北米航路 - 昭和初期 戻る

太平洋航路・桑港線 日本郵船(株) 大15(1926)東洋汽船より継承昭16.7.18(1941)休航
大正15年(1926)2月16日の第二東洋汽船との合併により東洋汽船から継承した桑港(サンフランシスコ)線は香港/桑港間2週1回の定期サービスを実施.東洋汽船が資金難により実現できずに終わった船質改善のため淺間丸以下の大型ディーゼル貨客船3隻の建造を計画した.
1929.4.1(昭4)逓信省命令航路.昭和4年からロサンゼルスが命令航路の起終点となる[港]香港/上海/神戸/清水(往航)/横濱/ホノルル/桑港/ロサンゼルス[航]2週1回[船]天洋丸,春洋丸,大洋丸
1929.9.15(昭4)淺間丸竣工[船]淺間丸,天洋丸,春洋丸,大洋丸

淺間丸 Asama Maru (1929)

大洋丸 Taiyo Maru (1911)
1930.3.10(昭5)秩父丸竣工[船]淺間丸,秩父丸,天洋丸,春洋丸,大洋丸

秩父丸 Titibu Maru (1930)
1930.5.15(昭5)龍田丸竣工[船]淺間丸,秩父丸,龍田丸,天洋丸,春洋丸,大洋丸
1930.6(昭5)天洋丸を係船[船]淺間丸,龍田丸,秩父丸,春洋丸,大洋丸
1932.11(昭7)春洋丸を係船[船]淺間丸,龍田丸,秩父丸,大洋丸
1936(昭11)[航]2週1回[船]淺間丸,龍田丸,秩父丸,大洋丸
1937.9.2(昭12)淺間丸,香港で台風のためサイワン・ベイの北西岸に擱座,修理
1938.9.15(昭13)淺間丸,桑港線に復帰
1939.1.14(昭14)秩父丸は鎌倉丸と改名[船]淺間丸,龍田丸,鎌倉丸,大洋丸
1939(昭14)[港]香港/上海/神戸/清水(往航)/横濱/ホノルル/桑港/ロサンゼルス[航]2週1回[船]淺間丸,龍田丸,秩父丸,大洋丸
1940(昭15)新田丸と八幡丸は欧州航路用に新造されたが竣工に先立ち第2次世界大戦が勃発したため新田丸は桑港線,八幡丸はシアトル線,桑港線に就航.

新田丸 Nitta Maru (1940)
1941.7.18(昭16)休航
太平洋航路・シアトル線 日本郵船(株) 明29.10.3(1896)開設大正期昭16.7.17(1941)休航昭26.10(1951)再開
昭35.10.5(1960)終航
桑港線の船質改善と同時にシアトル線も旧来の就航船にかわる新造貨客船3隻の建造を計画.遠洋航路補助法の補助命令航路を逓信省と折衝し補助金を受給.
1929(昭4)三島丸を濠州線より,さいべりや丸を桑港線より転配
1930(昭5)起点を香港から神戸に変更[船]氷川丸,日枝丸,平安丸,横濱丸,靜岡丸

氷川丸 Hikawa Maru (1930)

日枝丸 Hiye Maru (1930)
1935(昭10)[港]神戸/大阪/名古屋/清水/横浜/バンクーバー/シアトル[航]2週1回[船]氷川丸,日枝丸,平安丸
1936(昭11)[航]2週1回[船]氷川丸,日枝丸,平安丸
太平洋航路・紐育線 日本郵船(株) 大5(1916)開設紐育線−昭16.4.13(1941)休航−戦後占領期
従来わが国の生糸は米国太平洋岸から大陸横断鉄道により米国東部地方に輸送されていたがパナマ運河が開通(1914.8.15)すると運河経由による紐育直航航路が相次いで開始された.特に昭和5年(1930)6月大阪商船が紐育急航線用に新造した高速ディーゼル貨物船畿内丸型を就航させると翌6年には國際汽船,7年には川崎汽船および三井物産が紐育航路を開始した.このため日本郵船でも紐育線の船質改善を迫られ折から実施された第1次船舶改善助成施設の適用を受けて6隻の新造ディーゼル貨物船N型を建造した.「結果的にN型は性能の面では畿内丸型をなお若干下回った」(同社百年史)ものの日本郵船は本型の就航によって貨物船部門の遅れを取り戻し,欧州航路の改善と相まって同社の経営の比重は旅客船から貨物船へと移ることとなった.
1934.9.19(昭9)第1船長良丸神戸出航
1934.11.7(昭9)第2船能登丸神戸出航
1934.12.1(昭9)第3船那古丸神戸出航
1935.1.16(昭10)第4船能代丸神戸出航
1935(昭10)[港]往航:神戸/香港/基隆/上海/大沽/大連/門司/大阪/神戸/名古屋/清水/横濱/ロサンゼルス/パナマ/ニューヨーク 復航:ニューヨーク/ボストン/フィラデルフィア/バルチモア/ニューヨーク/パナマ/ロサンゼルス/横濱/大阪/神戸[航]約3週1回[船]長良丸,能登丸,那古丸,能代丸,鳴門丸,野島丸

