輸出船・賠償船
2020.12.19 |
海運再建期より輸出船・賠償船の掲載開始
日立造船建造のインド船社向け貨物船JAG VIJAY (1962)
戦後の造船ブームにより海外船社向けに多数建造された船舶の容姿に邦船の面影を見出す方も多いのではないだろうか. |
サイト内整理中
2020.12.8 |
飯野商事の油槽船極東丸
Kyokuto Maru (1934)
飯野商事が第1次船舶改善助成施設の適用により建造した高速油槽船.昭和13年(1938)海軍に徴用され旭東丸と呼称,同16年(1941)12月ハワイ真珠湾攻撃の機動部隊に随伴した.同19年(1944)マニラ湾で沈没したが戦後に浮揚,かりほるにあ丸として再生し活躍した. |
国内航路・明治後期
2020.11.18 |
国内航路 東北・関東方面を更新 日本郵船の青森室蘭直航線に就航した駿河丸 Suruga Maru (1884)
共同運輸が英国で新造した鉄製貨客船.同じ造船所建造の播磨丸,出雲丸も同型船と思われる.丸一本間合名のファンネルマークは写真に手書きのようである. |
中南米航路・海運集約期
2020.11.1 |
中南米航路を更新
大同海運が昭和29年(1954)8月に開設した中南米ガルフ航路は邦船各社から寄港地制限等の条件を付けられ計画の変更を余儀なくされた.その後同社の再三にわたる要求により紆余曲折を経て昭和43年(1968)7月に至り中米西岸を含む5港がようやく開放され航路を継承したジャパンラインは重量物運搬船隊の整備に着手した.
重量物/貨物兼用船ジャパン ロブレ Japan Roble (1970) |
平成・令和期
2020.10.10 |
平成・令和期を掲載開始
国内航路 東北・関東方面
東京・横浜・久里浜/大島・利島・新島・式根島・神津島航路
東海汽船の新造貨客船さるびあ丸 Saruvia Maru
(2020)
Tokai Kisen |
海運業者・小史
2020.9.28 |
八馬兼介の小史を追加
八馬汽船の創業者八馬兼介の八馬家は攝津國西宮で古くから酒造家と関係が深く和船の時代から酒造用の米穀の売買,運送,酒類の運送を家業としていた.
八馬兼介が大正期に取得した江陽丸 Koyo Maru (1886) |
大正期・北米航路
2020.9.19 |
北米航路・香港タコマ線を更新
明治42年(1909)に大阪商船が社運を賭けて開設した北米定期航路香港タコマ線は逓信省命令航路となり,漸次新造大型貨客船を投入して航路維持に努め大正7年(1918)には補助金を辞退するまでに成長した.本航路は昭和6年(1931)に日本郵船との協調の結果,7月19日シアトル出航のあらびあ丸を最終船として廃止となった.
あらびあ丸 Arabia Maru (1918) - City of Vancouver Archives |
昭和初期・近海航路
2020.8.10 |
臺灣航路を更新
内臺航路ともよばれた臺灣航路は近海郵船の主要航路であり基隆を起点とした臺灣総督府命令航路であった.昭和3年(1928)に日本郵船の欧州航路からの転配船に替えてイタリアより2隻の大型船(船齢13年)を購入して船質の改善を図った.基隆港内では旋回して岸壁に係留するには操船が困難であったという.
基隆神戸線に就航した貨客船大和丸 Yamato Maru (1915) |
JAL(Japan
Australia Line)の歴史
2020.7.11 |
大正13年(1924)初頭,川崎汽船・國際汽船・山下汽船の3社は豪州同盟加盟を試みたが交渉が難航したため盟外配船に踏み切った.翌年11月にようやく加盟が認められるとJALを結成して共同配船を開始した.戦後は國際汽船に替わり三井船舶との3社で再びJALを結成して加盟を果たしている.JALは最終的には山下新日本汽船1社となり昭和50年(1975)に同社が全ての権利義務を継承することで消滅した.
川崎汽船の高速貨物船丁抹丸 Denmark Maru (1965) |
サイト内整理中
2020.6.13 |
サイト内整理中
鉱石/撒積兼用船京見丸 Kyomi Maru (1985)
新日本製鐵が昭和58年(1983)に設立した日鐵海運が日邦汽船と共有で建造.竣工時はエヌエス汽船(日鐵リースの子会社)の所有であった. |
サイト更新休止のお知らせ
2020.4.12 |
当サイトの更新を4月12日から6月12日まで休止しました.
Diamond Princess
at Yokohama 4/26/2014 |
May medical care be provided to all patients in the world.
2020.4.2 |
博愛丸 Hakuai Maru (1898)
日本赤十字社が明治30年(1897)に計画した2隻の病院船博愛丸と弘濟丸は有事の際にただちに提供できる条件で日本郵船が譲り受け上海航路に就航させた.博愛丸は日露戦争,関東大震災等で救助活動をおこなった. |
船種別
2020.3.24 |
船種別 鉱石/撒積/油兼用船,ボーキサイト専用船,重量物運搬船を更新
着岸シフトのため動き始めた第一中央汽船の鉱石/撒積/油兼用船 はんぷとん丸 Hampton Maru (1971)
1980.7.1 鹿島沖 - K.Sato |
教育を追加
2020.3.3 |
各時代に教育(商船学校等に所属した船舶)を追加,掲載開始
三菱商船学校の練習船成妙號 Seimyo Go (1858)
郵便汽船三菱会社所有の成妙丸は三菱が創立した商船学校の練習船として提供された.元来汽船でありマストの構造や索具が授業に適さないため機関を外してバーク型帆船に改造したという.写真は改造後,係留練習船となった成妙號. |
港湾と水産を追加
2020.2.29 |
各時代に港湾と水産を追加,掲載開始
大黒丸 Daikoku Maru (1928)
横浜市港湾部が浦賀船渠に発注したバケット式浚渫船.浦賀船渠は内務省向けに多数の浚渫船を建造し各地の港湾,河川の浚渫工事に活躍した. |
船舶番号一覧
2020.1.22 |
船舶番号一覧を掲載開始
サイト内で船歴を公開している船舶を船舶番号順に記載.今後は各年代毎の概説にリンクを記載する予定.
住友吉左衛門所有の木造汽船康安丸 Koan Maru (1881) |
船種別
2020.1.15 |
船種別 専用船に木材運搬船,LNG・LPG船および鉱石運搬船の掲載を開始
ジャパンラインの木材運搬船ジャパン パアム Japan Palm (1967) |
頌春
2020.1.1 |
國際汽船の高速貨物船C澄丸 Kiyosumi Maru (1934)
12名までの船客を扱いサービスとその高速力で利用客の便宜を図った. |