朝鮮航路 - 大正期 戻る

朝鮮航路・大阪元山線 大阪商船(株) 明35.9.20(1902)開設−明39.4(1906)大阪浦鹽線−明39.9(1906)大阪城津線−
明40.2(1907)大阪元山線明43.4.1(1910)大阪北韓線明44.9.1(1911)大阪清津線大7.6(1918)大阪北鮮線大9(1920)大阪清津線
昭8.5.10(1933)大阪北鮮線昭16.7(1941)休航
大正4年(1915)7月、使用船を神宮丸、地久丸、城津丸の3隻とし、うち2隻は清津から浦鹽まで延航。翌年7月には再び安平丸、宮島丸の2隻に減じた。浦鹽延航は大正6年(1917)上半期に廃止。大正7年(1918)6月、大阪北鮮線と改称、大正9年(1920)5月には西湖津、新浦の寄港を廃止し同年下半期には再び大阪清津線と改称。大正10年(1921)9月15日から雄基へ延航。
馬山丸 Masan Maru
馬山丸 Masan Maru (1906)
朝鮮航路・大阪安東縣線 大阪商船(株) 明38.8.14(1905)開設大7.6(1918)大阪南鮮線−大11.1116(1922)大阪安東線−
昭7.7.2(1932)大阪安東縣線
大正7年(1918)6月大阪仁川線と合併して大阪南鮮線と改称したが終点は安東縣であった。11年(1922)11月大阪南鮮線を分割して再び大阪安東線を開設。
1917.4(大6)[航]1ヶ月4回[船]潮州丸、福州丸
1918.6(大7)大阪仁川線と合併して大阪南鮮線と改称(終点は安東縣)
1922.11.16(大11)大阪南鮮線を分割して再び大阪安東線を開設[港]神戸/門司/釜山/木浦/群山/仁川/鎮南浦[航]1ヶ月6回[船]先島丸、千山丸、順丸
福州丸 Fukushu Maru
福州丸 Fukushu Maru (1904)
朝鮮航路・朝鮮経由長崎大連線 大阪商船(株) 明38.5(1905)開設大7.3.3(1918)廃航
大正5年(1916)7月より信濃川丸が毎月2航海したが、航海補助金廃止の結果、大正7年(1918)3月11日、長崎発航の安東丸を最終船として廃航。
信濃川丸 Shinanogawa Maru
信濃川丸 Shinanogawa Maru (1891)
朝鮮航路・大阪馬山線 大阪商船(株) 明治後期大13.12.8(1924)再開昭7.7.1(1932)大阪釜山馬山線−昭12.4(1937)廃止
明治40年(1907)6月に廃航となったが大正期に再開された。
朝鮮航路・九州鮮満線 大阪商船(株) 大14.4.17(1925)開設−昭6.3.11(1931)朝鮮郵船へ譲渡
大正14年(1925)4月開設。就航船は大智丸で毎月1航海。寄港地は長崎/釜山/木浦/群山/仁川/鎮南浦/大連。復航は安東縣・鹿児島・三角・若津に寄港。同年9月以降は若津・水俣・馬山・新義州を臨時寄港地とし安東縣寄港を廃止。大正15年(1926)7月18日、甲乙2便とし大智丸1隻で毎月1航海半のサービスとし寄港地は甲便が仁川/大連/鎮南浦/仁川/群山/木浦/釜山/長崎/鹿児島/三角/長崎、乙便は仁川/鎮南浦/大連/仁川/長崎/鹿児島/三角/長崎/釜山/木浦/群山。
大智丸 Daichi Maru
大智丸 Daichi Maru (1905)
朝鮮航路・京浜朝鮮線 大阪商船(株) 大15.5.14(1926)開設−昭7.7(1932)東京西鮮線−昭8.8(1933)廃航
京浜、西鮮間の荷主の要望に応えて大正15年(1926)5月、京浜朝鮮線を開設、使用船3隻で月間約3航海のサービスとした。寄港地は東京/横濱/名古屋/大阪/神戸/門司/釜山/木浦/群山/仁川/鎮南浦/安東縣/馬山/清水。同年11月14日、鎮南浦止めとして安東縣へ臨時延航した。
朝鮮航路・馬山群山経過大阪仁川線 大阪商船(株) 明34.4.19(1901)開設−明37.2.5(1904)大阪群山線−明39.6(1906)大阪仁川線
