ニューヨーク航路は昭和47年(1972)8月にフルコンテナ・サービスが開始されて以来,邦船5社により8隻でウィークリー・サービス体制が確立され,山下新日本汽船では東米丸と共有船八州丸を投入して運営していたが55年(1980)以降のミニランドブリッジと呼ばれる複合一貫輸送の台頭による東岸経由貨物の太平洋岸へのシフトや米国シーランド社(Sea-Land Service, Inc.)の往航同盟脱退に端を発する運賃競争の激化により急速に競争力を失い,また58年(1983)11月から米国連邦海事委員会によって日本船社間の運賃プール制が否認されたために邦船間の競争も激化し始めた. 各社は採算性向上のため就航船の主機を換装する工事を計画し,山下新日本汽船では58年(1983)に東米丸の主機換装工事が実施され,燃料消費量の多いタービンから省燃費型のディーゼルへ切替えることにより燃費の改善が図られた.なお,東米丸の主機換装工事期間には新造コンテナ船新米州丸が臨時的に同航路へ配船された. |