阿弗利加航路 - 昭和初期 戻る

大阪商船

阿弗利加東岸線 大15.3(1926)開設昭16.7(1941)休止−戦後占領期−海運再建期−海運集約期
あらすか丸を南アフリカ経由ラゴス、アクラ、ダカールに試航して新航路を開設。従来、日本より同地向け輸出品は欧州各港積み替えかニューヨーク接続によるかの2経路であったが欧州/西アフリカ間はエルダーデンプスターライン(Elder Dempster Line)、ウオルマンライン(Woermann Line)、ドイチエオストアフリカライン(Deutsche Ost-Afrika Line)、ハンブルクブレーメン アフリカライン(Hamburg-Bremen-Afrika Line)等の船社が活躍し、ニューヨーク西アフリカ間はアメリカンウエストアフリカライン(American West African Line)、エルダーデンプスターラインが定期航路を経営していた。
また西アフリカ輸出入貿易のほとんど全部を欧州商社特に英国系UAC(United Africa Co.)、仏国計CFA(Compagnie Francais de L'Afrique Occidental)等の大商社が掌握、自家用船を運営していたのでこれら商社と提携しない限りは集荷の実効は皆無に近かった。昭和12年(1937)4月逓信省命令航路となり、以後あとらす丸、春光丸、あらすか丸を使用して年6航海の定期とした。15年(1940)7月南阿丸をもって休航。

あらすか丸
あらすか丸 Alaska Maru (1919)

春光丸
春光丸 Shunko Maru (1919)

S.Kizu

報國丸
報國丸 Hokoku Maru (1940)

川崎汽船

アフリカ航路 昭9.2(1934)開設−昭15.7(1940)休航−昭29.10.24(1954)日本/南西阿航路海運集約期
当初國際汽船と共営で計画されたが同航路を独占していた大阪商船との協定が成立し昭和9年(1934)2月18日横濱出航のいんであ丸を第1船として開始。主な就航船は他に和蘭丸、ていむす丸、伊太利丸。
寄港地は横濱/名古屋/大阪/神戸/門司/三池/シンガポール/モンバサ/ザンジバル/ダルエスサラーム/ベイラ/ロレンソマルケス/ダーバン/イーストロンドン/ポートエリザベス/ケープタウンで大阪商船が委託運航し年間12航海(川崎、國際)とした。第2次世界大戦勃発後、昭和15年(1940)7月に和蘭丸を最終船として休航。

いんであ丸
いんであ丸 India Maru (1920)

伊太利丸
伊太利丸 Italy Maru (1919)
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