豪州航路 - 海運集約期 戻る

東南豪州航路 日本郵船(株) 明治後期大正期昭和初期昭27.8.22(1952)再開海運再建期海運集約期
日本郵船は大阪商船三井船舶と共にLO/LO船によるコンテナ化を計画,後に山下新日本汽船を加えた3社がスペース・チャーター方式でグループ制を採用した.使用船舶は1150TEUの大型コンテナ船を計画し,月間3航海のサービスとした.
1965(昭40)冷凍貨物の積取開始[船]有馬丸

有馬丸 Arima Maru (1952) 1954.12.2 - City of Vancouver Archives
1969.10.10(昭44)グループの第1船就航[航]月3回[船]箱崎丸

箱崎丸 Hakozaki Maru (1969)
豪州航路 大阪商船三井船舶(株) 大正期昭和初期昭27.7(1952)再開海運再建期海運集約期
日本郵船,山下新日本汽船との3社グループによる豪州航路へグループの第2船として大阪商船三井船舶のおーすとらりあ丸が昭和44年(1969)12月19日に四日市起こしで就航した.
1969.12.19(昭44)新造船おーすとらりあ丸就航[船]おーすとらりあ丸

おーすとらりあ丸 Australia Maru (1969)
豪州航路 JAL(川崎汽船、山下汽船) 山下汽船 大13.4(1924)開設-昭和初期-戦後占領期-JAL共同配船開始昭50.1(1975)JAL消滅
昭和44年9月の京都船主会議で川崎汽船のJAL離脱が認められると構成者は山下新日本汽船のみとなった.さらに49年11月の箱根船主会議で同社はJALの全ての権利義務を継承し,50年1月以降に単独で同盟の正式会員となり,これによりJALが消滅した.
1969.9(昭44)川崎汽船JAL離脱

山月丸 Yamatsuki Maru (1952)

東豪丸 Togo Maru (1970)

兵庫丸 Hyogo Maru (1973)
日本/豪州航路 JAL 大正期昭和初期海運再建期昭44.9(1969)川崎汽船JAL離脱
昭和39年4月海運集約によりJALから三井船舶が離脱し川崎汽船と山下新日本汽船の2社となる.年間配船数は16航海.さらに昭和44年9月には川崎汽船が離脱し構成者は山下新日本汽船の1社となった.
1966(昭41)冷凍貨物の輸入増加により冷凍艙装備船を逐次投入[船]照川丸,日川丸,丁抹丸,諾威丸,白耳義丸[荷]バター,チーズ,肉類

丁抹丸 Denmark Maru (1965)
日本/西豪州航路 川崎汽船(株) 海運再建期昭39.4(1964)飯野海運より継承-平成・令和期
飯野海運から継承後,A線は日本下旬起こしフリーマントル直航とし,B線は日本中旬起こしサンダカン/コタキナバル/タンジョンマニ経由西豪州向けとした.
1964.4.12(昭39)B線,峰島丸神戸出航[船]峰島丸
1964.4.27(昭39)A線,冨島丸神戸出航[航]1ヶ月1回[船]冨島丸[往荷]自動車[復荷]羊毛

冨島丸 Tomishima Maru (1952)

Chieh Hsing (1952)
1976.3.20 横浜港新港ふ頭 ex.冨島丸
1969.3(昭44)[港]日本/ダーウィン/ウインダム/ブルーム/ダンビア/ポートヘドランド/バローアイランド/ゼラルトン/フリーマントル/バンバリー/オールバニ/エスペランス[航]年24回[船]白耳義丸,瑞典丸,てねしい丸,まらつか丸,茂島丸(用),珠島丸(用)

白耳義丸 Belgium Maru (1966)
豪州/南米東岸航路 ジャパンライン(株) 昭40.1(1965)開設-昭41(1966)廃止
昭和39年(1964)7月海外航路進出を企画して開始された豪州/南ア/南米東岸の三国間航路.開設2年目に豪州政府の航路補助が取得できずに廃止となった.
1965.1.24(昭40)第1船高長丸八幡出航[港]ブリスベン/シドニー/メルボルン/フリーマントル/ダーバン/ケープタウン/モンテビデオ/ブエノスアイレス/サントス/リオ・デ・ジャネイロ[船]高長丸
1966.2.1(昭41)高長丸帰港[船]高長丸

高長丸 Kohcho Maru (1951)
1966(昭41)第2船高幸丸就航[船]高幸丸
Copyright (C) Since 1998 Fumio Nagasawa All Rights Reserved. 先頭へ LU 202112 V.1.2.4