鳴門丸 Naruto Maru (1934)
北米航路・ピューゼットサウンド線 大阪商船(株) 明42.7.3(1909)香港タコマ線大4.9(1915)タコマ線−大7.6.1(1918)北米線−
大9.2.17(1920)ピューゼットサウンド線昭6.7(1931)廃止
本航路は昭和6年(1931)の郵商協調の結果廃止となった.
1927.1(昭2)大阪臨時寄港開始.就航船6隻中2隻のビクトリア,門司帰港中止し復航バンクーバー,大連に寄港
1927.5(昭2)ろんどん丸を第1船としてバンクーバー先航開始,生糸をカナダ太平洋鉄道(Canadian Pacific Railway)に連絡[船]ろんどん丸[往荷]生糸
1928.10(昭3)以降,復航大阪定期寄港開始
1928(昭3)ろんどん丸積バンクーバー向け生糸をカナディアン・ナショナル鉄道(Canadian National Railway)に接続,同時に同社とバンクーバー経由モントリオール,ハリファックス行き東洋積貨物の連絡輸送契約締結[船]ろんどん丸[往荷]生糸
1930.3.6(昭5)あらばま丸は千葉県犬吠崎沖で座礁沈没[船]あらばま丸
1930.6(昭5)以降,あらばま丸喪失によりまにら丸就航[船]まにら丸
1930.8(昭5)以降,あらばま丸喪失によりはわい丸就航[船]はわい丸
1930.10(昭5)ろんどん丸転配
1930(昭5)上半期よりバンクーバー,大連,大沽,青島に復航臨時寄港しビクトリアの復航寄港廃止
1931.7.19(昭6)郵商協調によりシアトル発のあらびあ丸を最終船として本航路を廃止

あらびあ丸 Arabia Maru (1918) City of Vancouver Archives
北米航路・紐育線 大阪商船(株) 大9.2.17(1920)開設昭6.8(1931)廃止
主として紐育急航線が寄港しない港に配船.昭和5年(1930)2月以降は西貢,漢口,小樽,7月以降は釧路,函館等を臨時寄港地としたが業績不振により6年8月,内地帰着のへいぐ丸を最終船として廃航となった.
1927.4(昭2)以降比島,香港に臨時寄港
1927.9(昭2)下半期以降,使用船5隻となり基隆,フィラデルフィア,ボストンの臨時寄港開始,小樽寄港を廃止[船]へいぐ丸,はばな丸,はんぶるぐ丸,はあぶる丸,あるぐん丸
1928.10(昭3)以降,ヒューストンに臨時寄港
1929.1(昭4)以降,フィラデルフィアを定期寄港地に変更
1929.2(昭4)以降,大阪を臨時寄港地とする
1929.5(昭4)以降,桑港の復航寄港を廃止
1930.4(昭5)紐育急航線開始により配船数変更[航]2月1回[船]はばな丸,へいぐ丸

はばな丸 Havana Maru (1920) S.Kizu
1931.8(昭6)廃止
北米航路・紐育急航線 大阪商船(株) 昭5.6.29(1930)開設−昭16.9.9(1941)休止−戦後占領期海運再建期海運集約期
大阪商船の北米航路紐育線は大正9年(1920)に開設されたが就航船の性能が他社船に劣るため航路の重要性から船質の改善が検討された.その結果,高運賃貨物を集荷しうる8,000総トン級,速力16.5ノットの大型高速貨物船が計画され,大阪商船が4隻,岸本汽船が同型船2隻を建造した.第1船畿内丸は横濱/紐育間の所要日数が25日17時間30分であった.この大阪商船のパナマ運河経由の紐育直航航路の成功により他社もこれに追随したため昭和8年(1933)1月以降,南海丸と北海丸を投入して合計8隻により2週1回の定期サービスとした.
1930.7.16(昭5)第1船畿内丸,横濱正午出港.7.27午後6:30ロサンゼルス到着.8.11午前5:30ニューヨーク着[港]往航:香港/基隆/上海/太沽/大連/神戸/四日市/横濱/羅府(ロサンゼルス)/バルボア/クリストバル/紐育,復航:紐育/ノーフォーク/クリストバル/バルボア/羅府/横濱/大阪/神戸/上海

