義勇艦 明41(1908)−大2(1913)
日露戦争時、帝國海事協會が中心となってわが国で初めての義勇艦隊(Volunteer fleetの邦訳)の建造が計画された。義勇艦とは平時は商船として使用されるが戦時には直ちに補助艦艇として活躍できるように設計された特殊な船舶で義捐金をもとに建造された。同協會は1500万円の資金を広く国民から募集することとしたが実際には500万円弱の寄付金で計画は頓挫し、さくら丸以下3隻の義勇艦が建造されたが結果的に本来の目的通りにほとんど使用されることなく終わった。

さくら丸 SAKURA MARU (1908) 三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造

さくら丸
さくら丸 Sakura Maru

各社社史や当時の新聞において本船は櫻丸、うめが香丸は梅ヶ香丸、
さかき丸は榊丸と記載されている例がある
参考:
五洋丸 五洋丸
横濱船渠で貨物船に改造後の五洋丸。上部構造物が大きく変わっている。本船は改造後にマルセイユに向けて出航した。左写真は三菱横浜の資料および日本造船協會の会報にも取り上げられている迷彩を施した姿(他に1枚あり)であるが日本船舶明細書に掲載されている同じ撮影時の写真(右)も存在する。
参考:
(*1)三菱横浜の資料には大洋商会が船主とある。

うめが香丸 UMEGAKA MARU (1909) 三菱合資会社三菱造船所(長崎)建造

うめが香丸
うめが香丸 Umegaka Maru
さくら丸に引き続いて建造された義勇艦の第2艦。さくら丸のクリッパー形船首に対して本船はやや傾斜した直立形船首を有する点が外観上の大きな違いであるが主要寸法は同じでほぼ同型船である。




大正2年(1913)5月18日、浮揚後、排水作業中の状況
門司港内で横転した本船の浮揚作業には三菱神戸造船所の救助船有馬丸と同長崎造船所の大浦丸が出動した。遭難場所は潮流が激しく作業は困難を極め、作業開始から189日後に浮揚に成功した。

さかき丸 SAKAKI MARU (1913) 株式会社川崎造船所(神戸)建造

さかき丸
さかき丸 Sakaki Maru
Copyright (C) Since 1998 Fumio Nagasawa All Rights Reserved. LU 2017.9