臺灣航路 - 大正期 戻る

神戸基隆線 大阪商船(株) 明30.4.1(1897)開設大正期昭17.5(1942)船舶運営会に移管
大阪商船は明治42年(1909)2月義勇艦さくら丸の運航委託を受けたので、当航路へ配船したが翌年、笠戸丸に切り替え、44年(1911)には亞米利加丸を加えた。大正3年(1914)香港丸の就航により3隻で月間6航海の定期とした。その後13年(1924)には蓬莱丸、扶桑丸が就航した。
蓬莱丸 Horai Maru
蓬莱丸 Horai Maru (1912)
扶桑丸 Fuso Maru
扶桑丸 Fuso Maru (1908)

S.Kizu
臺灣東廻沿岸線 大阪商船(株) 明30.4.1(1897)開設−明37.4.1(1904)臺灣東沿岸線−明38.4.1(1905)臺灣東廻沿岸線−
明39.4.(1906)臺灣東沿岸線明40.4.1(1907)臺灣東廻沿岸線大3.9.1(1914)臺灣沿岸線東線昭7.4.1(1932)臺灣東沿岸線
昭9.4(1934)臺灣沿岸東線昭16.3(1941)南日本汽船へ譲渡
大正3年(1914)9月1日臺灣周航を廃止して臺灣沿岸線東線と改称、長春丸と撫順丸の2隻で月6航海のサービスとした。寄港地は基隆・打狗を発航して蘇澳/花連港/卑南/大板埒。大正11年(1922)4月には大板埒寄港を廃止して海口に寄港し、尚火焼島・紅頭嶼・新港に月2回寄港した。
長春丸 Choshun Maru
長春丸 Choshun Maru (1908)
神戸基隆線 近海郵船(株) 明29.9(1896)開設大12.4.1(1923)近海郵船に譲渡昭和初期
臺灣総督府命令航路を日本郵船から継承。大正5年当時の神戸基隆線には備後丸、信濃丸、因幡丸の6,000総トン級の貨客船3隻が就航していたが、移籍後に旅客の漸増に対応するため就航船腹の改善が図られた。
備後丸 Bingo Maru
備後丸 Bingo Maru (1897)
横濱打狗線 日本郵船(株) 明38.10(1905)開設大9.4(1920)横濱高雄線と改称−大12.4.1(1923)近海郵船に譲渡−
昭14.5.6(1939)日本郵船に吸収合併
1917.3.6(大6)[港]往航:横濱/大阪/神戸/門司/基隆/安平/打狗  復航:打狗/基隆/門司/神戸/大阪/名古屋/横濱[船]汐首丸、松山丸、三池丸、小倉丸、(濟州丸)
横濱高雄線 近海郵船(株) 明38.10(1905)開設大9.4(1920)横濱高雄線と改称−大12.4.1(1923)近海郵船に譲渡−
昭14.5.6(1939)日本郵船に吸収合併
大正14年(1925)から臺湾総督府命令航路となり、東京まで延航。
基隆花蓮港線 近海郵船(株) 大2.1(1913)開設−大3.81(1914)中止
私設航路として開設。汽船1隻により月4回の定期サービスとしたが時局のため翌年中止。
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