中国・四国方面 - 明治後期 戻る

三蟠苗羽線 讃岐汽船(株) 明33.4(1900)開設−明37(1904)頃廃止
明治33年(1900)4月開設。
1900.4(明33)旅客、雑貨[港]小豆郡苗羽村/下村/池田/土庄/高松/豊島/犬島/九蟠/三蟠/岡山市京橋[航]1ヶ月30回[船]船玉丸
三蟠高松線 山陽鐵道(株) 明36.3.18(1903)開設−明39.12.1(1906)逓信省が買収
1903.3.18(明36)旅客、雑貨[港]三蟠/九蟠/土庄/高松[航]1ヶ月60[船]玉藻丸
玉藻丸 Tamamo Maru
玉藻丸 Tamamo Maru (1903)
尾道多度津線 山陽鐵道(株) 明治後期−大正期
1904(明37)旅客[港]尾道/多度津[航]1ヶ月60回[船]兒島丸
四国航路・大阪宇和島線 大阪商船(株) 明17.5.1(1884)開設明36.10.11(1903)大阪宿毛線−明44.6.1(1911)大阪四國線−大正期
昭4.3.6(1929)伊豫経由大阪細島線と合併
明治38年(1905)以降に山陽鐵道讃岐線及び伊豫鐵道、44年(1911)には國有鉄道と船客、手小荷物の船車連絡を開始した。
1902.4(明35)以降[航]日1回両地発航[船]武庫川丸、扶桑丸、加茂川丸、緑川丸、吉野川丸、大野川丸
1903.10.11(明36)宿毛毎日延航としたため大阪宿毛線と改称
1904.2(明37)配船の都合により就航船、航海度数変更[航]月15回[船]利根川丸、龍田川丸、緑川丸
1905.4(明38)以降、三津濱(後に高濱に変更)/多度津を連絡地として山陽鐵道讃岐線及び伊豫鐵道と船客、手荷物の船車連絡を開始[港]大阪/神戸/高松/多度津/今治/三津濱/長濱/守江/日出/別府/大分/佐賀關/八幡濱/吉田/宇和島[船]緑川丸、姉川丸、武庫川丸、保津川丸、吉野川丸、扶桑丸
1905.9(明38)[航]日1回両地発航[船]三重丸、海城丸、龍田川丸、大龍丸、緑川丸、扶桑丸
1907.3.1(明40)[港]以降、同一航路を経営する宇和島運輸との協定の結果、3隻の他に宇和島運輸の協定船3隻を加えて6隻とした[船]愛媛丸、香川丸、武庫川丸
1911(明44)國有鉄道日豊線が日出迄延長したため同地を連絡地として國有鉄道と船客、手小荷物の船車連絡を開始
1911.6.1(明44)大阪四國線と改称[港]大分県沿岸諸港(佐賀關、大分、別府、日出、守江)の寄港を廃止[船]香川丸、愛媛丸のうち1隻の他、宇和島運輸の協定船3隻
愛媛丸 Ehime Maru
愛媛丸 Ehime Maru (1903)
四国航路・大阪廣島線 大阪商船(株) 明17.5.1(1884)開設−明22.7.1(1889)大阪岡山線−明25.6.16(1892)大阪玉島線−
明26.1(1893)大阪多度津線同7月大阪玉島線明28.7(1895)大阪多度津線明30.3(1897)廃航
1895.7(明28)丸亀琴平間に開通した讃岐鐵道と接続する都合上、多度津止として大阪多度津線と改称すると同時に玉島多度津線を新設
1897.3(明30)廃航
四国航路・大阪徳島線 大阪商船(株) 明17.5.1(1884)開設明治後期大14.1.16大阪小松島線昭6.10.30(1931)攝陽商船に譲渡
明治37年(1904)以降に阿波國共同汽船との協定により就航船は合計4隻となった。
1897(明30)[船]勝浦川丸、那賀川丸
1900.2(明33)[航]日2回両地発航[船]勝浦川丸、那賀川丸、吉井川丸
1904.4.1(明37)以降、阿波國共同汽船との協定により合計4隻就航[航]日3回両地発航[船]加古川丸、吉井川丸の他、協定船2隻
1904.6(明37)[航]日2回[船]新造船徳島丸、協定船1隻
1904.11(明37)[航]日3回[船]徳島丸、加古川丸、協定船2隻
大阪洲本線 大阪商船(株) 明17.5.1(1884)開設明32.8.1(1899)大阪由良線大3.12.1(1914)攝陽商船に譲渡
岩屋寄港を開始[航]日3回[船]犀川丸、勝浦川丸、蜂須賀丸
1899.8.1(明32)由良に延航して大阪由良線と改称(2航海中1回は自由航海)[航]日2回[船]生田川丸、太陽丸
1900(明33)上半期以降、洲本由良間は自由航海となる
