北米航路 - 戦後占領期 戻る

北米定期航路の再開
民間輸送局の許可は昭和26年(1951)6月12日に得られた.この時期にニューヨーク航路開設の許可を受けたのは日本郵船,大阪商船(新日本汽船共同配船),三井船舶および国際ラインのみで同年6月25日に紐育航路関係同盟再加盟,同10月には航路が再開され航海度数は年12回であった.
ニューヨーク航路 日本郵船(株) 昭和初期昭26.7(1951)再開海運再建期-海運集約期
昭和26年(1951)7月20日横浜出航の平安丸を第1船として紐育定期航路を再開.翌27年(1952)7月から月2回の定期運航とした.
1951.7.20(昭26)再開第1船平安丸横浜出航[港]{往航}(比島)/日本/サンフランシスコ/ロサンゼルス/パナマ/ニューヨーク/(ボストン)/(フィラデルフィア)/ボルチモア/ニューポートニュース/(ノーフォーク)/ニューヨーク{復航}ニューヨーク/(ニューオーリンズ)/ガルベストン/ヒューストン/パナマ/ロサンゼルス/サンフランシスコ/日本/(臨時:サバンナ/ハバナ/タンパ)[船]平安丸

平安丸 Heian Maru (1951)
1951.9(昭26)第3船山下丸就航.用船料の調整がつかず1航海のみ[船]山下丸(用)

山下丸 Yamashita Maru (1951)
1952.7(昭27)増配[航]1ヶ月2回(年24回)
ニューヨーク線 大阪商船(株) 大9.2.17(1920)紐育線昭5.6.29(1930)紐育急航線として開設-昭16.9.9(1941)休航-
昭26.8(1951)再開海運再建期海運集約期
昭和26年(1951)8月,新日本汽船との共同配船で第5次船あめりか丸を第1船として再開.さらに船隊充実のため6次船あとらす丸,あんです丸,7次船ぱなま丸,はわい丸,めきしこ丸を建造した.昭和27年(1952)8月には,あふりか丸を最終船として共同配船を打ち切った.
1951.8.4(昭26)再開第1船あめりか丸就航[船]あめりか丸

あめりか丸 America Maru (1950)
1952.6.25(昭27)紐育航路関係同盟再加盟
1952.8(昭27)横浜出航のぱなま丸から単独配船(共同配船協定は1年で終了)[船]ぱなま丸

ぱなま丸 Panama Maru (1952)
ニューヨーク航路 三井船舶(株) 昭和初期昭26.7.3(1951)再開海運再建期海運集約期
昭和26年(1951)7月3日,淺香山丸を第1船(往航)として再開.主力航路である本航路用に5次計画造船で吾妻山型2隻を新造した.米国による建造船規制が全廃されてからは本航路用に本格的な大型高速貨物船A級5隻が6次~7次計画造船により建造された.
1951.7(昭26)吾妻山丸と第1船として復航開始[船]吾妻山丸,天城山丸

吾妻山丸 Azumasan Maru (1950) City of Vancouver Archives
1952.6(昭27)以降,月2回に増配[航]1ヶ月2回

淺香山丸 Asakasan Maru (1937)

赤城山丸 Akagisan Maru (1951)
北米航路 川崎汽船(株) 昭25.8.24(1950)配船
川崎汽船は海運民営還元後,ニューヨーク航路の再開のため在来船聖川丸と新造船神川丸型の合計4隻による船隊整備を進めた.それに先立ち聖川丸を同社戦後初の北米航路へ配船した.
1950.8.24(昭25)聖川丸同社戦後初の北米航路就航第1船として神戸出航[港]神戸/シアトル/タコマ/神戸[船]聖川丸[復荷]小麦

聖川丸 Kiyokawa Maru (1937) 川崎重工業本社工場第3浮ドックに入渠した聖川丸
極東/ニューヨーク航路 川崎汽船(株) 昭和初期昭27.9.27(1952)再開海運再建期海運集約期
昭和27年(1952)9月,横浜港出航の君川丸を第1船として極東/ニューヨーク航路を再開,当初月1回の定期サービスとした.
1952.9(昭27)[港]{往航}フィリピン諸港/門司/神戸/名古屋/清水/横浜/サンフランシスコ/ロサンゼルス/クリストバル/ニューヨーク/フィラデルフィア/ボルチモア{復航}ノーフォーク/ニューオーリンズ/ガルベストン/ヒューストン/パナマ/ロサンゼルス/横浜/名古屋/神戸[航]1ヶ月1回[船]聖川丸,神川丸,君川丸,国川丸

神川丸 Kamikawa Maru (1951)
北米航路 山下汽船(株) 昭12.10(1937)開設昭27.7(1952)再開海運再建期海運集約期
昭和25年(1950)10月,海運8社がGHQにニューヨーク航路再開申請書を提出したが,山下汽船はGHQの条件に対して単独配船は無理と判断し日本郵船と提携をはかった.昭和27年(1952)4月の講和条約発効後,月1航海の目処がついたので6月に同盟に加入し,7月には第1船山福丸(のち山菊丸と改名)を大阪を起点として就航させた.
1952.6.13(昭27)[港]運賃同盟単独加入
1952.8.21(昭27)再開第1船山福丸横浜出航[船]山福丸

