さくら丸 SAKURA MARU (1908) 閉じる
さくら丸
さくら丸 Sakura Maru
帝國海事協會が建造した義勇艦の第1艦.平時は旅客船として臺灣航路に使用し,戦時には6インチ砲2門及び12ポンド砲6門を搭載して快速力を利用して偵察,巡邏の任務につく計画であった.高速力を得るために主機には国産第1号のパーソンス直結タービンを3基搭載し,汽罐は当時,日本海軍で採用されていた宮原式水管汽罐を装備した.また汽機,汽罐,操舵機等を水面下に配置し,舷側の石炭庫で砲弾の防御とする等の構造を有していた.しかし商船としては冬季航海での船体の動揺が激しいといった運航上の無理があり,民間に売却後に貨物船に改造され,主機を換装して速力も低下し,外観も1本煙突となった.
船舶番号 11088 信号符字 LFMH 鋼製義勇艦 3,205総トン
起工 1906.7.9(明39) 進水 1908.6.6(明41) 竣工 1908.10.9(明41)
寸法 Lpp 102.11(335'-0") B 13.11(43'-0") D 7.24(23'-9") m
主機 T 三菱Parsons 直結 9,000SHP 3基 速力 21.392kt
建造 三菱合資会社三菱造船所(長崎) Sno.194
船主 帝國海事協會(東京)
船名 さくら丸 SAKURA MARU
1909.2(明42)大阪商船(株)(大阪)の用船,神戸基隆線(臺灣直航線)に就航
1911(明44)鐵道院の関釜連絡航路に就航.返船後,長崎港に係船
1917(大6)白洋汽船(株)(神戸)に売却,五洋丸 GOYO MARU と改名
1917.8(大6)日本郵船の坡土西航路に就航
1918(大7)横濱船渠(横浜)で貨物船に改造,主機を3連成,2基(1,820馬力)に換装,2軸となる
1921(大10)靱商船(株)(大阪)に売却
1931(昭6)海難により喪失.山高五郎氏の調査によると昭和4年(1929)カムチャッカ半島東岸の漁場へ漁夫と物資を輸送中に座礁し除籍されたとある
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