鉄道連絡航路 - 明治後期 戻る

靑森/凾館航路 鐵道省 明41.3.7(1908)開設大正期昭和初期-太平洋戦争-戦後占領期-海運再建期-海運集約期
靑森港と凾館港間の定期航路は従来,日本郵船が明治18年(1885)10月に命令航路として開設していたが明治37年(1904)10月に北海道鐵道の凾館・小樽間が開通し翌年日本鐵道の奥羽線の靑森・福島間が開通すると日本鐵道は靑森・凾館間の連絡航路の開設を計画した.同社は日本郵船と旅客貨物輸送に関する協議を行ったうえで2隻の渡船の新造を計画し英国での建造を決定した.
明治39年(1906)3月に鉄道国有法の公布により翌明治40年 (1907)に鐵道庁が設置されると建造中の両船は同庁に移管されて竣工し,第1船比羅夫丸は明治41年(1908)3月7日,第2船田村丸は同4月4日から就航した.明治43年(1910)2月に日本郵船の靑森・凾館線が廃止された後も輸送量は増加し続けたため鐵道院ではうめが香丸等の用船を暫時就航させた.
1908.3.7(明41)比羅夫丸,青森出航.靑森/凾館航路に就航

比羅夫丸 Hirafu Maru (1908)
1908.4.4(明41)田村丸就航

田村丸 Tamura Maru (1908)
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