大正期
1917(大6)上半期に減便し仁川延航を中止し群山を最終港とした[航]1ヶ月6回[船]汽船2隻
1918.6(大7)大阪安東縣線を合併して大阪南鮮線を開設
朝鮮航路・大阪南鮮線 大阪商船(株) 大7.6(1918)開設−大11.11.16(1922)大阪仁川線(大阪安東縣線とに分割)−昭和初期
大阪群山線と大阪安東縣線を合併して新たに開設。
1918.6(大7)開設[港]大阪/神戸/門司/木浦/群山/仁川/鎮南浦/安東縣[航]1ヶ月10回[船]汽船4隻
1919.4(大8)増便[航]1ヶ月13回[船]安東丸、信濃川丸、箱崎丸、薩摩丸、海和丸
1922.11.16(大11)大阪仁川線と大阪安東縣線に分割、再度大阪仁川線として開始[港]大阪/神戸/門司/釜山/木浦/群山(随時横濱、坂出、尾道寄港)/仁川[航]1ヶ月6回[船]汽船3隻
1926.8(大15)[港]釜山寄港を廃止
安東丸 Anto Maru
安東丸 Anto Maru (1904)
南鮮航路・南鮮内廻線 朝鮮郵船(株) 明45(1912)開設大9(1920)内廻線と外廻線を統一−大14(1925)朝鮮汽船に移行
南鮮内廻線は釜山/麗水間と木浦/麗水間、および南鮮外廻線・釜山/木浦で開始されたが大正9年(1920)には両線が統一された。大正14年(1925)の朝鮮汽船への移行まで14ヵ年に渡り朝鮮沿岸一帯の交通に便じた。寄港地は朝鮮で人口密度がもっとも周密な慶尚南道・全羅南道の両道にまたがり荷客の往来はすこぶる多く、社外群小発動機船による不断激烈な荷客の争奪が演ぜられたという。
北鮮航路・元山/清津線 朝鮮郵船(株) 大11(1922)開設−昭和初期
大正11年(1922)に元山/清津線を朝鮮総督府から受命。咸鏡鉄道本線開通に至る昭和3年(1928)8月まで鉄道連絡船として咸北間島と京釜/京義/京元各線との連絡にのため当初は咸鏡丸、平壤丸の2隻でサービスを開始した。
咸鏡丸 Kankyo Maru
咸鏡丸 Kankyo Maru (1908)
仁川青島線 朝鮮郵船(株) 大正期−昭和初期−太平洋戦争
1917(大6)[港]仁川/大連/芝罘/青島[航]10日1回[船]江原丸
1922.2(大11)[港]大連/往航:(芝罘) 復航:(青島)/仁川[船]江原丸
江原丸 Kwogen Maru
江原丸 Kwogen Maru (1869)
阪神/南鮮航路 川崎汽船(株) 大13.4.29(1924)開設−昭7(1932)西鮮航路と改称
大正13年(1924)以降、移入が増加した朝鮮米の積取りのため同年4月29日開設。主要積荷の朝鮮米の出回り期の11月から4月は月8回、その他閑散期には月3回の配船を行った。往航は綿製品、肥料、金物等を積み取った。
1924.4.29(大13)神戸港出航の三福丸を第1船として開設[港]阪神/木浦/群山/仁川/鎮南浦[船]三福丸、糸崎丸、鹿山丸、祝丸等
第三祝丸 Iwai Maru No.3
第三祝丸 Iwai Maru No.3 (1912)
阪神/北鮮航路 川崎汽船(株) 大13.11.25(1924)開設−昭12.6(1937)以降休止
阪神/南鮮航路開設後に北鮮方面に進出のため開設。阪神から元山/雄基諸港に寄港して折り返しとして阪神/南鮮航路の就航船を適宜併用した。冬季は月3回、夏季には月1回の配船を実施した。
鹿山丸 Rokusan Maru
鹿山丸 Rokusan Maru (1918)
朝鮮線 (名)尼崎汽船部 大正期−昭和初期−太平洋戦争
一週2回大阪発。寄港地は神戸/関門/釜山/木浦/群山/仁川。
伏見丸 Fushimi Maru
伏見丸 Fushimi Maru (1864)
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