- ■ジャパンラインとの合併
-
昭和63年(1988)12月23日,山下新日本汽船社長馬越省三とジャパンライン社長安田直輔は来年(1989)6月に対等合併することで基本的合意に達し覚書に調印したと発表した.ジャパンラインは売上高1314億円で業界4位,山下新日本汽船は1233億円で業界5位だが円高を契機とした海運不況の中で特に大口顧客を持たない弱点を持っていることから両社とも経営不振に陥り銀行の支援を受けていた.山下新日本汽船が存続会社となり平成元年(1989)3月14日に新会社名をナビックスライン株式会社(Navix Line.,Ltd)と決定した.6月1日に発足したナビックスラインの代表取締役社長となった馬越省三は合併の経緯について「日本ライナーシステムは全役員・社員の懸命な集荷努力,コスト削減努力により初期の目標を上回る好スタートを切ることができた.定航部門の提携後,両社間で率直な意見交換を持つ機会が多くなり,定航分離後の両社の経営実態をお互いに冷静に検討したところ,このままではどれだけ懸命に合理化努力をしたとしても,単体として将来に向っての再建の目途はおろか縮小再生産の一途を辿らざるを得ず,企業としての存続すら危ぶまれるとの危機感を共通に認識した.この共通認識にたって,企業存続,経営基盤の強化,長期展望の持てる再建のためには,両社本体の合併が唯一のサバイバルの道であるとの意見の一致をみた」と述べ,また新会社の現状について代表取締役会長安田直輔は「ナビックスラインは不定期船,油槽船の分野では,その営業規模においては日本一であり,また世界でも最大級となったが,その財務内容においては多年の不況によって殆どの蓄積を失い,零に近い点からの再出発というような状態にある」と述べた. |
ナビックスラインはその後,10年(1998)11月20日に大阪商船三井船舶との合併を発表した.この合併は従来の行政・銀行主導ではなく,経営環境に危機意識をもつ当事者だけで交渉が進められた.大阪商船三井船舶が存続会社となり11年(1999)4月1日に新会社名株式会社商船三井(Mitsui O.S.K.Lines,Ltd)としてスタートした. |
|