- 航路の輸送量は年々増加し就航船腹は昭和40年(1965)に日ソ双方で6,000重量トン型2隻,4,000重量トン型2隻をそれぞれ年間12航海に増配された.しかしナホトカ港の港湾受入事情により邦船は徐々に減少した.ソ連側の対応により昭和52年(1977)には船混みは緩和されたので山下新日本汽船は昭和53年(1978)までに富士丸他1隻を配船した.昭和50年(1975)9月にはコンテナサービスが開始され,飯野海運との共有で第1船シベリア丸が就航した.以降,同じく飯野海運との共有で,ぷりもりえ丸,きょくとう丸,おうろら丸が相次いで投入された.
1969.10 | (昭44) | 富士丸を購入 | 1975.9 | (昭50) | コンテナサービス開始.第1船シベリア丸就航[船]シベリア丸,ぷりもりえ丸,きょくとう丸,おうろら丸 |
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