日本の浚渫船・土運船 - 明治前期明治後期大正期−昭和初期−太平洋戦争−戦後占領期−海運再建期 戻る


日本の浚渫船・土運船
50トン起重機
五十トン電気定置起重機

明治39年度に大蔵省と横浜市の共同負担による横浜港第2期海面埋立工事が開始された。同時に陸上設備工事・桟橋改築工事が開始され、新港埠頭には五十トン電気定置起重機が設置された。この起重機は英国製で、現存している。


横浜港・新港ふ頭 2005.4.23

概説
浚渫船を含む日本の作業船を全国の港湾工事の歴史とともに紹介 − 作成中

横浜港
内務省による横浜港修築工事(第1期工事) 明22(1889).9〜明29(1896).5.31
明治24年(1891)1月から港内の浚渫工事開始。横浜港の維持は神奈川県に引継がれ、安全な泊地確保を目的として明治30年(1897)〜大正10年(1921)3月、約63万4000坪(約209万平方m)の港内浚渫工事が進められた。

第1期海面埋立工事(横浜税関海面埋立工事) 明32(1899).5〜明38(1905).12
日清戦争後の海外貿易の活発化、とりわけ生糸の輸出増加を背景に、横浜税関から横浜港の海面埋立による税関拡張計画が大蔵省に提出された。大蔵省の嘱託・古市公威は明治31年(1898)9月14日、横浜税関拡張工事説明書を提出、横浜港海面埋立工事が大蔵省の直轄工事として工費230万で実現されることとなった。

第2期海面埋立、陸上設備工事・桟橋改築および港内浚渫工事 明39(1906)〜大6(1917).11
明治38年(1905)9月、横浜市長から工費の3分の1を横浜市が負担する「横浜改良の件に付稟請」が大蔵大臣に提案され、これをうけ政府は39年度以降6ヵ年継続事業として818万円の予算を確保、(横浜市の負担は270万円)、事務は大蔵省臨時建築部が担当。
明治44年(1911)3月、埋立工事が完了したが、その間にも係船数の増大、船型の大型化により鉄桟橋(大桟橋)の幅員が狭くなったこと、水深の不足による機能低下と老朽化のために改築の必要が生じ、計画が変更され、陸上設備は大正3年(1914)6月、桟橋改築は6年7月、全工事は6年11月竣工した。
主要工事は埋立面積21,577.7坪(71,331平方m)、係船岸壁、護岸、新港橋、鉄道橋、大桟橋の改築、道路、鉄道、レンガ造り3階建て事務所2棟(関東大震災により焼失)、レンガ造り3階建て倉庫1,2号(現在の通称赤レンガ倉庫)、鉄・木造上屋14棟(大震災により焼失)、発電所1棟、起重機(現在の固定式電動50トン起重機)等。
港内浚渫工事は最初の修築工事の一部として明治24年(1891)1月〜明治28年(1895)12月にかけて約6万坪(約36万平方m)、約4万5000余円で実施された。明治23年(1890)12月、サイモンス形承桶梯子式(バケットラダーシステム)浚泥船菖蒲號(自航式、327G/T英国製)を購入し、計画浚渫深さは-11〜-26尺(-3.3〜-7.8m)であった。
その後、引き続き神奈川県により施工され、明治34年(1901)1月、菖蒲號の老朽化のため、同型式の浚渫船椿號(自航式、560G/T 英国Lobnitz & Co.製)を購入、他にプリストマン式浚渫船4隻、土運船(10〜50立坪積<約60-300立方m>)22隻、曳船10隻などを使用した。

第3期拡張工事と関東大震災 大10(1921)〜第2次世界大戦のため中断
港湾調査会が明治40年(1907)6月に設置され、10月23日に重要港湾として横浜港はじめ14港湾を選定し、その後選定港湾の増加、港湾修築計画、港湾の埋立、その他出願事項の処理などを行った。これらの港湾に対して大正7年(1918)10月30日、第一種重要港湾の横浜港、神戸港、関門海峡(門司および下関を含む)などの重要港湾施設は内務省が施工することが閣議決定された。
横浜市は経済好況と東京築港へのけん制も考慮して第3期横浜港拡張計画を独自に策定、内務省はそれを参考として大正10年(1921)より10ヵ年継続事業として議会に提出、総工費1345万円の協賛を得て内務省直轄事業として工事開始、同年5月1日、内務省横浜土木出張所が設置された。工事進行中の大正12年(1923)9月1日関東大震災により壊滅的な打撃を受け、そのための復旧工事が第一義となり拡張工事は中断を余儀なくされたが内務省横浜土木出張所は被災後50日の10月21日にはやくも破壊された防波堤をはじめ岸壁、護岸、橋梁、(以上は13年度内に竣工)大桟橋(14年9月30日竣工)の復旧工事にとりかかった。
上屋、倉庫、税関庁舎、道路、鉄道などの陸上施設の復旧工事は大蔵大臣官房臨時建築課横浜出張所により着工、引き続き同省営繕管財局横浜出張所が施工し、昭和6年(1931)3月工費662万余円をもって竣工。関東大震災復旧工事の竣工後、大正14年(1925)4月から再び内務省横浜土木出張所の直轄事業として横浜港の第3期拡張工事が実施され、外防波堤工事、大桟橋の増補、改造などの計画変更を加えて進行し、瑞穂埠頭、新山下貯木場、高島埠頭1,2号桟橋、山内埠頭桟橋などが完成したが、途中、第2次世界大戦により中断した。

大黒丸 DAIKOKU MARU (1928) 浦賀船渠株式会社(浦賀)建造

大黒丸
大黒丸 Daikoku Maru

神戸港
第1期修築工事 明39(1906)〜大10(1921)
神戸港は開港以来、増加する入港船舶に対して施設が手狭となり、その上夏秋の台風時には毎年被害を受けていた。このため大規模な修築工事の必要性は早くから関係者の間に論じられていた。
いくつかの計画案も実現に至らなかったがその間、第1〜3波止場、小野濱波止場、倉庫8棟、上屋14棟等が建設され、川崎、第4、兵庫波止場も設備を増設した。そこで市の有力者は再び調査会を設け、政府に要望して、小野濱〜灘間鉄道工事を採択され着手した。さらに税関設備の改良案を大蔵省に提出し、大蔵省も了承して小野濱に片桟橋、桟橋各1ケ396万円の予算を議会に提出、明治38年(1905)議会を通過した。そして明治39年(1906)より6ヵ年の継続事業として大蔵省臨時建築部神戸支部が工事に着手。その後、計画が拡大し、最終的には工期が大正10年(1921)までの16ヵ年継続事業となった。

大輪田丸 OWADA MARU (1909) 大阪鐵工所櫻島造船場(大阪)建造

大輪田丸
大輪田丸 Owada Maru
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