- 日本郵船は早くから桑港(サンフランシスコ)線に着眼していたが当時はパシフィック・メイル社(Pacific Mail Steamship Co.)やO&O社(Occidental & Oriental S.N.Co.)が優位を占めていたためグレート・ノーザン鉄道会社(Great Northern Railway Co.)の提携申し入れを受けてまずシアトル航路を開設した.日本ニューヨーク間の日数は桑港経由による大陸横断鉄道利用よりもシアトル経由のほうが1日余り短縮される利点もあった.本航路は復航の東洋向け綿花・麦粉類は多く臨時船を配船することもあったが往航貨物は少なく各社の集荷争いにより運賃暴落したため運賃同盟が結成されるに至った.
明治45年(1912)には就航中の因幡丸と丹波丸が補助船の資格を失うため明治43年(1910)に代船として計画されたのは荷客の動きとパナマ運河開通後を考慮して6200総トン級の純貨物船2隻であった.しかし明治44年(1911)11月に従来と同様な貨客船に設計変更がなされて横濱丸と静岡丸が明治45年(1912)5月以降に順次竣工した.
1896.8.1 | (明29) | 第1船三池丸横濱出航[港]香港/下関/神戸/横濱/ホノルル(臨時)/シアトル(沙市)[航]月1回両港発[船]三池丸,山口丸[往荷]生糸,製茶,花莚,雑貨 | 1897.10 | (明30) | [航]4週1回[船]旅順丸,鹿兒島丸,鎌倉丸,天津丸,松山丸,山口丸 | 1898.10 | (明31) | [港]横濱/シアトル(所要日数16日)[航]4週1回[船]旅順丸,金州丸,山口丸,和泉丸 | 1899.10 | (明32) | [航]4週1回[船]金州丸,和泉丸,旅順丸,土佐丸 | 1900.4 | (明33) | 香港支那太平洋運賃同盟結成[航]4週1回[船]金州丸,和泉丸,旅順丸,土佐丸,鎌倉丸 | 1901.5 | (明34) | 命令航路の補助として私設航路開設.シアトルでグレート・ノーザン鉄道に接続[港]香港/シアトル[航]4週1回 | | | 往復上海寄港開始[港]香港/上海/下関/神戸/横濱/ホノルル(臨時)/シアトル[航]2週1回[船]金州丸,和泉丸,旅順丸,土佐丸,鎌倉丸 | 1901.6.22 | (明34) | 新造船加賀丸就航[港]香港/シアトル[航]2週1回[船]加賀丸,鎌倉丸(以上特定助成命令船)和泉丸,金州丸,旅順丸,土佐丸(以上自由船) | 1901.6 | (明34) | 旅順丸に初めて日本人船長乗船 | 1901.11.2 | (明34) | 鎌倉丸欧州航路へ転配し信濃丸就航[船]和泉丸,金州丸,旅順丸,土佐丸,加賀丸,信濃丸 | 1901.11.16 | (明34) | 伊豫丸竣工[船]加賀丸,伊豫丸,信濃丸(以上特定助成命令船)金州丸,旅順丸,土佐丸(以上自由船) | 1902.5 | (明35) | [港]香港/上海/門司/神戸/横濱/ビクトリア/シアトル[航]週1回[船]加賀丸,伊豫丸,信濃丸,土佐丸,金州丸,旅順丸 | 1903 | (明36) | 新造船安藝丸就航[船]加賀丸,伊豫丸,安藝丸,土佐丸,信濃丸,旅順丸,金州丸 | 1904.2 | (明37) | 日露戦争勃発後休航 | 1904.6 | (明37) | 起点を香港から日本国内に変更.神戸シアトル間1隻就航 | | | 日露戦争により欧州航路から神奈川丸を転配[船]伊豫丸,神奈川丸,信濃丸 | 1905.4 | (明38) | 2隻就航 | (1892) 日露戦争で徴用中の土佐丸 1905.7.7 コルサコフ | | 1906.3 | (明39) | 香港/シアトル間定期航路再開.シアトルで北太平洋鉄道に接続.新造船丹後丸就航(竣工直後は日露戦役により徴用)[航]4週1回[船]加賀丸,伊豫丸,安藝丸,丹後丸,神奈川丸,信濃丸,旅順丸,土佐丸 | 1907.9 | (明40) | [港]加賀丸,伊豫丸,安藝丸,丹後丸,信濃丸,旅順丸,土佐丸[船]錫蘭丸,藻寄丸 | 1909.9 | (明42) | [船]丹後丸,安藝丸,加賀丸,伊豫丸,信濃丸,土佐丸,錫蘭丸 | 1910.1.1 | (明43) | 遠洋航路補助法の補助受命 | 1910.9 | (明43) | 加賀丸は期間内に欧州航路へ転配[船]安藝丸,加賀丸,信濃丸,鎌倉丸,佐渡丸,阿波丸,因幡丸,丹波丸 | 1912.5.14 | (明45) | 新造船横濱丸竣工[船]横濱丸 |
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