港湾事業 - 大正期 戻る

港湾調査会が明治40年(1907)6月に設置され、10月23日に重要港湾として横浜港はじめ14港湾を選定し、その後選定港湾の増加、港湾修築計画、港湾の埋立、その他出願事項の処理などを行った。これらの港湾に対して大正7年(1918)10月30日、第一種重要港湾の横浜港、神戸港、関門海峡(門司および下関を含む)などの重要港湾施設は内務省が施工することが閣議決定された。

横浜港

地洋丸 Chiyo Maru
地洋丸 Chiyo Maru (1908)

接岸作業中の東洋汽船の地洋丸。埠頭には可動式の1.5トン起重機が見える
第3期拡張工事 内務省 明39(1906)第2期海面埋立工事大10(1921)第3期拡張工事−大12.9(1923)関東大震災により中断−
大14.4(1925)工事再開昭和初期太平洋戦争により中断
横浜市は経済好況と東京築港へのけん制も考慮して第3期横浜港拡張計画を独自に策定、内務省はそれを参考として大正10年(1921)より10ヵ年継続事業として議会に提出、総工費1345万円の協賛を得て内務省直轄事業として工事開始、同年5月1日、内務省横浜土木出張所が設置された。工事進行中の大正12年(1923)9月1日関東大震災により壊滅的な打撃を受け、そのための復旧工事が第一義となり拡張工事は中断を余儀なくされたが内務省横浜土木出張所は被災後50日の10月21日にはやくも破壊された防波堤をはじめ岸壁、護岸、橋梁、(以上は13年度内に竣工)大桟橋(14年9月30日竣工)の復旧工事にとりかかった。
上屋、倉庫、税関庁舎、道路、鉄道などの陸上施設の復旧工事は大蔵大臣官房臨時建築課横浜出張所により着工、引き続き同省営繕管財局横浜出張所が施工し、昭和6年(1931)3月工費662万余円をもって竣工。関東大震災復旧工事の竣工後、大正14年(1925)4月から再び内務省横浜土木出張所の直轄事業として横浜港の第3期拡張工事が実施され、外防波堤工事、大桟橋の増補、改造などの計画変更を加えて進行し、瑞穂埠頭、新山下貯木場、高島埠頭1,2号桟橋、山内埠頭桟橋などが完成したが、途中、第2次世界大戦により中断した。
大黒丸 Daikoku Maru
大黒丸 Daikoku Maru (1928)
Copyright (C) Since 1998 Fumio Nagasawa All Rights Reserved. LU 202003 V.1.1.3