北米航路 - 海運再建期 戻る

日本郵船

紐育線 大正期昭和初期昭26.7(1951)再開海運再建期海運集約期
昭和27年(1952)1月から新造貨物船A型が配船され、荷況旺盛と相まって好成績を収めた。しかし平和条約発効後、7月に山下汽船、9月には川崎汽船、10月には大同海運が月1回の定期サービスを開始した。また大阪商船と新日本汽船は共同運航契約を解除して単独配船とし、さらに大阪商船、三井船舶、国際海運は月2回に増配した。このため日本郵船も7月からは月2回の定期サービスとしたが、本航路の船腹は著しく過剰となった。イスブランセン社(Isbrandtsen Co.,Inc.)の盟外配船への対策として昭和28年(1953)末には全ての品目の運賃がオープン(自由運賃)となった。邦船8社は政府の定期航路における協調の要請に対し、最高積荷量、最低運賃率の維持を申し合わせ、また一般海運市況は昭和29年(1954)末頃から好転したため昭和33年(1958)の同盟会議で運賃はようやくクローズされて協定運賃に復帰した。

赤城丸
赤城丸 Akagi Maru (1951)
シアトル線 明29.8.1(1896)開設大正期昭16.7.17(1941)休航昭26.10(1951)再開
昭35.10.5(1960)終航
昭和27年(1952)に入り日本船社は4社(日本郵船、三井船舶、川崎汽船、国際海運)となり、さらにイスブランセン社(Isbrandtsen Co.,Inc.)の盟外配船の影響もあり昭和28年(1953)3月以降往航運賃はオープン(自由運賃)化され運賃率が低下し採算が悪化した。7月からは氷川丸を準客船として配船したが、船繰りの都合上、昭和29年(1954)3月、興名丸(用船)を最後として貨物船の配船を中止し以降は氷川丸1隻の折り返し配船とした。

氷川丸
氷川丸 Hikawa Maru (1930)

興名丸
興名丸 Komei Maru (1951)

大阪商船

ニューヨーク線 大9.2.17(1920)紐育線−昭5.6.29(1930)紐育急航線として開設−昭16.9.9(1941)休航
戦後占領期海運再建期海運集約期
昭和27年(1952)8月下旬ぱなま丸を単独運航の第1船として、めきしこ丸、あんです丸、あめりか丸、はわい丸、あふりか丸、用船あらすか丸、和光丸8隻で月2航海の定期サービスとした。その後、ふいりぴん丸、ありぞな丸、はばな丸、もんてびでお丸、ほのるる丸等の新造船を投入。再開当時の寄港地は往航が比島各港/神戸/名古屋/清水/横浜/サンフランシスコ/ロサンゼルス/パナマ/ニューヨーク、復航がニューヨーク/ハンプトンローズ/タンパ/ガルフ諸港/パナマ/ロサンゼルス/横浜/大阪/神戸/その他日本諸港。

ふいりぴん丸
ふいりぴん丸 Philippine Maru (1955)
メキシコ湾日本線 昭32.9(1957)開設−海運集約期
昭和32年(1957)9月に新設、和光丸(用船)を第1船として開始、就航船は他に北海丸、九州丸、第八東西丸(以上全て用船)で毎月1航海の定期サービスとした。寄港地はタンパ/モビル/ニューオーリンズ/ヒューストン/ガルベストン/パナマ/ガイマス/サンジェゴ/ロサンゼルス/横浜/名古屋/四日市/大阪/神戸。

和光丸
和光丸 Wako Maru (1952)
極東ガルフ線 戦後占領期−昭37.1(1962)極東ガルフ線と改称−海運集約期
昭和37年(1962)1月、日本ガルフ線を極東ガルフ線と改称。就航船は天光丸、九州丸、和光丸、高典丸、高来丸(以上用船)、あらすか丸で毎月1航海。寄港地は日本各港/ロサンゼルス/クリストバル/ヒューストン/ニューオーリンズ/タンパ/モビル/ボーモント/ガルベストン/コルパスクリスティ/サンフランシスコ/エンセナダ/サンジェゴ。

天光丸
天光丸 Tenko Maru (1956)
北米太平洋線 昭33.4(1958)開設−海運集約期
準備中

あとらす丸
あとらす丸 Atlas Maru (1951)

