サイト内整理中
2006.12.29 |
みーばるマリンセンター3号
沖縄県南城市の新原ビーチのグラスボート
2004.12.11 沖縄・新原ビーチ |
鐵道省関釜連絡航路
2006.12.24 |
昭和初期 近海航路 鐵道省関釜航路を追加
新造時の興安丸 Koan Maru (1937)
関釜航路用に新造された最大速力23ノットの大型高速鉄道連絡船金剛丸級の第2船.戦後は引揚げ船として活躍. |
終戦時に米軍の要請で韓国にあった朝鮮郵船の船舶が貸与されたが貸与期限後も再三の要請にもかかわらず韓国から返却されないため政府は責任上,国家使用船興安丸他2隻を朝鮮郵船に提供した. |
Merry
X'mas Nippon Maru
2006.12.23 |
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Nippon Maru - 2006.12.23 Yokohama Minato
Mirai 21 |
荻布海商の船歴を追加
2006.12.17 |
荻布海商関係の船歴を追加 |
伏見丸 Fushimi Maru (建造年不詳)
19世紀末に進水した鉄製汽船で明治40年に日本に売却され,大正3年に荻布宗太郎が取得,その後転売を重ね最後は尼崎汽船部の所有となり昭和20年に触雷により沈没するまで活躍した長寿船であった. |
造船会社の概要
2006.12.10 |
神戸三菱造船所の概要を掲載開始
建造中の伊號第七十五潜水艦 I - 75 海大6型b (1938)
三菱神戸の艦艇建造の主体である潜水艦は第1次世界大戦後英国ヴィッカース社と技術提携してL1型潜水艦を建造したのが最初であった.
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日本の船会社
2006.11.26 |
日本の船会社・東海汽船
船歴(戦後占領期〜海運再建期 海運集約期)を追加
若者で賑わう夏の夜,出航準備中の さるびあ丸2 (1992)
1995.7.15 東京・竹芝客船ターミナル |
日本の船会社
2006.11.11 |
日本の船会社・日本油槽船を更新 |
修復工事成ったせりあ丸 Seria Maru (1944)
播磨灘で沈没していた本船を戦後,坂口興産が買収し関連会社の北川サルベージが解体の予定で引揚げて日立造船桜島工場に係船.後に日本油槽船が再取得して大改装を施し昭和24年5月に完工,あらびあ丸と共にバーレーンまでの原油積取りに就航した. |
掲載ページ変更のお知らせ
2006.10.29 |
凡例を,はじめにへ移動しました.
2006.10.7 横浜・みなとみらい21
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日本の船会社
2006.10.28 |
日本の船会社・飯野海運を追加 |
隆邦丸 Ryuho Maru (1950)
1TL型戦標船として起工後,工事中断された本船を飯野海運が買取って同社戦後初の新造油槽船として就航.昭和25年6月9日東京竹芝桟橋で盛大なレセプションを挙行,高松宮殿下,同妃殿下,吉田茂首相が臨席した. |
日本の船会社
2006.10.21 |
日本の船会社・日東商船を更新 |
旭栄丸 Kyokuei Maru (1953)
日東商船が戦後整備を開始した19,000重量トン級の大型油槽船の第3船.船名を全国の中学生から募集,当選した大阪府南河内郡科長原中学校の生徒は進水式に主賓として招かれ,使用した銀の斧は同校に贈呈された. |
海運再建期 中南米方面 大阪商船南米航路
2006.10.15 |
海運再建期 中南米方面 大阪商船南米航路を追加 |
ぶらじる丸 Brasil Maru (1954)の出航風景
提供 M.Yamada
あるぜんちな丸 (1958)と共に大阪商船が戦後建造した本格的な南米移住者輸送用の貨客船.乗船移住者は昭和34年度の6793名をピークとして以降激減し,政府の政策上運賃値上げが困難であるため採算は悪化.事業を引継いだ大阪商船三井船舶は両船を改装する一方で監督官庁と補助金の確保を折衝した結果,国家補助は昭和45年度まで続いた. |
戦後占領期 北米方面 日本郵船シアトル線
2006.10.8 |
戦後占領期 北米方面 日本郵船シアトル線を更新
平洋丸 Heiyo Maru (1951)
第5次計画造船で建造された.昭和26年にはシアトル定期航路,同29年には南アフリカ定期航路のそれぞれ第1船として就航した.本船には三菱長崎独自の5MUT22/40型ディーゼル発電機(300BHP,350rpm)を3台装備した. |
昭和初期 臺湾航路 近海郵船
2006.9.24 |
昭和初期 近海航路 近海郵船を更新 |
近海郵船の高速バナナボート千光丸 Senko Maru (1935)
日本郵船から継承した臺湾航路は大正14年には総督府命令航路となり輸送量は年々増大して同社の中核航路となった.昭和10年には青果輸送の船質改善のためにタービン主機,速力17ノットの千光丸クラス2隻を新造投入した. |
戦後占領期〜海運集約期 山下新日本汽船関係
2006.9.10 |
山下汽船の一般貨物船を掲載開始
山下新日本汽船の鉱石/石炭兼用船神日丸 Shinnichi Maruの進水記念絵葉書
呉造船所で 1966.4.1(昭41)進水 |
海運集約期 北米航路のコンテナ化
2006.8.27 |
海運集約期 北米航路のコンテナ化を掲載開始
川崎汽船とジャパンラインの共有コンテナ船ごうるでん あろう Golden Allow
(1970)
北太平洋航路(PNW)のコンテナ化の第1船.先に加州航路に就航したジャパン エースと船体は基本的に同型.写真は処女航海の際に神戸港で撮影されたもの.白色のファンネルが印象的である.(社船写真集より) |
新涼
2006年8月 |
CLEOPATRA MOON (1971)
もと日本カー・フェリーのぶーげんびりあ Bougainvillea で現在はCleopatra
Navigation, Panamaの所有.
