近海航路 - 明治前期 戻る

三菱商会

横濱上海航路 明8.2.3(1875)開設明18.9(1885)日本郵船へ継承
政府は明治7年(1874)の征台の役のときに輸入した汽船13隻を三菱商会(名義は三菱蒸気船会社)に委託すると同時にパシフィック・メイル社(Pacific Mail Steamship Co.)(*1)に対抗する目的で翌明治8年(1875)1月18日、上海航路の開始を命じた。三菱商会は東京丸、新潟丸、金川丸、高砂丸の4隻で横濱/上海間、週1回のわが国初の海外定期航路を開設した。同年10月16日にパシフィック・メイル社の横濱/上海線を買収。
参考:
(*1)PM社または太平洋郵船会社と史書に掲載されることがある。
長崎釜山線 明8(1875)開設
準備中
香港線 明12.10.4(1879)開設
郵便汽船三菱会社が開設。
浦鹽斯徳線 明14.2.28(1881)開設−明18.9(1885)日本郵船へ継承
郵便汽船三菱会社が開設。

日本郵船

横濱上海線 明18.9(1885)郵便汽船三菱より継承明治後期大正期−昭14.8(1939)東亞海運へ出資
明治18年(1885)9月郵便汽船三菱会社より継承。日本郵船発足時は名護屋丸、廣島丸、横濱丸、薩摩丸の4隻で運航。明治18年(1885)10月1日第1船名護屋丸が横濱を出航。明治19年(1886)10月以降は東京丸(*1)、横濱丸、薩摩丸の3隻で週1回横濱、上海両港を出航、寄港地は横濱/神戸/下関/長崎/上海。横濱でパシフィック・メイル社及びO&O社(Occidental & Oriental S.N.Co.)の太平洋航路船舶に連絡した。西京丸型が就航後は東京丸と薩摩丸を転配した。

薩摩丸
薩摩丸 Satsuma Maru (1884)
参考:
(*1)郵便汽船三菱会社には政府輸入船と新造輸入船の2隻の東京丸あり、この航路に就航したのは後者である。
長崎浦鹽斯徳線 明18.9(1885)郵便汽船三菱より継承−明22(1889)神戸浦鹽斯徳線と改称−明治後期
明治18年(1885)9月郵便汽船三菱会社より継承、同年10月に逓信省命令航路として開設。汽船1隻により3週1回両港発航の定期サービスとした。寄港地は釜山/元山/ポセット(臨時)、長崎で横濱上海線及び長崎天津線に連絡した。明治22年(1889)の春から神戸まで延長、4週1回の定期サービスとした。
長崎仁川線 明18(1885)開設−神戸仁川線
政府の命令航路として開設。後に神戸まで延長、神戸仁川線となる。汽船1隻により3週1回両港発航の定期サービスとした。寄港地は神戸/下関/長崎/五島/對馬/釜山/仁川。長崎で横濱上海線に連絡した。
長崎天津線 明19年.2(1886)開設−神戸天津線−明治後期−大12.4.1(1923)近海郵船に譲渡−昭和初期
政府の命令航路として開設。後に神戸まで延長、神戸天津線となる。汽船2隻により4週2回両港発航の定期サービスとした。うち1隻は明治24年(1891)3月、神戸牛荘線開設に伴い、同線に転配した。長崎で横濱上海線及び長崎浦鹽斯徳線に連絡した。
上海浦鹽斯徳線 明22.9(1889)開設
明治22年(1889)4月5日上海出航の肥後丸を第1船として開始。4週1回の定期サービスとした(浦鹽結氷中は休航)。寄港地は往復、上海/芝罘/仁川/釜山/元山津/浦鹽。明治23年(1890)以降は往航、上海/芝罘/仁川/長崎/釜山/元山津/浦鹽、復航が浦鹽/元山津/釜山/長崎/上海。
神戸マニラ線 明23.12(1890)開設
明治23年(1890)12月、神戸マニラ間に臨時船を配船したのを機として、翌明治24年(1891)夏より尾張丸1隻で毎月1回の定期サービスを開始。寄港地は神戸/長崎/福州/厦門/マニラ。
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