世界一周航路 - 大正期 戻る

東洋ルーズベルトライン 東洋汽船(株) 大12.4.1(1923)開設
米国ルーズベルトライン(Roosevelt Steamship Co. 社長Kermit Roosevelt)と協定して集荷を相互に取扱う西廻り世界一周航路を開設.ニューヨークを起点として日本/中国/フィリピン/インド/スエズを経由した.両社は隔月1回の配船とし東洋汽船は朝洋丸型貨物船を就航させた.協定の終了時期は不詳.
1923.4.1(大12)開設[港]ニューヨーク/パナマ/日本/中国/フィリピン/インド/スエズ[航]隔月1回

朝洋丸 Choyo Maru (1919)
川崎ルーズベルト西回り世界一周航路 川崎汽船(株) 大13.3.16(1924)開設-昭3.10(1928)中止-昭12.9.23(1937)再開
川崎造船所建造のストックボートを運航するため同社船舶部が大正13年(1924)1月,米国ルーズベルトライン(Roosevelt Steamship Co.)と共営による航路として計画.両社で月1航海の定期航路とした.
1924.1(大13)[港]ニューヨーク/ガルフ/日本/中国/南洋各港/スエズ経由ニューヨーク帰港[航]月1回[往荷]北米向け:砂糖,マニラ麻,ココナッツ油,生ゴム[復荷]北米より:雑貨,燐鉱石,鋼材,スクラップ,綿花
1924.4.11(大13)伊太利丸が第2船としてニューヨークを出航[船]伊太利丸
1924.11(大13)以降,荷動きの増加に伴い月2回に増配[航]月2回[船]べにす丸,らいん丸,富士丸,ぼるどう丸,うゑいるす丸
1926.8(大15)川崎汽船初のディーゼル船玖馬丸を投入して船質の改善を図った[船]玖馬丸

玖馬丸 Cuba Maru (1926)
1927(昭2)以降,北太平洋航路への転配が続く
1928.10(昭3)日本帰港の玖馬丸を最終として配船を中止
1937(昭12)政府の三国間航路奨励に伴い再開
副川崎ルーズベルト西回り世界一周航路 川崎汽船(株) 大14.3.12(1925)開設-昭2.2(1927)休止
インド東岸カルカッタ方面から北米向け積荷の見込みがついたため川崎汽船のみの配船で大正14年(1925)3月に開設.日本を起点として紅海・スエズ経由または喜望峰周りで北米大西洋岸・西インド諸島を終点またはガルフ諸港を経て日本に帰港した.荷動きの減少に伴い漸次転配され定期配船が困難となったため昭和2年(1927)2月末日本帰港の丁抹丸を最終として配船を休止した.
1925.3.12(大14)第1船丁抹丸神戸出航[港]日本/ジャワ(瓜哇)/カルカッタ(甲谷陀)/ラングーン(蘭貢)/紅海・スエズ(蘇士)経由または喜望峰周り/北米大西洋岸・西インド諸島(ガルフ諸港)日本帰港[航]1ヶ月半1回[船]丁抹丸,諾威丸,白耳義丸,蘇格蘭丸,伊太利丸,びくとりあ丸

諾威丸 Norway Maru (1920)
東洋/欧州経由西廻り世界一周航路 東洋汽船(株) 大10(1921)配船-昭和初期
ジャワを起点とした世界一周航路.朝洋丸型9隻を配船した.
1921.5.2(大10)徳洋丸,ポートランド出航後積荷の発火による火災で沈没.後に日本油槽船(株)社長となった松田通世は当時2等運転士で4時間漂流後米国軍用船に救助された[船]香洋丸,朝洋丸,明洋丸,徳洋丸,麗洋丸,福洋丸,巴洋丸,美洋丸,旺洋丸

徳洋丸 Tokuyo Maru (1920) 1921.5.2 火災のため左舷に傾いた様子
1921(大10)下期,ウラジオストック・大連/北欧で食糧品,米国大西洋諸港/東洋で貨物が好調のため東洋/欧州経由西廻り世界一周航路に貨物船を配船[船]明洋丸,福洋丸,香洋丸,旺洋丸他

香洋丸 Koyo Maru (1919) S.Kizu
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