山福丸 Yamafuku Maru (1952)
ニューヨーク航路 新日本汽船(株) 昭26.6(1951)開設海運再建期昭39.4.1(1964)山下新日本汽船へ継承
新日本汽船は民営還元後の昭和25年(1950)10月,ニューヨーク定期航路開設を申請,翌昭和26年(1951)6月に許可された.当初は大阪商船と共同配船としてOSK-Shinnihon Lineの名称で開始され,同年10月摩耶春丸が第1船として就航した.昭和27年(1952)9月からは単独で月1回の配船を実施した.
1951.6.12(昭26)定期航路認可
1951.7(昭26)ニューヨーク航路,大阪商船と共同開設
1951.10.10(昭26)就航第1船摩耶春丸竣工[船]摩耶春丸

摩耶春丸 Mayaharu Maru (1951)
1952.6.13(昭27)ニューヨーク運賃同盟単独加入
1952.9.17(昭27)武庫春丸ニューヨーク航路単独配船第1船として竣工[船]武庫春丸

武庫春丸 Mukoharu Maru (1952)
ニューヨーク定期航路 国際ライン 昭26.6.12(1951)開設昭31.7.10(1956)国際海運共同配船解消
日産汽船,東邦海運,飯野海運および三菱海運の4社は戦前の國際汽船の航権(大阪商船の子会社が保有していた)を利用して国際ラインというトレードネームで共同配船(ジョイント・サービス)による運航を開始した.
1951.7.26(昭26)第1船若島丸(飯野海運)横浜出航[船]若島丸

若島丸 Wakashima Maru (1950)
戦後再開されたニューヨーク定期航路の第1船として昭和26年(1951)8月16日,ニューヨーク港に入港する若島丸.外航船の国旗掲揚許可以前のため国旗のかわりにスカジャップ旗を船尾に掲揚した.

ころんびあ丸 Colombia Maru (1951)

日令丸 Nichirei Maru (1950)

東龍丸 Toryu Maru (1951)

東照丸 Tosho Maru (1952)
紐育航路 大同海運(株) 昭和初期-太平洋戦争-戦後占領期海運再建期海運集約期
同社は戦前紐育航路を経営していたが戦後は昭和27年に同盟に再加入し航路を再開した.
1952.6.25(昭27)紐育航路関係同盟再加盟
1952.10(昭27)航路再開[航]年12回[船]高幸丸

高幸丸 Kokoh Maru (1952)
シアトル・バンクーバー定期航路 国際ライン 昭27.7.31(1952)開設-海運再建期
昭和27年(1952)7月31日航路開設許可.同盟関係往航は日本/太平洋同盟,復航は太平洋西航同盟.
1951.6(昭26)日本/太平洋同盟加入
1951.7(昭26)太平洋西航同盟加入
1952.8.5(昭27)第1船榮昌丸(東邦海運)就航[港]神戸/名古屋/清水/横浜/シアトル/バンクーバー/ポートランド[船]榮昌丸[往荷]ラワン材(比島-日本),雑貨,種ガキ,ミカン(10-11月清水)[復荷]鉄鉱石,大麦,小麦

榮昌丸 Eisho Maru (1944)
1953.1.9(昭28)冨島丸就航[船]冨島丸(飯野海運)[往荷]木材(比島-日本),亜鉛鉱,雑貨[復荷]鉱石,パルプ

冨島丸 Tomishima Maru (1952)
日本/シアトル航路 川崎汽船(株) 昭27.9.24(1952)開設-昭34.5(1959)極東/北米太平洋岸航路
昭和27年(1952)9月の日本/南阿航路開設と同時に日本/北米間往航を活用し,9月24日横浜出航の第三眞盛丸(用船)を第1船として日本/シアトル航路を開設,月1回のサービスとした.本航路は往航が神戸/名古屋/清水/横浜/タコマ/バンクーバー/シアトル/ポートランドに至る片道航路であり,就航船は揚げ切り後,引続いて北米/南阿航路に就航した.
1952.9.24(昭27)第1船第三眞盛丸横浜出航[船]第三眞盛丸(用)

第三真盛丸 Shinsei Maru No.3 (1952) 川崎汽船に用船中の第三眞盛丸
1953.4.14 - City of Vancouver Archives
シアトル線 日本郵船(株) 明29.8.1(1896)開設大正期昭16.7.17(1941)休航昭26.10(1951)再開昭35.10.5(1960)終航
昭和26年(1951)7月31日付で月1回のサービスとして申請許可されたが配船すべき船舶の不足と荷況不振のため再開が遅れ10月30日に至ってようやく第1船平洋丸が横浜港を出航,11月23日シアトルに入港した.
1951.10.30(昭26)第1船平洋丸横浜港出航[船]平洋丸

平洋丸 Heiyo Maru (1951)
1951.11.17(昭26)第2船阿蘇丸横浜出航[船]阿蘇丸
1951.12.21(昭26)第3船永安丸(用)横浜出航[船]永安丸(用)

永安丸 Eian Maru (1951) 日本郵船に用船中の永安丸
1964.2.1 - City of Vancouver Archives
1952.1.27(昭27)第4船興名丸(用)横浜出航[船]興名丸(用)

興名丸 Komei Maru (1951) 日本郵船に用船中の興名丸
1953.4.6 - City of Vancouver Archives
アメリカ航路 飯野海運(株) 昭25.9(1950)配船-海運再建期
戦後の民間貿易最初の原油輸送として北米向けに日南丸を配船した.
1950.9.14(昭25)日南丸,丸善石油(株)の北米原油輸送のため配船

日南丸 Nichinan Maru (1942)
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