1航海のサービスとし、寄港地は神戸/鹿児島/大島。明治20年(1887)以降、朝日丸、金龍丸、球陽丸等で月1乃至2航海とした。明治26年(1893)多摩川丸が就航したが日清戦争期間中は休止。明治28年(1895)7月再開。
大阪住ノ江線 明20.9.28(1887)開設−明22.4.2(1889)廃航
明治20年(1887)9月28日、大阪出航の長崎丸を第1船として開始。毎月2乃至3航海のサービスとした。寄港地は神戸/多度津/馬關/博多/長崎/百貫石/島原。明治22年(1889)4月2日大阪発の平穏丸を最終船として廃航。
赤間關長洲線 明21.7(1888)開設明30.3.1(1897)廃航
明治21年(1888)7月開設。汽船1隻で毎月両地を発航、寄港地は中津/宇島。明治22年(1889)4月赤間關長洲線と改称。
大阪大島線 明24.2.13(1891)開設−明治前期
鹿児島県の命令航路として明治24年(1891)2月13日に開設。汽船1隻で毎月1回両地を発航するサービスとし、寄港地は神戸/鹿児島/喜界島/徳之島/沖永良部島/与論島/宇検/久滋/赤木名/古仁屋で随時沖縄に延航した。命令期限の明治27年(1894)3月で定期航海を廃止しその後は臨時船を配船した。
尾道門司線 明25.9.10(1892)開設明31.12.20(1898)山陽汽船商社に譲渡
明治25年(1892)9月10日開設。汽船2隻が毎日1回両地を発航するサービスとし、山陽鐵道(兵庫/糸崎)および九州鐵道(門司/熊本、鳥栖/佐賀)と3線船車連絡を実施した。
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