南洋航路 - 昭和初期 戻る

日本郵船

南洋東廻り線 大6.12(1917)開設−大9.1(1920)東廻線と西廻線に分割−昭和初期
昭和期に入り南洋東廻り線は生駒丸、近江丸、パラオ丸、横濱丸を配船。寄港地は往航神戸/門司/横浜/サイパン/テニアン/トラック/ポナペ/クサイ/ヤルート。復航ヤルート/クサイ/ポナペ/トラック/テニアン/サイパン/横浜/大阪/神戸。航海度数は南米3線平均で5日に1回のサービスであった。

生駒丸
生駒丸 Ikoma Maru (1925)

近江丸
近江丸 Omi Maru (1912)

横濱丸
横濱丸 Yokohama Maru (1912)
南洋西廻り線 大6.12(1917)開設−大9.1(1920)東廻線と西廻線に分割−昭和初期
昭和期に入り南洋西廻り線は泰安丸、サイパン丸、山城丸、笠置丸を配船。昭和3年(1928)に起点が神戸に変更され寄港地は往航神戸/門司/横浜/サイパン/テニアン/ロタ/ヤップ/パラオ/アンガウル/メナド/ダバオ/タワオ、復航タワオ/メナド/ダバオ/アンガウル/パラオ/ヤップ/ロタ/テニアン/サイパン/横浜/大阪/神戸。航海度数は東回り線と同様。

パラオ丸
パラオ丸 Palao Maru (1934)

サイパン丸
サイパン丸 Saipan Maru (1936)

大阪商船

南洋線 大5.4(1916)開設−大8.3(1919)南洋線甲線−昭3(1928)基隆瓜哇線
昭10.7(1935)南洋海運へ譲渡
昭和2年(1927)2月以降、すらばや丸、ばたびや丸の2隻で毎月1航海のサービスとした。昭和3年(1928)下半期以降、基隆瓜哇線と改称し、昭和5年(1930)末より復航厦門寄港を開始して門司を隔月寄港地とした。昭和6年(1931)7月には使用船をぱなま丸、かなだ丸に変更し、同年3月以降は厦門/マニラの寄港を廃止。昭和9年(1934)3月以降、採炭のため復航三池に寄港した。

かなだ丸
かなだ丸 Canada Maru (1911)

スラバヤ港
比律賓線 昭3.10.26(1928)開設−昭16.8(1941)休止
昭和3年10月26日開設。湖南丸、湖北丸2隻により3週1回の定期サービスとした。寄港地は往航が横浜/名古屋/大阪/門司/マニラ/イロイロ/セブ/ダバオ、復航がサンボアンガ/基隆。7年4月台湾総督府命令航路となり往航基隆、高雄、復航ザンボアンガ、高雄を寄港地に加えた。5年11月江蘇丸を増配して3隻で毎月2回のサービスとしたが、6年すらばや丸、がんぢす丸、ばたびや丸に変更し、同年9月よりしかご丸、めきしこ丸、すらばや丸、ばたびや丸に入れ替えた。当航路は15年4月朝鮮総督府の命令により釜山寄港とし昭和16年度より逓信省命令航路となった。16年8月以降休航

湖南丸
湖南丸 Konan Maru (1915)
西貢盤谷急航線 大15.9(1926)開設昭12.9(1937)西貢盤谷線急航線−昭17.5(1942)休止
準備中

盤谷丸
盤谷丸 Bangkok Maru (1937)
比律賓急航線 昭14.4(1939)開設−昭15.7(1940)休止
準備中
日本海防線 昭15.8(1940)開設−昭17.4(1942)西貢線と改称
準備中

石原産業海運

瓜哇航路 昭6.3(1931)開設−昭10.7(1935)南洋海運へ継承
石原産業海運の前身合資会社南洋鉱業公司は石原廣一郎、田所久吾、東久米次の3名が発見したマレー半島ジョホール王国バトパハ州スリメダン鉄山を開発し製鉄原鉱を輸送する目的で大正9年(1920)、資本金10万円で大阪に設立された。まもなく鉄鉱石の自家輸送を目的として金泉丸、銀泉丸、馬來丸を購入し海運業を開始した。 昭和4年(1929)8月、商号を石原産業海運合資会社と改称。昭和6年(1931)3月には日本主要港と蘭印/瓜哇(ジャバ)間に月1回〜2回の定期航路を開設した。昭和7年(1932)頃の定期航路寄港地は横濱/名古屋/大阪/神戸/門司/若松/マカッサ/スラバヤ/サマラン/チェリボン/バタビヤ/シンガポール/バトパハ。当航路は昭和10年(1935)7月に南洋海運の設立に伴って就航船とともに継承された。

名古屋丸
名古屋丸 Nagoya Maru (1932)

浄寶縷丸
浄寶縷丸 Johore Maru (1932)
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