大阪下關線 大阪商船(株) 明17.5.1(1884)開設明35.6.1(1902)大阪下關線大正期昭10.3(1935)攝陽商船に譲渡
明治45年(1912)7月15日以降、尼崎汽船部の協定船5隻が加わり就航船は合計10隻となった。
1897.12(明30)以降新造船利根川丸就航[船]利根川丸
1898.3(明31)山陽鐵道は三田尻まで開通(大阪−赤間關全通は明治34年5月)、徳山−門司では所有船2隻が大阪商船と競争
1900.11(明33)以降新造船天龍川丸、大井川丸が就航[船]利根川丸、天龍川丸、大井川丸、加茂川丸、武庫川丸、吉野川丸、安寧丸
1902.6.1(明35)赤間關が下關と改称され本線も大阪下關線と改称
1904(明37)[港]大阪/神戸/高松/多度津/鞆/尾道/糸崎/忠海/竹原/長濱/音戸/呉/宇品/宮島/岩国/久賀/柳井/室津/三田尻/門司/下關[航]1ヶ月30回[船]利根川丸、姫川丸、龍田川丸、太田川丸、肱川丸
1912.7.15(明45)午前便(甲便)は航海日数4日間の急行便[港]大阪/神戸/坂出/高松/多度津/尾道/竹原/音戸/吉浦/宇品/宮島/柳井/三田尻/門司/下關
1912.7.15(明45)午後便(乙便)は航海日数5日間の普通便[港]大阪/神戸/坂出/高松/多度津/鞆/尾道/糸崎/忠海/竹原/阿賀/音戸/鍋/吉浦/宇品/宮島/岩国/久賀/柳井/室津/室積/下松/三田尻/新川/門司/下關
天龍川丸 Tenryugawa Maru
天龍川丸 Tenryugawa Maru (1897)
四国航路・玉島多度津線 大阪商船(株) 明28.7.16(1895)開設大6.6.10(1917)廃航
大阪玉島線を多度津止としたために開設。山陽鐵道及び讃岐鐵道に接続した。
1895.7.16(明28)[航]週1回[船]汽船1隻
1897.7(明30)増便、うち1航海は自由航海[航]日2回
1898.2(明31)以降、毎日1航海に減じた[航]日1回[船]無事丸
1899.4(明32)再び増便[航]日2回
1906.1.24(明39)無事丸を売却
1906.1(明39)以降、岩瀬所有の第二堀越丸を用船[船]第二堀越丸(用船)
1908.4(明41)第二堀越丸を協定船とした[船]第二堀越丸
四国航路・宇品三津濱線 大阪商船(株) 明30.5.1(1897)開設−明36.9.11(1903)宇品高濱線−大8.4.15(1919)石崎汽船へ譲渡
明治30年(1897)5月1日開設。
1902.5.1(明35)[港]宇品/江田島/呉/音戸/三津濱[航]1ヶ月2回両地発航[船]中津川丸、第三相生丸
1903.3(明36)山陽鐵道、伊豫鐵道と呉及び高濱を連絡地として旅客、手荷物の船車連絡を開始
1903.9(明36)以降、増便[航]日3回[船]豐川丸、那智川丸
1903.9.11(明36)高濱止として宇品高濱線と改称
1907.6.21(明40)石崎汽船及び早速汽船と協定の結果、毎日3航海のサービスとなる[航]日3回[船]豐浦丸の他協定船2隻
四国航路・徳島宍喰線 大阪商船(株) 明33.11.2(1900)継承開設大4.11.2(1915)攝陽商船に譲渡
阿波國共同汽船が経営していた徳島/甲浦航路を同航路経営難により大阪商船に継続を依頼、して開始。
1900.11.2(明33)[港]徳島/橘/由岐/日和佐/牟岐/浅川/鞆浦/宍喰[航]隔日1回両地発航[船]龍潤丸
四国航路・大阪撫養線 大阪商船(株) 明33.11.15(1900)開設−同12.1大阪津田線−明35.3.1(1902)阿讃経過大阪岡山線−
同4.9大阪高松線−大3.12.1(1914)攝陽商船に譲渡
明治33年(1900)11月15日開設。
1901.12.1(明34)津田に延航して大阪津田線と改称[港]大阪/兵庫/沼島/福良/撫養/引田/三本松/撫養[航]日1回両地発航[船]生田川丸、瑞鷹丸
1902.1(明35)[港]毎年3月より11月末までは沼島/福良の代わりに郡家/都志/湊に寄港[船]名草丸、稱吉丸(用船)
1902.3.1(明35)岡山に延航して阿讃経過大阪岡山線と改称[港]高松/土ノ庄/大島を寄港地に加えた
