北米航路のコンテナ化 - 海運集約期 戻る

政府は北米航路にコンテナ専用船を投入するにあたり、多額の財政資金を注ぎ込む関係から邦船間の無用な競争を避けさせるために行政指導により邦船各社にスペース・チャーター方式による協調配船を行うことを義務付け、さらに邦船間でプール協定を結ばせることとした。
加州航路 昭43.8(1968)第1船箱根丸就航

2社グループ(日本郵船・昭和海運)
米国マトソン社と提携して加州航路のコンテナサービスを開始した日本郵船はわが国初のコンテナ船箱根丸を就航させるとともに昭和海運と共有で箱根丸と同型の榛名丸を建造して2隻で月2航海のサービスを実施した。寄港地は神戸/名古屋/東京/ロサンゼルス/オークランド。昭和47年(1972)には比叡丸、翌48年(1973)には白山丸が就航し4隻によるウィークリー・サービスを実現した。昭和63年(1988)には長期化する海運不況のため昭和海運は北米定期航路から撤退した。

箱根丸
箱根丸 Hakone Maru (1968)

榛名丸
榛名丸 Haruna Maru (1968)

4社グループ(大阪商船三井船舶・川崎汽船・ジャパンライン・山下新日本汽船)
邦船4社グループ(大阪商船三井船舶、川崎汽船、ジャパンライン、山下新日本汽船)による加州航路へのコンテナ船の投入は昭和43年(1968)10月19日、大阪商船三井船舶のあめりか丸を第1船として、川崎汽船のごうるでんげいとぶりっじに引き続き山下新日本汽船が第3船加州丸を同年11月5日に就航させた。最終船としてジャパンラインのジャパン エースが11月9日に就航し4社4隻によるウィークリー・サービス体制が確立した。

あめりか丸
あめりか丸 America Maru (1968)

ごうるでん げいと ぶりっじ
ごうるでん げいと ぶりっじ Golden Gate Bridge (1968)

加州丸
加州丸 Kashu Maru (1968)

ジャパン エース
ジャパン エース Japan Ace (1968)
北太平洋航路 昭45.5(1970)第1船ごうるでん あろう就航
北太平洋航路は邦船6社が2社づつ3グループにより各1隻の共有新造船を就航させ3隻で6社スペース・チャーター方式により月間3航海とした。
寄港地は横浜/神戸/バンクーバー/シアトルを原則としてスタートしたが寄港地から外されたことを理由にポートランド市港湾局が米国連邦海事委員会(FMC)の認可に意義を申し立てた結果、米国寄港を停止せざるを得なくなり、寄港地はカナダのバンクーバーのみとなった。この問題が最終決着したのは昭和46年(1971)2月であった。

ごうるでん あろう
ごうるでん あろう Golden Allow (1970)

穂高丸
穂高丸 Hotaka Maru (1970)

O.Sakai

米州丸
米州丸 Beishu Maru (1970)
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