- ■合併と昭和海運グループの形成
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「海運業の再建整備に関する臨時措置法」が成立する以前の昭和38(1963)2月に富士銀行系の日本油槽船と日産汽船,続いて三和銀行系の山下汽船と新日本汽船が合併方針を明らかにした.同年10月14日に日本油槽船と日産汽船の合併が発表され,31日に合併契約書に正式調印した.この合併では両社の経理内容や資本金等に差異があることと税法上の関係等の理由から日本油槽船が存続会社となり日産汽船は解散することとなった.日本油槽船にはメインバンクである富士銀行を媒体として同じ系列下の日本鋼管との積荷や新造船発注の結びつきがあり,日本鋼管には日産汽船との長い間の関係があり,さらに日産汽船の金融系列には富士銀行とともに日本興業銀行がメインバンクの立場にあった.このような背景から両社を合併させることは富士銀行自身の高度経済成長時代を展望した系列企業の強化政策に合致するものであったことと,同一系列荷主をめぐる競争関係が排除されること等から必然的な方向と見られていた.新会社名は両社従業員から募集して昭和海運株式会社と決定し翌39年(1964)年4月1日に他の中核体グループともども再出発のスタート・ラインに並んだ. ■昭和39年(1964)4月1日現在 合併会社 2社 日本油槽船・日産汽船 系列会社 3社 照國海運・日之出汽船・日邦汽船 専属会社 4社 冨洋商船・名古屋汽船・東亜汽船・広南汽船 |
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