2005.10.6 ポートサイド - O.Sakai |
接岸作業中の海上保安庁の巡視船うらが Uraga (1980)
1985 横浜港・大さん橋 |
日本郵船のクルーズ船飛鳥 Asuka (1991)
1995.8.9 横浜港・大さん橋
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日本の船会社
2006.7.23 |
日本の船会社に三菱海運と関西汽船を追加
関西汽船のあかね丸 Akane Maru (1948)
昭和25年9月,神戸中心部を襲ったジェーン台風により本船,同型船あけぼの丸,共同汽船あきつ丸等が被害を被り中日本重工業(神戸)で修復を実施した.とくにあけぼの丸は被害が大きく甲板上の艤装品の大半を流失,修復に約4ヶ月を要した. |
残存した油槽船さんぢゑご丸 San Diego Maru (1928)
三菱商事が三菱長崎造船所で3隻建造した同社初の社有油槽船さんぺどろ丸 Sanpedro
Maru 型の1隻でわが国の油槽船としては初のディーゼル主機を搭載したことで知られる.本船のみ太平洋戦争を生き抜いて,昭和28年には僚船光島丸他7隻の油槽船とペルシャ湾バーレーンまでの原油の積取りに従事した. |
戦後占領期 船腹の改造・修理
2006.7.22 |
戦後占領期 船腹の改造・修理を掲載開始
日本郵船の2A型戦標船延長丸 Encho Maru (1944)
本船は昭和24年9月,インドのネール首相から贈られた象「インディラ」を東京へ運んだ. |
戦後,わが国の大半の船腹は国際船級を有していなかったが外航の再開に向け,船舶公団が中心となり2A型戦標船等の国際船級取得のための改造が計画された. |
お知らせ 2006.7.15 |
「参考文献」は「ライブラリ」に統合しました.「海と船の挿話」へのリンクはトップページ上段のメニューに移動しました |
海運集約期 ジャパンライン
昭和海運 2006.7.15 |
海運集約期 ジャパンライン 木材運搬船を追加
ジャパン チーク Japan Teak (1967)
ジャパン パァム型の第2船.写真は岸和田港に停泊中の本船(手前).向こう側は明純丸
Meijun Maru (後にジャパンヒッコリー Japan Hichoryと改名)
社船写真集より |
海運集約期 昭和海運 鉱石専用船を追加
昭京丸 Shokyo Maru (1969)
第24次計画造船で建造された鉱石専用船.海外売却後,平成2年にノルウェー沖で喪失. |
海運集約期 昭和海運
油槽船・撒積貨物船 2006.6.4 |
海運集約期 昭和海運 油槽船 撒積貨物船を追加
昭延丸 Shoen Maru (1969)
第24次計画造船による昭和海運初のVLCC(Very Large Crude oil Carrier)として昭和44年に川崎重工業坂出造船所で竣工した. |
戦標船2EH
2006.5.28 |
太平洋戦争 本邦建造船 戦時標準船E型を更新
澤山汽船の第八新東丸 Shinto Maru No.8 (1944)
E型船は建造年度,製造所毎にさまざまなバリエーションがあるが本船は川南工業深堀造船所で建造された2EH型で主機には焼玉機関を搭載.
1953.6 - 坂出沖 (川崎汽船須磨丸から撮影) M.Yamada |
戦後占領期
印パ航路 山下汽船 2006.5.14 |
山下汽船のインド・パキスタン・ペルシャ湾航路を掲載開始
就航第1船の山殿丸(2AT型戦標船)はA.B.船級取得工事を実施して三島型船型に改装された. |
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