印度航路 - 昭和初期 戻る

大阪商船

神戸孟買線 大2.1(1913)開設−大4.1(1915)四日市孟買線と改称−大7(1918)上期横濱孟買線と改称−大10.2(1921)孟買線と改称−
昭16.7(1941)休航
昭和8年(1933)末の使用船は6隻で毎月2航海のサービスとした。 昭和6年(1931)わが国の金輸出再禁止による円価低落の結果ペルシア湾方面への日本品の輸出が増加した。昭和9年(1934)8月山下汽船がペルシア湾線を開始したので同盟各社(商船,郵船,P&O)は交互に月1隻の配船を実施。昭和16年(1941)7月以降,休航。
1933(昭8)【寄】往航が横浜/名古屋/四日市/大阪/神戸/門司/崎戸/香港/シンガポール/ペナン/コロンボ/ボンベイ/カラチ、復航がカラチ/ボンベイ/シンガポール/香港/上海/門司/神戸/大阪/四日市/名古屋/横浜【航】月2回【船】あとらす丸、ろんどん丸、春光丸、あるぐん丸、せれべす丸、はばな丸
1935.3(昭10)【寄】ペルシア湾/ブシール/モハメラ/バスラ【船】あらすか丸

あらすか丸
あらすか丸 Alaska Maru (1919)
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