阿弗利加航路 - 大正期 戻る

南阿向け臨時配船 大阪商船(株) 大6(1917)臨時配船
第1次世界大戦後わが国は飛躍的に海外へ航権を伸張したがアフリカ東西岸には定期航路がまだ存在しなかった.大阪商船では南米線開設後,貨物船客の増加に対処するため南ア諸港へ都度臨時に寄港させた.この時期に川崎造船所の大福丸型ストックボート3隻を購入し,そのうちの第十五大福丸を12月に購入後せれべす丸と改名して臨時配船した.
1917(大6)臨時船を配船[船]せれべす丸,南京丸

せれべす丸 Celebes Maru (1917)
阿弗利加東岸線 大阪商船(株) 大15.3(1926)開設昭和初期戦後占領期-海運再建期-海運集約期
ボンベイまたはアデンを経由して東アフリカに輸出される日本品の増加に伴い貿易業者からの直通航路開設要望があり,大正15年(1926)3月かなだ丸を試航船として開設.当航路往航東洋各港と東南アフリカ各港との間には日本郵船,バンク・ライン(Bank Line),アンドリウエアー(バンク・ライン系 Andrew Weir & Co.),ブラード・キング(ロイヤル・メール系 Bullard,King & Co.),BI(British India Steam Navigation Co.),KPM(Koninklijke Paketvaat Maatshappij),NDL(Norddeuscher Lloyd)等があって競争関係にあった.日本対東南アフリカ貿易は次第に活発となり,また川崎汽船,國際汽船も割り込みを策していたが昭和9年(1934)2月以降両社の配船を翼下の扱い船とし社船とともにその船腹を活用することにした.
1926.4(大15)逓信省命令航路.[港]往航:神戸/門司/香港/シンガポール/コロンボ/キリンヂニー(モンバサ)/ザンジバル/ダレサラム/ベイラ/デラゴアベイ/ダーバン 復航:ダーバン/キリンヂニー(モンバサ)/シンガポール/門司[航]月1回以上(年間12回以上)[船]しかご丸,ぱなま丸,かなだ丸,めきしこ丸[命]1926.4(大15)~1929.3(昭4)[補]400,000円/年

かなだ丸 Canada Maru (1911) スラバヤ港
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