三井船舶

ニューヨーク航路 昭和初期昭26.7.3(1951)再開海運再建期海運再建期
往航は新造の赤城山丸型(A級船)と新造定期用船によりフィリピンでベースカーゴとして砂糖またはクローム鉱石を積取り内地でサンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク向けの雑貨を積取る方式とした。この間、欧州同盟加入問題により東廻り及び西廻り世界一周航路を開設することとなり、昭和28年(1953)3月、明石山丸を第1船としてニューヨーク航路往航月2航海のうち1航海を延長して東廻り航路を開始した。さらに欧州同盟との競争激化に対処して東廻り航路が強化され10月、青葉山丸以降、ニューヨーク航路往航月2航海とも東廻り航路に切り替え、大西洋航路を結合、併せて第三国間定期配船の形態として本航路の活動を積極化した。復航は従来、往航船をそのまま折り返していたが東廻り世界一周航路が開始されると、明徳丸(用船)を第1船として昭和28年(1953)2月開始の中南米航路の復航船を投入して月2回のサービスを維持した。

明石山丸
明石山丸 Akashisan Maru (1951)

明徳丸
明徳丸 Meitoku Maru (1951)

川崎汽船

極東/ニューヨーク航路 昭和初期昭27.9.27(1952)再開海運再建期海運集約期
昭和31年(1956)北米航路に就航した米国United Satates Lines Co.のマリナー型高速貨物船8隻に対抗するため邦船各社は高速船を投入し始めた。川崎汽船も昭和33年(1958)に第1船ねばだ丸を就航させた。昭和34年(1959)9月には、ねばだ丸型4隻により年間14航海の定期サービスとした。

ねばだ丸
ねばだ丸 Nevada Maru (1958)

もんたな丸
もんたな丸 Montana Maru (1958)

山下汽船

ニューヨーク航路 昭12.10(1937)開設昭27.7(1952)再開海運再建期海運集約期
ニューヨーク航路の高速化に伴い山下汽船も昭和33年(1958)5月以降、外国船社に対抗するため新鋭高速貨物船山若丸、山君丸、山隆丸、山昭丸を逐次投入して船隊の強化をはかった。

山若丸
山若丸 Yamawaka Maru (1958)

山君丸
山君丸 Yamakimi Maru (1958)

新日本汽船

ニューヨーク航路 昭26.6(1951)開設海運再建期海運集約期
ニューヨーク航路再開後、当初新日本汽船は大阪商船との共同運航とし昭和26年(1951)10月、摩耶春丸を第1船として配船した。昭和27年(1952)には共同運航契約を解除、9月から武庫春丸を第1船として単独で月1航海の配船となった。主要寄港地は神戸/名古屋/清水/横浜/フィリッピン/サンフランシスコ/ロサンゼルス/クリストバル/ニューヨーク/タンパ/ガルフ諸港。昭和38年(1963)7月現在の就航船は伊賀春丸、志賀春丸、多賀春丸、賀茂春丸、武庫春丸の5隻で毎月1航海。

武庫春丸
武庫春丸 Mukoharu Maru (1952)

伊賀春丸
伊賀春丸 Igaharu Maru (1960)

1974.2.3 横浜港・新港ふ頭

大同海運

ニューヨーク航路 昭和初期−昭27.10(1952)再開−海運再建期昭39(1964)ジャパンラインへ継承
準備中

高忠丸
高忠丸 Kochu Maru (1955)

ぶるっくりん丸
ぶるっくりん丸 Brooklyn Maru (1960)

国際ライン

ニューヨーク航路 昭26.6.12(1951) 開設昭31.7.10(1956)国際海運共同配船解消
日産汽船はニューヨーク航路の好採算を見込んでライナーの建造を計画し、第7次後期計画造船で日光丸を第8次計画造船で日啓丸を建造した。しかしながらこの両船が竣工した昭和27年(1952)後半以降は朝鮮動乱後の海運不況が深刻化した時期であり、海運市況の悪化とともにニューヨーク航路の競争が激化した。結果的に両船の投入が一層この航路を不採算とするところとなり、日産汽船は東邦海運に引き続いて昭和29年(1954)10月21日に国際ラインを脱退し、事実上当航路を断念することとなった。

日光丸
日光丸 Nikko Maru (1952)

日啓丸
日啓丸 Nikkei Maru (1953)

N.K.K. Tsurumi

飯野海運

ニューヨーク航路 昭31.12.26(1956)単独配船開始−海運集約期
昭和31年(1956)海運界の好況に伴い飯野海運は康島丸、常島丸、健島丸の高速貨物船を主力としこれに適宜冨島丸を加えた船隊を整備しニューヨーク航路の月1回の単独配船に踏み切った。また昭和32年(1957)2月17日に太平洋横断船客同盟に加入し船客サービスにも注力した。

康島丸
康島丸 Yasushima Maru (1954)
康島丸遊歩甲板
康島丸の遊歩甲板

下は旅客室。旅客定員は12名
康島丸旅客室 康島丸旅客室
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