1902.4.9(明35)高松止として大阪高松線と改称[港]大阪/兵庫/郡家/都志/湊/撫養/引田/白鳥/三本松/津田/志度/撫養[航]日1回両地発航[船]千草川丸、生田川丸
四国航路・高松岡山線 大阪商船(株) 明35.4.10(1902)開設−明36.2.28(1903)廃航
明治35年(1902)4月10日、阿讃経過大阪岡山線が短縮されて大阪高松線となったために本航路を開設。
1902.4.10(明35)[航]日2回[船]豐川丸
1903(明36)山陽汽船商社が山陽鐵道と讃岐鐵道との運輸連絡の航路を開始したため廃止
四国航路・大阪高知線 大阪商船(株) 明40.4.22(1907)開設大正期昭6.10.30(1931)土佐商船に譲渡
明治40年(1907)4月22日、土佐商船買収の結果開設。
1907.4.22(明40)[港]大阪/神戸/高知[航]日1回[船]高坂丸、高神丸、新高知丸
四国航路・高知甲浦線 大阪商船(株) 明40.4.25(1907)開設大9.4.1(1920)土佐沿岸汽船へ譲渡
土佐商船買収の結果、明治40年(1907)4月25日開設。
1907.4.25(明40)[港]高知/赤岡/和食/安芸/安田/田野/奈半利/羽根/吉良川/室戸/津呂/佐喜濱/甲浦[航]日1回[船]高陽丸、長陽丸
四国航路・高知宿毛線 大阪商船(株) 明40.4.25(1907)開設大9.4.1(1920)土佐沿岸汽船へ譲渡
土佐商船買収の結果、明治40年(1907)4月25日開設。
1907.4.25(明40)[港]高知/須崎/久礼/上ノ加江/志和/佐賀/上川口/下田/下ノ加江/以布利/窪津/松尾/中ノ濱/清水/三崎/下川口/小才角/西泊/古滿目/柏島/宿毛
四国航路・守江宇和島線 大阪商船(株) 明44.6.1(1911)開設−同年11.22日出貝塚線−大正期昭3.2.10(1928)宇和島運輸に譲渡
明治44年(1911)6月1日、大阪宿毛線が大分県沿岸諸港の寄港を廃止すると同時に、守江宇和島線を開始。
大阪高知線 土佐郵船(株) 明治後期−大正期
1895(明28)[船]土州丸、高知丸、江州丸、土佐丸
新居浜尾道航路 住友吉左衛門 明治前期−明治後期−大正期−昭和初期−太平洋戦争
1903(明36)[港]新居浜/西條/今治/四坂/三ノ庄/尾道[船]御代島丸、木津川丸
御代島丸 Miyoshima Maru
御代島丸 Miyoshima Maru (1902)
隠岐國内地線(甲乙線) 隠岐汽船(株) 明32.4(1899)受命明37.3(1904)満期大正期
島根県命令航路として開設。
1899.4(明32)[港]甲線:西郷/津戸/菱/別府/浦郷/知夫/崎/美保關/境
乙線:西郷/美保關/境[航]月10回(4-10月)月6回(11-3月)[船]汽船2隻[命]1899.4(明32)〜1904.3(明37)
大阪下關線 尼崎伊三郎 明治前期−明治後期−大正期−昭和初期
1904(明37)[港]大阪/神戸/讃岐、中国各港/門司/下關[航]1ヶ月23回[船]第一幸運輸丸、新電信丸、旭川丸、新崇敬丸、阿津丸
第一幸運輸丸 Kounyu Maru No.1
第一幸運輸丸 Kounyu Maru No.1 (1890)
大阪宇和島線 宇和島運輸(株) 明治前期−明治後期−大正期−昭和初期
1904(明37)[港]大阪/吉田/八幡濱/川之石/豊後/守江/日出/別府/大分/佐賀關/長濱/三津濱/今治/多度津/高松/神戸/宇和島[航]1ヶ月20回[船]第三宇和島丸、第四宇和島丸、第五宇和島丸、第六宇和島丸、第七宇和島丸
玉之浦丸 Tamanoura Maru
玉之浦丸 Tamanoura Maru (1890)

もと第四宇和島丸
大阪宇和島線 川之石汽船(株) 明治後期−大正期−昭和初期
1904(明37)[港]大阪/吉田/八幡濱/川之石/豊後/守江/日出/別府/大分/佐賀關/長濱/三津濱/今治/多度津/高松/神戸/宇和島[航]1ヶ月5回[船]第貳日向丸
大阪阪越線 尼崎伊三郎 明治後期−大正期−昭和初期
1904(明37)[港]兵庫及び播州各港[航]1ヶ月30回[船]新和歌浦丸、第一姫路丸
Copyright (C) Since 1998 Fumio Nagasawa All Rights Reserved. LU 202002 V.1.1.3