海運集約とは
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戦前世界第3位の船腹量を有したわが国の海運界は太平洋戦争の敗戦により保有船舶の大半を喪失したうえに、海運企業は戦時補償の打切りのため財政的にも文字通りゼロの状態から再出発をしなければならなかった。政府が実施した計画造船により戦後10余年で戦前の船舶保有量を回復したが、この制度は総花主義的といわれたように、一方で船会社の乱立を起こし邦船間の過当競争を引き起こす一因ともなった。
スエズ・ブームによる一時的な好景気により利子補給が打ち切られたが、ブームが去ると海運市況が急落し、海運企業は借入金の返済はおろか、利子の返済も出来ないほど収益が低下した。昭和20年代の後半からわが国の海運業の集約・再編成の必要性の議論がされ始め、やがて国家主導による海運業の集約・再編成が実施されるに至った。
ふいりぴん丸



大阪商船の貨物船ふいりぴん丸 Philippine Maru (1955)

上:竣工時
下:大阪商船三井船舶に移籍後の姿
ふいりぴん丸

横浜港・本牧ふ頭 - F.Hijikata

海運集約 − 海運再建整備ニ法の公布施行 (1963)

わが国の海運業界は計画造船の実施により船舶保有量の面では昭和32年(1957)には早くも戦前の水準を回復したが、資金面についてはなお建造資金の大半を借入金に依存しなければならなかった。政府は利子補給制度や計画造船に対する財政資金等の融資条件の改善などの政策を打ち出したが、それだけでは必ずしも十分な成果をあげることが出来なかった。しかもこの利子補給はスエズ・ブームの際の一時的な高収益を理由に停止されたので、国際競争力の差はたちまち業績の悪化として表面化した。一方で戦後の経済復興を成し遂げた昭和31年(1956)以降は重化学工業化を軸とした高度成長に伴ってわが国経済が必要とする船腹量は昭和32年(1957)夏以降の海運不況下においても急増を続けた。
昭和35年(1960)12月に閣議決定をみた国民所得倍増計画では目標年度とされた昭和45年度までに海運業界は1,335万総トンの外航船腹量を整備することとなった。この船腹量は目標年度におけるわが国の国際収支を2億ドルの黒字とするための最小限度の必要量とされたのである。

政府は各海運企業の経理内容をこれ以上悪化させることなしに所得倍増計画の達成に必要な外航船腹量を整備することを可能とするために、抜本的な海運企業再建策を講ずることとした。昭和36年(1961)6月運輸大臣斎藤昇は海運造船合理化審議会(海造審)に対し、国民所得倍増計画で必要とされる船腹量を確保するための具体的な方策を諮問した。海造審では約半年間にわたって慎重な審議を行い、その答申を受けて政府は具体的な方策を検討し、その結果を翌37年(1962)5月に「海運企業の整備に関する臨時措置法案」としてまとめた。しかしこの法案に対しては、助成内容が不十分でありビジョンを欠いていること、助成を受ける前提条件が厳しすぎることなどの理由で海運業界をはじめ関係各方面から反対が強く、結局この法案は審議未了のまま廃案となった。
そこで運輸省の要請を受けた海造審は、今後抜本的な海運対策を実施するためには海運企業の受入体制を整えることが先決であることを確認し、これを検討する目的で審議会内に海運対策部会を設置した。同部会は海運企業の建直しをはかるためには海運企業の集約化を促進することが必要であると結論し、その具体的な青写真を作成するために学識経験者をはじめとする関係各界の代表による海運小委員会(7人委員会といわれた)を設けて検討を進めた。
海運小委員会では検討を開始した11月後半から約20日間という短期間で構想を「海運企業の集約について」にまとめた。この案は多数の小規模企業の乱立による過当競争を排除するために、集約化の規模を100万トンとしてわが国の主要外航海運企業を5ないし6グループに集約、企業規模の拡大による投資力の充実をはかり、この集約に参加した企業に対して政府助成を集中する(開発銀行融資残高の利子全額を5年間徴収猶予など)という内容であった。さらに集約案の特徴は集約・合同について100万トンという明確な目標を与えたところにあった。
海運小委員会でこの構想をまとめた脇村義太郎氏(東京大学名誉教授)は集約案について、「この集約・合同を一挙に独占状態に持っていくには海運業の内部条件からしても難しいので競争を少なくして寡占の状態をつくり大体5つ以上のグループを作る。日本の現在の外航船腹量を考えると最低100万トンのところが目標になる。国際的な海運企業の大きさ、その競争に抵抗できる十分な大きさを考えると100万トンでは小さすぎるが、独禁法の関係からも100万トンが政策として打ち出す場合の唯一の数字と考える」(雑誌「海運」)と述べている。これとは別に自由民主党も政務調査会の内部に灘尾弘吉氏を中心とする海運再建懇談会(灘尾委員会)が設けられ、海運小委員会とほぼ同じ内容の「海運再建基本方策」をまとめた。

運輸省は先の国会で廃案となった案にかえて、昭和37年(1962)9月に策定した「海運対策要綱」と海造審や海運再建懇談会の対策案を調整して今後の基本方針を決定し、海運企業集約の実施と利子猶予措置の実施の準拠法を制定するとともに、利子補給制度を強化するための改正を行うこととした。
このようにして「海運業の再建整備に関する臨時措置法案」及び「外航船舶建造融資利子補給及び損失補償法及び日本開発銀行に関する外航船舶建造融資利子補給臨時措置法の一部を改正する法律案」が国会を通過成立し、海運再建整備ニ法として昭和38年(1963)7月1日に公布施行されることとなった。
 「海運業の再建整備に関する臨時措置法」に基づく政府助成措置を受けようとする会社は企業の集約を行い、集約後5年以内に減価償却の不足を解消することを前提とした整備計画を作成して、運輸大臣の承認を受け、集約については確認を受けることとされた。集約の方法は海運企業間の合併により保有外航船腹量が50万重量トン以上の中核会社を形成し、これに系列会社(合併会社により資本支配を受ける会社)と専属会社(合併会社または系列会社に対して長期貸船しまたは運航の委任をする会社で、かつ密接な関係を有するもの)を傘下会社として企業グループを形成し、グループ全体の保有外航船腹量が100万重量トン以上となるように集約を行うことであった。
もうひとつの利子補給法の改正は昭和37年度以降の外航船舶建造融資についての利子補給率を、開銀融資については従来の船主負担金利を年4%、市中融資については年6%に引き上げるとともに、利子補給期間を開銀融資については5年から10年に、市中融資については5年から7年に延長するとした内容であった。

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