- 明治38年(1905)9月,横浜市長から工費の3分の1を横浜市が負担する「横浜改良の件に付稟請」が大蔵大臣に提案され,これをうけ政府は39年度以降6ヵ年継続事業として818万円の予算を確保,(横浜市の負担は270万円),事務は大蔵省臨時建築部が担当.明治44年(1911)3月,埋立工事が完了したが,その間にも係船数の増大,船型の大型化により鉄桟橋(大桟橋)の幅員が狭くなったこと,水深の不足による機能低下と老朽化のために改築の必要が生じ,計画が変更され,陸上設備は大正3年(1914)6月,桟橋改築は6年7月,全工事は6年11月竣工した.
主要工事は埋立面積21,577.7坪(71,331平方m),係船岸壁,護岸,新港橋,鉄道橋,大桟橋の改築,道路,鉄道,レンガ造り3階建て事務所2棟(関東大震災により焼失),レンガ造り3階建て倉庫1,2号(現在の通称赤レンガ倉庫),鉄・木造上屋14棟(大震災により焼失),発電所1棟,起重機(現在の固定式電動50トン起重機)等. 港内浚渫工事は引き続き神奈川県により施工され,明治34年(1901)1月,菖蒲號の老朽化のため,同型式の浚渫船椿號(自航式,560G/T 英国Lobnitz & Co.製)を購入,他にプリストマン式浚渫船4隻,土運船(10~50立坪積<約60-300立方m>)22隻,曳船10隻などを使用した.
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