樺太航路 - 明治後期 戻る

函館大泊線 日本郵船(株) 明38.9(1905)開設−明39.4(1906)樺太線−大12(1923)近海郵船に継承
日露戦争の結果、南樺太が領土となると明治38年(1905)9月、日本郵船は函館大泊線を開設、翌39年(1906)4月には逓信省の命令航路樺太線となった。
1905.9(明38)[港]函館/大泊[航]週1回[船]田子浦丸
函館樺太線 兩羽汽船(株) 明治前期−明治後期−大正期−昭和初期
1910.5(明43)青森丸、座礁により破壊
1911(明44)[港]函館/樺太
冬季樺太線 日本郵船(株) 大1(1912)開設−大12(1923)近海郵船に継承
樺太線が冬季欠航する期間に小樽/大泊あるいは小樽/真岡を連絡する航路として開設。
大泊稚内線 日本郵船(株) 明44.8(1911)開設−大9(1910)廃止
樺太庁命令航路として開設。
樺太西廻線 大阪商船(株) 明42.5.1(1909)開設−明43.3(1910)樺太線−明44.5(1911)樺太西海岸線−
大3.3(1914)北日本汽船へ譲渡
明治42年(1909)5月1日、樺太庁命令航路として開設。
1909.5.5(明42)第1船大禮丸小樽出航[港]小樽/大泊/眞岡/野田寒/泊居/久春内 冬季は眞岡止り、海馬島に寄港/北名好[航]1ヶ月2回[船]大禮丸
1910.4.1(明43)樺太線と改称[港]鵜城、安別に寄港開始[航]1ヶ月3回
1911.5(明44)樺太西海岸線と改称[港]安別寄港を省略、本斗(復航)に寄港
1912.4(明45)樺太庁命令航路、西海岸冬期第一線[港]小樽/大泊/本斗/眞岡/野田/泊居/久春内/鵜城/北名好/海馬島[命]1912.4(明45)〜1913.3(大2)
大禮丸 Dairei Maru
大禮丸 Dairei Maru (1904)

砕氷用に船首部を改造した後の姿
竣工後間もなく日露戦役のため陸軍御用船として徴用。明治38年(1905)10月大阪商船は陸軍省と協議の上、船首の外側にさらに砕氷構造の船首(砕氷装置)を取り付けた砕氷船に改造した。以後、小樽を起点として樺太沿岸に至る航海に従事し日露国境標識の完成までは国境画定委員輸送任務にも従事。「毎月1の日に小樽を出航する大禮丸は広く世上に記憶せられた」[資3137]という。
樺太東廻線 大阪商船(株) 明42.5(1909)開設−明43年.3(1910)中止−明44.5(1911)樺太東海岸線として再開−
大3.3(1914)北日本汽船へ譲渡
明治42年(1909)5月、樺太庁命令航路として開設。
1909.5(明42)開設[港]小樽/大泊/富内/榮濱/東白浦/敷香/海豹島/小樽[航]1ヶ月1回[船]大禮丸
1910.3(明43)補助金廃止により中止
1911.5(明44)命令航路として再開[港]小樽/函館/小樽/大泊/池邊讃/富内/榮濱/東白浦/元泊/敷香/散江/海豹島 (冬季結氷中は休航)[航]1ヶ月2回[船]筑後川丸
Copyright (C) Since 1998 Fumio Nagasawa All Rights Reserved. LU 202002 V.1.1.3