樺太航路 - 大正期 戻る

日本海航路樺太線 近海郵船(株) 大12.4.1(1923)日本郵船より継承昭和初期
日本郵船から継承した樺太航路函館大泊線.大正15年(1926)4月逓信省命令航路受命.
1921.6.19(大10)新造船千歳丸就航
1923.4.1(大12)近海郵船が継承
1926.4(大15)冬季は小樽をから大泊及び眞岡(または眞岡及び大泊)に寄港[港]往航:函館/小樽/大泊/眞岡 復航:大泊/小樽/函館[航]月5回以上[船]千歳丸、營口丸、弘前丸[命]1926.4(大15)〜1928.3(昭3)100,000円
千歳丸 Chitose Maru
千歳丸 Chitose Maru (1921)
大阪/敷香航路 川崎汽船(株) 大15.4.21(1926)開設昭17.4(1942)船舶運営会へ移管
大正13年(1924)以降、樺太東岸は富士製紙(王子製紙の前身)が知取パルプ工場の建設に着手するなど貨物輸送量の増加が見込まれたため、大正15年(1926)4月21日横濱港出航の能代丸を第1船として開設。後に富士製紙の敷香工場完成とともに泊岸、内路を経て敷香まで延航した。
1926.4.21(大15)4月から12月の可航期の定期サービスとした[港]阪神/名古屋/横濱/函館/小樽/元泊/知取[航]1ヶ月2回[船]能代丸、東華丸、榮丸
能代丸 Noshiro Maru
能代丸 Noshiro Maru (1919)
函館/北樺太航路 川崎汽船(株) 大15.6.22(1926)開設昭17.4(1942)船舶運営会へ移管
北樺太石油(大正14年設立)関係の人員、物資輸送及び日ソ両国漁業者の輸送の便宜を図るため設立。毎年6月から9月まで月1回の定期サービスとした。
1926.6.22(大15)函館出航の喜福丸を第1船として開始[港]函館/小樽/ヌイオチャイオ/オハ/尼港(ニコライエフスク)/亞港(アレキサンドロフスク)/小樽[船]喜福丸、東祥丸
函館樺太東海岸線 北日本汽船(株) 明42.5.1(1909)開設−明43年.3(1910)中止−明44.5(1911)樺太東海岸線として再開
大3.3(1914)北日本汽船へ譲渡昭和初期
継承受命後、3線に3隻を使用した。イ線は山本厚三(吉辰丸)、ロ線は大阪商船(筑後川丸)、ハ線は佐々木平次郎(二見丸)からの継承航路であったが大正5年(1916)以降は2線2隻となった。
1914.3.30(大3)・東海岸イ線[港]小樽/大泊/池邊讃/富内/榮濱/東白浦/東間串/敷香/散江[船]吉辰丸
1914.3.30(大3)・東海岸ロ線[港]小樽/大泊/池邊讃/富内/野寒/榮濱/東白浦/元泊/東間串/敷香/散江/海豹島/船泊/遠内[船]筑後川丸
1914.3.30(大3)・東海岸ハ線[港]小樽/大泊/池邊讃/富内/野寒/榮濱/東白浦/元泊/東間串/敷香/散江[船]二見丸
1915(大4)下期[船]吉辰丸、二見丸、隅田川丸
1916(大5)[船]二見丸、隅田川丸
1917(大6)[船]隅田川丸、弘運丸(用船)
1918(大7)[船]隅田川丸、福丸(用船)
1919(大8)[船]隅田川丸、萬成源丸(用船)
1920(大9)〜1923(大12)迄[船]隅田川丸、筑後川丸
1924(大13)[船]豊原丸、鈴谷丸
吉辰丸 Kisshin Maru
吉辰丸 Kisshin Maru (1890)
函館樺太西海岸線 北日本汽船(株) 明42.5(1909)開設−明43.3(1910)樺太線−明44.5(1911)樺太西海岸線
大3.3(1914)北日本汽船へ譲渡昭和初期
北日本汽船へ継承後は起点を函館とし、使用船の改廃が相当行われた。西海岸イ線は本間合名(幸成丸)、ロ線(安別線)は嶋谷徳三郎(天佑丸)を継承し、ハ線は大阪商船(大禮丸)から小樽泊居線が継承された。
1926.4(大15)逓信省命令航路受命。[港]往航:函館、小樽、ペトロパブロフスク 復航:ペトロパブロフスク、函館[航]1ヶ月1回以上[船]第五室蘭丸[命]1926.4(大15)〜1928.3(昭3)30,000円
海和丸 Kaiwa Maru
海和丸 Kaiwa Maru (1918)
小樽眞岡航路 北海郵船(合) 大10.5(1921)開設
1921.5(大10)[港]小樽/海馬島/本斗/眞岡
伏木久春内線 北日本汽船(株) 大4.5(1915)開設昭和初期−太平洋戦争
樺太庁による補助命令航路として開設。寄港地は伏木、七尾、富山湾各地の他、佐渡各地、新潟、酒田、船川、土崎等にも寄港した。
1915.5(大4)[港]伏木/小樽/大泊/本斗/眞岡/蘭泊/野田寒/泊居/久春内[船]直江津丸(用船)
1916(大5)上期[船]直江津丸、汕頭丸
1916(大5)下期[船]吉辰丸、汕頭丸
1917(大6)〜1922(大11)上期迄[船]吉辰丸、本斗丸
1922(大11)下期〜1924(大13)迄[船]吉辰丸、汕頭丸
1925(大14)[船]能登呂丸、汕頭丸
1926(大15)[船]能登呂丸、眞岡丸
本斗丸 Honto Maru
本斗丸 Honto Maru (1916)
横濱樺太線 北日本汽船(株) 大10.4(1921)開設−大11(1922)受命辞退し自由航路
樺太庁命令航路として開設。翌年、同庁の意向により日本郵船が受命したため北日本汽船にとっては1年間の短命航路となった。
1921.4(大10)[港]横濱/函館/小樽/大泊/眞岡/野田/泊居[船]野登呂丸、眞岡丸
能登呂丸 Notoro Maru
能登呂丸 Notoro Maru (1917)
大阪小樽線 北日本汽船(株) 大8.4.1(1919)開設大11.4.1(1922)大阪小樽樺太線昭和初期
西廻定期航路の大阪小樽線を樺太庁からの受命により樺太まで延航し大阪小樽樺太線と改称。
1919.4(大8)上期[船]豊碕丸、喜代丸、銀山丸(用船)
1919.9(大8)下期[船]豊碕丸、喜代丸、英航丸(用船)
第一多聞丸 Tamon Maru No.1
第一多聞丸 Tamon Maru No.1 (1894)

八馬永蔵からの用船
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ペトロパブロフスク線 栗林商船(株) 大正期−昭和初期−太平洋戦争
大正15年(1926)4月、逓信省命令航路受命。復航は直航で冬季は休航とした。
1926.4(大15)逓信省命令航路受命。[港]往航:函館、小樽、ペトロパブロフスク 復航:ペトロパブロフスク、函館[航]1ヶ月1回以上[船]第五室蘭丸[命]1926.4(大15)〜1928.3(昭3)30,000円
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