畿内丸 Kinai Maru (1930)
1931.2(昭6)以降,落花生油積取のため青島に寄港
1931.4(昭6)以降,門司寄港を廃止
1931.11(昭6)以降,四日市寄港を伊勢湾寄港とし時宜により名古屋,四日市に寄港
1932.2(昭7)排日運動による支那出荷減少により比島(マニラ,イロイロ)積取大西洋岸揚砂糖の積取開始,サバナを臨時寄港地
1932.4(昭7)新嘉坡(シンガポール),彼南(ペナン)および同9月にポートセッテンハム等の海峡植民地に寄港開始
1932.6(昭7)畿内丸を第1船として往航プエルトコロンビアに定期寄港開始.日本積(雑貨),同地積(珈琲)紐育向け
1932.10(昭7)以降,海峡植民地延航を中止
1933.1(昭8)南海丸,北海丸が就航し8隻によるサービス体制となる.サバナを復航定期寄港地とし綿花,松脂等の直積を開始[航]2週1回[船]畿内丸,東海丸,山陽丸,北陸丸,南海丸,北海丸,關東丸(用),關西丸(用)

關西丸 Kwansai Maru (1930)
1933.4(昭8)以降,大連を復航定期寄港地とした
1933.7(昭8)以降,ニューオーリンズの復航臨時寄港を開始
1933.8(昭8)以降,ガルベストン,ヒューストンの復航臨時寄港を開始
欧州線との複合配船 大阪商船(株) 昭和初期
北陸丸,關西丸,東山丸,九州丸の4隻で月1回の欧州線と紐育線の複合配船が実施され東洋/紐育相互間年24航海のサービスとした.
北米航路・太平洋岸線 三井物産(株)船舶部 大9.1(1920)開設昭16.7(1941)休航戦後占領期
大正期に開設された三井物産の北米航路(太平洋岸)の就航船は不定期船が多く,他社の定期船に対して劣るために新造船,購入船を投入して船質の改善が図れた.往航は採算悪化等により昭和12年(1937)から紐育線と統合された.
1937(昭12)往航は採算悪化等により紐育線と統合[船]信貴山丸,白馬山,太平丸,箱根山丸

信貴山丸 Shikisan Maru (1925) City of Vancouver Archives

白馬山丸 Hakubasan Maru (1928)
北米航路・紐育線 三井物産(株)船舶部 昭7.5(1932)開設−昭16.7(1941)休航−戦後占領期
昭和7年(1932)4月,比島/紐育航路開設のため比島大西洋同盟に加入後,5月に信貴山丸を第1船として開設.引き続いて赤城山丸,岩手山丸,箱根山丸,白馬山丸等を配船.さらに他社の優秀船に対抗するため船隊の整備に努め,受託船昌平丸,太平丸,彌彦丸等および新造ディーゼル船吾妻山丸型,阿蘇山丸型を投入し,月1回の定期配船を実施した.
1932.4(昭7)比島大西洋同盟加入
1932.5(昭7)信貴山丸を第1船として紐育定期航路開設[港]比島/内地/紐育[船]白馬山丸(昭7.7),箱根山丸(昭7.8),吾妻山丸(昭8.7),天城山丸(昭8.12),阿蘇山丸(昭9.12),葉山丸(昭10.3),有馬山丸(昭12.7),淺香山丸(昭12.9),熱田山丸(昭12.12),淡路山丸(昭14.7),綾戸山丸(昭16.2)

吾妻山丸 Azumasan Maru (1933)

有馬山丸 Arimasan Maru (1937)
1933.6(昭8)香港/紐育航路運賃同盟加入
1934.10(昭9)新嘉坡に延長[航]1ヶ月1回
1936(昭11)紐育直航線11隻就航[船]天城山丸,吾妻山丸,阿蘇山丸,葉山丸,箱根山丸,宇洋丸(以下用),日洋丸,月洋丸,天洋丸,彌彦丸,太平丸

