小史 - ジャパンラインとの合併 前頁 戻る

日本ライナーシステム株式会社の設立
昭和63年(1988)4月27日,山下新日本汽船とジャパンラインは苦しい経営を強いられている両社の定航部門を合体させ,経営体質の転換を図る目的で新たな会社を設立すると発表した.新会社は10月1日に日本ライナーシステム株式会社として発足した.同社は2社から北米西岸航路,ニューヨーク航路,ニュージーランド航路,豪州航路,中近東航路,ナホトカ航路および中南米航路の全定期航路を継承するが船舶は保有せず,ジャパンラインの船舶保有会社グリーン船舶と山下新日本汽船が設立する船舶保有会社からリース方式をとることとした.この結果,同年5月17日に山下新日本汽船の船舶保有会社としてワイエスコンテナ船保有株式会社が設立され,同月31日には北米航路に就航中の山隆丸,新米州丸,新加州丸,山新丸が移籍された.さらに翌64年(1989)にはワイエス不定期船保有株式会社が設立され,同年3月28日に明石丸,大春丸,大隆丸,日山丸の4隻の共有船が移籍された.
新加州丸 Shin-Kashu Maru
新加州丸 Shin-Kashu Maru (1981)

1982.5.23 東京港
山隆丸 Yamataka Maru
山隆丸 Yamataka Maru (1986)
大春丸 Daishun Maru
大春丸 Daishun Maru (1983)

山下新日本汽船では初の新造自動車専用船

ジャパンラインとの合併
昭和63年(1988)12月23日,山下新日本汽船社長馬越省三とジャパンライン社長安田直輔は来年(1989)6月に対等合併することで基本的合意に達し覚書に調印したと発表した.ジャパンラインは売上高1314億円で業界4位,山下新日本汽船は1233億円で業界5位だが円高を契機とした海運不況の中で特に大口顧客を持たない弱点を持っていることから両社とも経営不振に陥り銀行の支援を受けていた.山下新日本汽船が存続会社となり平成元年(1989)3月14日に新会社名をナビックスライン株式会社(Navix Line.,Ltd)と決定した.6月1日に発足したナビックスラインの代表取締役社長となった馬越省三は合併の経緯について「日本ライナーシステムは全役員・社員の懸命な集荷努力,コスト削減努力により初期の目標を上回る好スタートを切ることができた.定航部門の提携後,両社間で率直な意見交換を持つ機会が多くなり,定航分離後の両社の経営実態をお互いに冷静に検討したところ,このままではどれだけ懸命に合理化努力をしたとしても,単体として将来に向っての再建の目途はおろか縮小再生産の一途を辿らざるを得ず,企業としての存続すら危ぶまれるとの危機感を共通に認識した.この共通認識にたって,企業存続,経営基盤の強化,長期展望の持てる再建のためには,両社本体の合併が唯一のサバイバルの道であるとの意見の一致をみた」と述べ,また新会社の現状について代表取締役会長安田直輔は「ナビックスラインは不定期船,油槽船の分野では,その営業規模においては日本一であり,また世界でも最大級となったが,その財務内容においては多年の不況によって殆どの蓄積を失い,零に近い点からの再出発というような状態にある」と述べた.
大鷹丸 Ohtaka Maru
大鷹丸 Ohtaka Maru (1984)
新鷹丸 Niitaka Maru
新鷹丸 Niitaka Maru (1988)

18万重量トン級の鉱石/撒積兼用船.山下新日本汽船の最後の新造船となった
ナビックスラインはその後,10年(1998)11月20日に大阪商船三井船舶との合併を発表した.この合併は従来の行政・銀行主導ではなく,経営環境に危機意識をもつ当事者だけで交渉が進められた.大阪商船三井船舶が存続会社となり11年(1999)4月1日に新会社名株式会社商船三井(Mitsui O.S.K.Lines,Ltd)としてスタートした.
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