- ■コンテナ船
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コンテナ船ではこの時期にPSW,PNW航路ともに在来船の船質改善による競争力の強化が図られ,日本郵船との共有建造により3隻の新造船が投入された.まずPSW航路には箱根丸の代替として昭和53年(1978)に比良丸を建造し,5年後の昭和58年(1983)には榛名丸の代替として箱根丸(35,309G/T)が新造投入され,榛名丸は豪洲・マレー・ガルフ航路に転配された.PNW航路には穂高丸の代替として,昭和59年(1984)に日向丸が建造されている.コンテナ化の難しかったペルシャ湾航路に,昭和53年(1978)シーランド社がフルコンテナ船による盟外配船を行ったため,日本船5社はOASIS CONTAINER EXPRESS LINESという名のコンソーシアムを結成して対抗し,昭和54年(1979)には大阪商船三井船舶のおーすとらりあ丸が第1船として就航した.昭和海運はこの航路用として,昭和55年(1980)に川崎汽船との共有によりジャパンラインからごうるでんあろうを購入して船体延長工事を行い,和川丸と改名して就航させ,翌56年(1981)には同じく川崎汽船との共有により山下新日本汽船より加州丸を購入して同様に船体延長工事を行い,昭川丸と改名して就航させた. |
昭和60年代に就航したコンテナ船2隻日高丸と日吉丸(ともに41次計画造船)は昭和60年(1985)春以来,日本船2社3グループ体制となったPSW航路に投入するために建造された2,300TEU型である.極東航路への延航に伴って船型を大型化し,低船価による経済船型の採用や最新の省エネ設備を有しており,競争力のある船隊を目的として建造された. |
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