彌彦丸 Yahiko Maru (1926)
紐育・南米航路 山下汽船(株) 昭12.10(1937)開設−昭16(1941)休止−戦後占領期
昭和12年(1937)10月,山下汽船は極東/紐育・南米航路を開設.この航路の特色は北米東岸諸港で内地積み貨物を揚げた後,紐育その他の諸港から南米東岸(ブラジル・アルゼンチン)諸港向けの直行貨物を積取るところにあった.同航路を独占運営していた大阪商船と集荷,運賃等を調整した結果,上海を起点とした紐育経由南米東岸向け月1回の配船を実施した.本航路用として山里丸以下6隻の大型貨物船を逐次投入した.
1937.12(昭12)新造船山彦丸就航[港]上海/南米東岸[船]山彦丸

山彦丸 Yamabiko Maru (1937)
1938.4(昭13)山風丸竣工

山風丸 Yamakaze Maru (1938)
紐育東洋線 國際汽船(株) 昭6.8(1931)開設−昭16(1941)終航
昭和6年(1931)8月開設.本航路は昭和13年(1938)2月に同社が自営するまで日本郵船の取扱により鞍馬丸以下7隻が就航した.霧島丸以降の6隻は船体寸法,荷役装置(位置,数)等が細部で異なるがほぼ同型の姉妹船である.このうち第1次船舶改善助成施設の適用船は3隻(鹿野丸,清澄丸,金剛丸)であった.ニューヨーク,ハンブルグを起点とした三国間航路紐育漢堡(ハンブルグ)線,漢堡(ハンブルグ)紐育線も開設した.國際汽船は大阪商船傘下となり昭和18年(1943)11月16日に吸収合併された.
1931.8(昭6)第1船霧島丸神戸出航[船]鞍馬丸,霧島丸,葛城丸,小牧丸,鹿野丸,C澄丸,金剛丸

葛城丸 Katsuragi Maru (1931)

小牧丸 Komaki Maru (1933)
1934(昭9)往航は日本郵船扱い.復航はガルフ諸港に寄港した.[港]シンガポール/ペナン/マニラ/(大阪)/神戸/名古屋/清水/横濱/ロサンゼルス/パナマ/ニューヨーク/ボストン/バルチモア/(ニューポートニューズ)[航]3週1回[船]葛城丸,霧島丸,鞍馬丸,小牧丸,鹿野丸,C澄丸,金剛丸
1938.3.31(昭13)金華丸処女航海で横濱出航.横濱/桑港間を10日12時間29分,平均速力17.9ノットで走破し太平洋横断新記録[船]金華丸

金華丸 Kinka Maru (1938)
紐育航路 川崎汽船(株) 昭7.6.30(1932)開設−昭16.11.20(1941)休航−戦後占領期海運再建期海運集約期
大阪商船の紐育急航線開設を契機として川崎汽船もパナマ運河経由の紐育航路を開始した.開設後の就航船は在来船と用船であったが昭和12年(1937)には「神聖君國」と呼ばれた4隻の神川丸型高速貨物船が就航して船質の改善が図られた.
1932.6.30(昭7)第1船良洋丸(用船)神戸出航[港]往航:神戸/名古屋/清水/横濱/サンフランシスコ/ロサンゼルス/クリストバル/紐育 復航:紐育/フィラデルフィア/ボルチモア/パナマ/ロサンゼルス/サンフランシスコ/横濱/神戸[航]1ヶ月1回[船]べにす丸,のるほうく丸,べるふあすと丸,ぼるどう丸,總洋丸(以下用),良洋丸

良洋丸 Ryoyo Maru (1931)

神川丸 Kamikawa Maru (1937)
北米東岸・ガルフ/日本航路 川崎汽船(株) 大11.1(1922)開設昭5.1(1930)川崎汽船同盟脱退
昭和2年(1927)8月國際汽船のKライン脱退後は川崎汽船,國際汽船が単独に運航,川崎汽船は昭和3年(1928)運航船舶6隻を國際汽船へ譲渡したのち昭和4年配船を休止した.
1929.6(昭4)最終船和蘭丸で配船を休止

和蘭丸 Holland Maru (1920)
紐育航路 大同海運(株) 昭9.7.8(1934)開設−太平洋戦争−戦後占領期海運再建期−海運集約期
昭和5年(1930)12月24日に設立後,同8年(1933)5月から北米定期航路に盟外配船を開始したが翌年同盟に加盟となった.
1933.5(昭8)紐育航路に盟外配船開始
1934.6.29(昭9)紐育航路関係同盟に加入
1934.7.8(昭9)紐育航路開設.第1船高榮丸就航[船]高榮丸

高榮丸 Koei Maru (1934)
1941(昭16)開戦に伴い北米定期航路廃止
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