關釜連絡航路 - 大正期 戻る

關釜連絡航路 鐵道省 明38.9.11(1905)開設−明40(1907)国有化−大正期昭和初期−昭20.6.20(1945)廃止
大正期に入り關釜航路は旅客、貨物の逐年激増する需要に対応するために2隻の新造船が建造され、高麗丸と新羅丸がそれぞれ大正2年(1913)1月と4月に就航した。大正2年(1913)10月1日に關釜連絡船、朝鮮鐵道、南満洲鐵道経由で日中連絡運輸が開始されると旅客は日々増加し、またこの航路はアジア・ヨーロッパ両大陸へ通じる重要航路であるので輸送の改善が強く要望されたため大正9年(1920)、さらに旅客輸送を主体とした純旅客船3隻が計画された。第1船景福丸は大正11年(1922)、第2船徳壽丸と第3船昌慶丸は翌大正12年(1923)年に完工し、本型の就航により下関/釜山間は8時間に短縮された。
新羅丸 Shiragi Maru
新羅丸 Shiragi Maru (1913)
徳壽丸 Tokuju Maru
徳壽丸 Tokuju Maru (1922)
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