- 昭和6年(1931)4月の郵商協調により日本郵船は南米東岸線より撤退することとなり大阪商船は阿弗利加東岸線をケープタウン経由南米に延航した.
1931.4.6 | (昭6) | 郵商協調の結果日本郵船は南米東岸線より撤退 | 1931.8.25 | (昭6) | 阿弗利加東岸線を南米迄延航.第1船まにら丸就航[港]{往航}横浜/名古屋/大阪/神戸/門司/香港/シンガポール/コロンボ/モンバサ/ザンジバル/ダルエスサラーム/ベイラ/ロレンソマルケス/ダーバン/ポートエリザベス/ケープタウン/リオデジャネイロ/サントス/ブエノスアイレス{復航}ブエノスアイレス/サントス/リオデジャネイロ/ケープタウン/モッセルベイ/ポートエリザベス/イーストロンドン/ダーバン/ロレンソマルケス/モンバサ/ザンジバル/シンガポール/門司/神戸/大阪/名古屋/横浜[航]1ヶ月1回[船]まにら丸,はわい丸,ありぞな丸,あふりか丸,あらびあ丸 | 1940.7.17 | (昭15) | 新造貨客船報國丸就航,神戸出航[船]報國丸,ぶりすべん丸,ろんどん丸,關東丸(用) | 1941.11 | (昭16) | パナマ運河通行禁止のためマゼラン海峡経由で帰航したまにら丸の日本着をもって休航 |
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